#25a ヘンな人
「――で、アレックスくんの描画範囲をセニアちゃんが解除しちゃっタと……」
「……はい、マヤ博士」
部屋に入ってきたのはハンドトラックを押すマヤだった。結局間に合わず、アレクが簡易ベッドにたどり着く前に見つかってしまったのだ。
アレクとセニアは、マヤの前で立ちつくしていた。
「申し訳ありませんでした、マヤ博士。わたしの独断です」
アレクと話していた時と異なり、セニアは感情なく謝っている。
これがミラージュの『セニア』なのだろうか――
そう思いながら、アレクは横目で眺めていた。
マヤはハンドトラックを脇へ流し、ふたりを見つめている。
セニアにため息をついた。
「セニアちゃん、あなた」
「ちがう、セニアは悪くない! 僕が頼み込んだんです。叱るなら僕にしてください」
アレクは声を上げた。
マヤはアレクを見たが、落胆の色はさらに強くなった。
「そうかもしれないケド。でもねセニアちゃん……」
沈黙のあと、
マヤは――嘆いた。
「ナンデ、先に『解除』しちゃったのよぉ……!」
聞けばアレクの描画制限を解除したかったらしい。
「あのとき、ワタシが軽率な発言をしなければ……。キミを傷つけた謝罪も込めて部屋を自由に動けるようにしようと、ハワードさんの許可も取ってきたのに、……きたのに」すねてしまった。
「なんか仲良くなってるみたいだし、ズルイよ抜け駆けなんてセニアちゃん……」
「えっ、わ、わたしは抜け駆けをしたつもりじゃ」
「だって結果的にそうじゃないの。はぁ、ハワードさんからマスターキー借りるまでもなかったヨ」
うなだれたあと、「しかたない」とマヤは話題を変える。内容はアレクがミラージュに協力するかどうかの質問だった。
「どう。難しいカナ?」
「……やっぱり嫌です。あなたたちの話を認めない以上、協力できません」
本当は、『信じたくない』が正しい。でも言いたくなかった。
「うぅ。アレックスくんと仲良くなれると思ったのに、聞きたいことがいろいろあったのに……。やはり、ワタシはどこまでも『運なし幸薄オンナ』なんだぁ!」
ロジーナおばさんより少し若そうな、二十代後半か三十代の見るからに大人の女性。
そんな人が今にも泣きそうだ。
少し、折れしまった。
「えっえーと……。ちょっとぐらいなら話しても、……いいかな」
「エッ!」マヤの表情が晴れた。
「ホント!? 本当にほんと!? ヤッタ! いっぱい聞きたいことあるんだワタシ。協力して! 研究に利用させて!」
「い、いやちょっとだけですから!」
改めて、変な人だと思った。
マヤがこの部屋にやってきた理由は、描画範囲制限の解除以外にもあった。
「アレックスくん、キミがこの世界に現れた経緯を知りたいんだ。実際になにが起きたか把握しないと進まないからネ。あとは、コレ」脇のハンドトラックを寄せた。灰色の部品が乗っている。
「キャスケットの左腕ユニットのスペアだ。キミはセニアちゃんが使うキャスケットの左腕ユニットを壊して、この世界に現れた。このままだとセニアちゃんはダイブできないから、ユニットを交換する。もちろんキミのユニットは接続した状態でね」
「……僕に影響はないですよね」
「だいじょーぶ! ワタシはこの分野で失敗はない。安心シテね」
不安が上回ったが、彼女の自信に押され「はい」と言ってしまった。
セニアが使うキャスケットの部品交換は後回しとなり、まずは暁の街エオスブルクから四〇三号室までに何があったのか経緯の聞き取りから始まった。アレクの『ちょっとだけ』が効いたようで、マヤはそれ以上の質問をしなかった。
「――ということは、キミは『タンマツ』を持った状態で光に包まれた、というワケだね。しかもその前に、セニアちゃんの左腕に怪我を負わせて」
アレクがうなずくと、マヤは頭を掻いた。
