#24a 翌朝
僕は、どこまで歩けるのだろう。どこまで進み続けられるのだろう――
暗闇の、『無』の世界――
駆けていく――
どこかへ――
誰かへ――
――
目を覚ます。
眠気まなこで部屋を見渡した。
白が基調の部屋に大きな曲線を帯びた窓、その部屋のなかにアレクはいた。
昨日起きたこと、知ったことは悪夢ではなかった。
そして簡易ベッドよりも窓側に組まれたベッド。そこには、かすかな寝息を立ててセニアが眠っている。
「夢、じゃない」
久し振りにできた、僕の『友達』――
静かに眠る少女をアレクは見ていた。
西暦二〇九四年、五月八日。『この世界』の今日の暦だ。セニアが食事の準備を始めている。
実は、昨日がセニアの誕生日だったらしい。セニアが起きてしばらく経ったあと、セニア自身が忘れている事に気づいた。
『誰も祝ってくれたことなんてない』。セニアはそう言った。しかしオーロラは、毎年彼女の誕生日を祝ってくれているらしい。
「――ごちそうさま」
セニアが朝食をひとりで済ませた。いろんな食べ物がすぐに出てきてビックリしたが、『インスタント・フード』というものらしい。今朝は時間がなかったからこれにしたそうだが、果たして本当なのだろうか。
食事のテーブルは、昨日お互いが隠れた机のような家具を使っていた。『コンソールデスク』という名前だ。
歯を磨くためにセニアは部屋の一番奥にある洗面所へ消えていった。
待つ間、窓の外を眺めた。
この大きな窓には特殊な仕掛けがあり、窓の透明度を変更できる。セニアが起きて真っ先にしたのは、就寝前と逆の『窓を透明にすること』。その瞬間、カーテンを開け放ったかのように部屋が明るくなった。
現在はこの部屋に初めて来た時と同じで窓は透き通っている。夕方と違って朝のさわやかな陽が景色を彩っていた。
だが、もっと見ようと近づきたくても動けない。マヤが言った『ホログラムの描画範囲』の外であるからだ。
窓の方を眺めていると、歯磨きを終えたセニアが声をかけてきた。寝巻きは食事前に着替え済み。水色の『Tシャツ』なる服を着ていた。
「アレク、お腹減らないの」
「……うん、なんだか減らなくて」
昨日の夕食の時間も過ぎて朝食さえ食べず、一切何も口にしていない。それでも腹はすかない。喉さえ乾かなかった。
「ねぇアレク、それって……」
そこから先を彼女は言わなかった。
セニアが言いたいこと。
つまり僕が『ホログラム』としてここにいて、それは僕が『幻』だから――
「……大丈夫! いろいろあってカラダがびっくりしているだけだから。落ち着いてきたら食べたくなるよ、きっと」
これは誤魔化しだろうか、本心なのだろうか。もう分からなかった。
話題を変えよう。
「……あのさセニア、裏路地にいたときと今だと喋り方が違うけど、あれなんでなの?」
セニアの瞳が動揺をみせたが。すぐに収まった。
「わたしたちミラージュは、あなたの街では『黒魔術団という絶対悪』。だからできる限り威圧して心理的な距離を置くようにしていた。それに、わたしにとってオーロラは母親で、オーロラを蝕むボイドやボイドノイドは親の仇……」セニアは視線を落とし、言葉を紡いだ。
「でも、あなたが仇だって今は思ってない。おかしな話だけど、そうなの」
アレクを見つめた。
「昨日『わたしの母親がなんでオーロラなの』って聞いたのに、ごめんなさい。……まだ言えそうにない」
昨日の夜。
セニアと友達になった後、なぜセニアの母親がオーロラなのか、セニアがどのような生い立ちなのかを聞こうとした。
しかし彼女の口はだんだんと重くなっていき、最後には黙り込んでしまった。
彼女にとって、誰かに生い立ちを語るのは苦しい事らしい。
「気にしなくていいよ、決心がつかないのは僕も同じだから――」
ふいに、そんな事を言っていた。
僕が幻だと認められないのは、『決心がつかない』からなのか?
