表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/111

#20a 〜返してくれるひと〜


「母さん、……粥、できたよ。口をあけて」

 「はい、あーん」と、スプーンに乗せた麦粥を母の口へ入れる。彼女の喉が頼りなく嚥下し、粥が少しずつ消えていった。 


 ひと月が経っていた。

 あの夜、とっさの判断で『外傷を治癒させる札』をつくり、母の怪我を治した。一度も試してなかったが、術は完璧だった。


 だが、母は元に戻らなかった。

 身体は更に動かなくなり、苦しみだす事が多くなった。熱がある日も、ほとんど目を覚まさない日もあった。


 再び、医者に診てもらった。

 『急に悪化したのではない。あの出来事で彼女の気力が尽きたのだ』。――それが答えだった。

 母の病気は治りつつあると思っていた。母もそう信じていたかもしれない。

 だがそれは、幻想だった。


 ――あの日。

 奴らと会うために、僕が指南書を持って出かけた後、我が家にロジーナおばさんが来たらしい。おばさんは母に、近頃耳にした『子供を脅迫する若者』の噂を語った。

 広まった噂は脚色が多く、おばさんはその被害者が僕だと考えもしなかった。

 しかし母は、僕の涙と『覚悟をした表情』を憶えていた。


 おばさんが去った後、母はベッドを抜け出し僕を探した。本来なら、もう動かないはずのか細い足で。

 人に尋ねながらヨタヨタと歩き、時には転ぶ母。その光景に街の人が、聞かない母を止めようと衛兵を探した。

 そして衛兵が母に追いついたその時、母は羽交い絞めにされた僕を見つけたのだった。


 男たちは皆捕まって、隣街でのさばる『恐喝集団』と分かった。魔術の上手い人物を見つけては脅し、金を奪い取る。被害者を黒魔術団の一味と決め付けて迫るやり方は彼らの常套手段だ。


 グループは幾つもある。『黒魔術団』がいる限り、ひどい目に会う人はこれからも後を絶たないだろう。


 奪われた『魔術札の指南書』は逃走中に川へ捨てたらしい。街でただ一つの指南書は失われた。

 だがなくても差し支えなかった。ほとんど憶えきり、母の治療と駄賃を稼ぐには充分だ。

 それでも、あの事件で気力を使い尽くした母は、衰弱していった。


「母さん……。調子は、どう……」

 今日も、問いかけに母はかすれた声で「だいじょうぶ」と応える。

 痩せきった母は、笑顔さえ上手く出せなかった。


 看病にあてる時間を増やした。苦しさに悶える母に寄り添い、手を握った。母の体を丁寧に拭いた。ベッドが汚れる前に処理をし、汚れたなら新しいシーツを用意した。弱りきった母は思いのほか軽かった。