「なるほど……。セニアちゃんが落とした『タンマツ』の自動抹消に巻き込まれたカタチか。キミが左腕ユニットに取り付いた理由は、セニアちゃんの左腕にダメージを負わせたからかもしれない」
セニアに向く。
「落としたのは『マッピング端末』で合ってたよね?」
「はい、そのとおりです」
「ウーン、マッピング端末の自動抹消のトリガーを柔軟にしたほうが良いかも。……いや全部の装備品にしよう」
マヤはコンソールデスクの操作を始め、作業を終えた。
「あとはワタシの部屋でやるから。修正の案件は終了、と――」
嘆いていた時と違う、てきぱきとしたマヤにアレクは驚いていた。
「あっ! そうだアレックスくん」マヤが呼んだ。
「ちょっと来てくれない?」
近寄ると、コンソールデスクには地図が映しだされていた。
「これキミの街なんだけどネ、キミがどんな経路で歩いたのか教えて欲しいんだ」
「あ、はい。えっとですね……、ん?」アレクは気づいた。
「これって、ミラージュ存続派が協力を頼んできた『街の様子の把握』に入りませんか?」
「……あらら、バレちゃった」
ばつが悪そうに苦笑いをしていた。
アレクが抗議すると「冗談だから」と笑い、ハンドトラックの取っ手を握る。
「それじゃワタシはキャスケットの修復に行くね。バイバイ」
マヤはそそくさとキャスケットルームへ消えていった。
静かになった部屋に残されるふたり。
「……行っちゃったよ」ため息がアレクから漏れた。
「ねぇセニア、あの人って毎度こんな感じなの?」
「……えぇ、いつもあんな感じ。今日は特にごきげんだったみたい」先ほどのドライな口調から一転し、人間味のある声色に戻っていた。
「けど勝手に入ってくるなんてひどい、後で忠告する」
存続派のマヤとハワード、彼らはセニアをどう思っているのだろう。やはり『道具』なのだろうか――
ふとコンソールデスクに目を移した。映像は消えておらず、街の地図が表示されたままだった。
実際に街を俯瞰した記憶がなくても分かる。
街の中心の丘陵に建つエオスブルク城やそれを囲む大通りのアムル街道。街道に鎮座する聖エオス大聖堂。
細かい通りも駄賃を稼ぐために駆け回ったおかげで、どこがどの通りで何の店があるかがすぐ思い描けた。
「どうしたの」
セニアがそばに来た。
「あの人、街の地図を消さずに行っちゃったんだ」
位置を譲る。セニアも興味があるようで画面をのぞいてきた。
ある考えが浮かんだ。
「これってさ、どう動かすの」
「わたしも詳しく分からない。コンソールデスクで街の地図を表示したことがないから。でも、なぜ?」
「これを使って、母さんの思い出が言えればおもしろいだろうなぁって」
喋るだけではどうしても伝えにくい部分がある。地図を動かしながら語れば、セニアがより楽しくなると思ったのだ。
「……なるほどね。ふふん、やってみましょ」
セニアが悪戯っぽく微笑して、マヤへ仕返しとばかりにデスクを操作した。
意外と簡単だったようで、地図はセニアの思い通りに動いていく。
「あ! ちょっと待って。もうちょっと右……。そうそこ!」アレクが指差した。
「これが僕と……、母さんの……家」
――
――母との思い出が詰まった我が家。いろんなことがあった。この家で母さんを出迎えた。
そして、……見送った。
「えっと、……この先の通りでね、かあさんとね……」
『この世界』で、僕は母さんと暮らしたんだ。
地図の上じゃない、喧噪と活気に満ちた『暁の街』で――
セニアに話し続けていても『あの思い』が身を固まらせる。
ここにやってきた頃からそれはあった。曲面のガラスから外を眺めても、心に嘘はつけない。
「へー、そうなのね。あ、確かアレクとぶつかったのはここから、……アレク?」
――帰りたい。
僕の居場所は、あの街だ。