もう一度考えてみると、やっぱり違った。
僕がもし、認めてしまったら。
母さんは、幻なのだと信じてしまったら……。
僕の心は、きっと――
「アレクありがとう。あのね、……わたしが言えないのに聞くのは間違いかもだけど、あなたの母親のことが知りたい。親というのが、わたし分からなくて」
「……僕も言いたかったんだ。母さんのこと」だが気になる事があった。
「でもセニアにはハワードさんがいるんだよね。血縁はなくてもお父さんなんでしょ」
「あんな男、父親じゃないわ」セニアは眉を寄せた。
「わたしにはAIの母親しかいないの。だから、……教えて」
母との懐かしい記憶を語る。
母親を知らないセニアはまるで乾いた土が潤うように、琥珀色の瞳を輝かせ聞いていた。
アレク自身も、あの日々を思い出す事で心を落ち着かせた。
「……まあこんな感じ。どうだった」
母が病気になった以降の思い出は、さすがに言わなかった。母と暮らした幸せを感じて欲しかったから。
「とってもよかった。今でも胸の奥がポワッとしてて、こんな気分初めて」
「なら嬉しいよ。でも、ヘンな言いまわしだね『ポワッ』って」
「……笑わないでよ! 恥ずかしいじゃない」
くすりと笑ったアレクにセニアは顔を赤くした。
「もう! まあいいけど、……聞いてて楽しかったし」尻すぼみに声が小さくなった。
「ありがとね。わたしにできることある?」
目をチラチラと恥ずかしそうに動かすセニア。なんだか微笑ましかった。
セニアが僕にできる事、何かあるだろうか。
「あ! セニア、ちょっとお願いがあるんだ――」
セニアに頼んだ事を実行してもらった。彼女はコンソールデスクにいる。
「――うーんと、これでいいはず。どう?」
ベッドに座っていたアレクは立ち上がり、――セニアまで歩いた。
マヤが設定した制限を解除してもらったのだ。
セニアがコンソールデスクをタッチしてみせた。
「アレクは『ホログラムメッセージ』のシステムをつかってる。これは遠い所にいる人とのコミュニケーションに使うもので、一般的な設定の中に『描画範囲の設定』があるの。だから、わたしでもできたというわけ」範囲設定の画面をみせた。
「だけどマヤ博士が他にやっていた『オブジェクト登録』とかは、難しくて博士にやってもらうしかない。分離したウエストポーチはプロテクトが掛けられてて、わたしは手を出せないの。……これしかできなかったけど、いい?」
「うん! 部屋を動けるだけでもだいぶ気が楽になったよ。ありがとう!」
見えない壁から開放されて、嬉しくてたまらなかった。
「そ、そう……。 よかったわね」
褒められる事に慣れていないのか、セニアの耳が赤くなっている。
エオスブルクに帰りたい気持ちはある。だけど、今更彼女に言いたくなかった。
「ねえ、セニア。窓にはちゃんと触れられるよね」
「え、えぇ。この部屋の元々ある部分だからすり抜けたりしない」
「よし! ちょっと行ってくる」
アレクは曲面の巨大窓がある展望ルームへ向かった。
部屋全体の床から一段下にある展望ルームへは、壁に沿って設置された階段を使う。
コンソールデスクから数歩先の階段を降りていく。淡いベージュの床が目に飛び込んできた。
展望ルームには大きな白いソファーと四角いテーブル、小さな丸いイスがあった。階段の反対側には、曲面を帯びた灰色の棚が壁と密着している。
しかし、アレクの興味はここではない。そのまま部屋を進み、天窓と出窓を兼ねる窓の外を見る――
見たことのない、この世界の景色を。
「うわぁ! すごい」
朝の光に彩られるポトマック川、ガラス窓が輝く高層ビル、川の対岸にもビルは立ち並び、地平の形を変えている。けれど上を見れば、あの街と同じ青空があった。
「これが、セニアのいる世界なんだ! すごいなあ」
『すごい』。単純な言葉なのに、それが一番しっくりくる。
エオスブルクと何もかも違う二〇九四年の景色に胸を高鳴らせた。
ガラスに手をつき、窓から見える範囲をもっと眺めようとしていると、いつの間にかセニアが側にいた。
「そんなにすごい? わたしには分からない」
奇妙そうにアレクの顔をのぞきこんでいた。
「だってさ、こんなに高い建物がいっぱいあるだもん。僕の街の人なら、誰でもビックリするよきっと」
「わたしはあなたの街のほうがきれいと思う……。あんなに自然に囲まれたいい場所、ここにはないから。オーロラに近づけるっていうのもあるけど」
「……ホントだ! そういえば緑が少ないし山もないね。ならどうやって食べ物を調達してるんだろ。不思議だなあ」
どこまでも興味は尽きなかった。
「この部屋はキラキラ光る川が見えていい場所だね。野山でリビ湖を眺めてるみたいだ……」
「あの、……アレク」セニアが言った。
「わたしがホログラムの描画範囲をいじったことで展望ルームにあなたは立っているわけだけど、これはハワードの許可を得ていないの」表情が曇る。
「また解除するから、誰かに見られる前に元の場所に――」
すると突然、音が鳴った。セニアはそれが何か分かった。
電子ノック――ドアチャイムだ。
音はもう一回鳴り、少しの間が空いて、
鳴らした主が部屋へ入ってきた――