 魔術札で稼がなければ生活はできない。しかし、まともな両立は不可能だ。一日の仕事は減り続け、少ない駄賃で気休めの薬はもう買えない。

 魔術札に使う紙さえ買い渋った。紙の調達は、おばさんの知り合いから譲ってもらった『紙をすく道具』で、家にある紙を溶かしては再利用している。


 一日が終わり、自分のベッドに倒れ込む。そして瞬く間に朝になった。

 それでも、暦は日々を刻んでいく。ひと月、またひと月と……。


 なんで、こんな事になったんだろう。



「……おはよう。母さん」

 ベッドから起きればすぐに母のもとへ向かう。具合を確認した。


 隣の棚にあるエオスと同一視した木の棒に、今日も母が無事である事を祈った。

「エオス様、どうか母をお守りください……」


「……麦粥。……用意するから、待ってね」

 声を張れない。半年を越えた看病に、体が追いつかなかった。

 家の中は物が雑に置かれ、床には埃が目立つ。整理をする体力なんて、もうなかった。


 棚や壁に飾っていた『思い出の絵』は、いつしか消えていた。

 絵がどうなったのか、あっという間に毎日が過ぎて憶えていない。きっと魔術札の紙が足りなくなって、溶かしたのだろう。


 母の麦粥をつくりに、ベッドの前から離れようとした。


 すると、

「――ん? 母さん」母が手を掴み、引き止めていた。

「どうかした?」


 珍しい、母が引き止めるなんて。

 彼女の折れそうな程に細くなった指が、僕の手をぎゅっと握ってくる。


 母は、頬笑んでいた。

 あの頃と変わらない、やさしさに満ち満ちた笑顔で……。朝焼けの陽が降りそそぎ、潤んだ瞳とペンダントを輝かせている。


「アレックス……」


 あだ名じゃない、母も言わなくなった僕の本来の名前――

 それが、意味するものは、


「……母さん! ……いかないで」

 叫んだつもりだった。でも出てきたのは上ずったかすれ声だけ。涙だけがこんこんと湧き出し、母の形を覆おうとしてくる。


 母の腕に力が入るのが分かった。その方向へ繋いだ手を導いていくと、――僕の頬があった。

 母の手は、あったかかった。やせ細っていても何も変わらない。


 口が開く、ゆっくりと何かを言った。


「……え、なに? もういっかい言って」

 僕は聞こうとした。

 しかし、――返してくれる相手は、もうこの世になかった。

 十二歳の春、五月のことだった。



 ――なんで、こんな事になったんだろう――

 母の亡骸を見て、僕はそう思った。


 あの頃は、ずっと楽しい日々が続くと思った。大好きな母と共に生き、抱きしめ、温もりをいつまでも感じられる。そう疑わなかった。

 だが、母は苦しみ死んだ。


 ――なぜなんだ。

 ――なにが母を死なせた。


 『脅迫集団』か。それとも彼らを呼び寄せた『魔術札』か――


 ちがう……。

 もう分かっている。いつも頭の片隅に答えはあった。母を苦しめた、元凶は――



 僕だ。


 僕が母を死なせた、殺した。

 母の苦労も考えず、急に具合が悪くなっても『自分の楽しみ(魔術札の指南書)』のために放っておいた。

 元気な姿が当たり前と思い込んで、甘えた。


 羽交い絞めにされた時だって、母に助けを求めて不用意に刺激した。家を離れないで、勇気を出して相談すればよかったんだ。


 ――すべて僕のせいだ。

 僕が、母をこんな目に遭わせた。

 都合よく彼女に甘え、決心もできず、壊れてしまうまで頼りきった。


 ――それは、僕が弱いからだ。



 これはきっと、罰なのだろう。

 現実に向き合わず、愛する人を苦しめた罰。僕が弱かった事への罰なのだ。


 僕は決意した。


 ――強く生きよう。

 この家で、この街で、ひとりで生きていく。この魔術札を使いこなし、元気に暮らそう。


 母へ償うために――



 葬式や整頓を済ませた。間もなくおばさんが一緒に暮らそうと持ちかけてきたが、きっぱり断った。

 母と寄り添った我が家に、ひとりで暮らす。そうおばさんに伝えた。


 魔術札をこしらえて仕事を再開した。看病の時間が消えた事で、こなせる数も駄賃も増えていった。

 元気にあいさつして、仕事をこなす。駄賃をもらって明るくお礼をした。


 家に帰ればもう夜だ。暗い家をランプで灯し、疲れが溜まっているならそのまま眠りに付いた。


 目を覚ますと棚の前に立った。形見である銀のペンダントに母を重ね、紋様つきの木の棒にお祈りをした。

「エオス様、黄泉の母をお守りください」


 また一日が始まる。元気に街へ繰りだす――


 ……しかし、本当は悲しかった。心の芯が抜けたように、虚しかった。

 いつまで経っても、どこまでいっても、この感情はなくならない。


 時が過ぎるにつれ、虚しさは苦痛へと変わった。どんなに元気を装っても、もう周りの大人は騙せなかった。

 苦しみが体や心を蝕んで、駄賃のみで生活する事に限界も見えてきた。


 だとしても僕はこの決意を捨てない。それが、どんなにつらいものだとしても……。


 ――そして、母が死んで二年。

 僕はどうしようもなくなった。決意に追いつめられ、もう何も考えられない。

 『生きたくなかった』。……もしかしたらこの答えのために、今日まで生きたのかもしれない。

 母との思い出は僕にとって何ものにも代え難い、僕の生きるすべてだった……。


 うそだ。信じられるはずがない。

 あの記憶が、あの温もりが、喜びと哀しみに彩られた母さんとの思い出が、

 すべて幻なんて……。


「かあさん……」

 四〇三号室。VRAビルの一室で僕は声を漏らした。


 ここは静かだ。灯りもない暗い部屋に、大きな窓から弱い光がさしている。暗くて静かな世界。だからこそ、あの頃の思い出が頭を満たし、心をえぐる。

 あいつらの話を聞いてたくさん泣いた。それでも涙は補充されて、今また頬を伝っていく。


 あいつらが言う事はうそだ。いや、うそであって欲しい。

 僕が一年しか生きていないなら、母さんの笑顔も苦しみもニセモノなら、……僕は何のために生きて、死のうとしたんだ。

 なぜ僕は存在するんだ……。


「……うそだ」

 誰もいない部屋。

 ――思えば『独り』だ。ここでも、街でも……。

 おばさんが手を差し伸べてくれたのに拒絶して、あいつら(ミラージュ)の話も否定した。

 そして僕に残ったのは、静寂の世界だけ。


 どこまでも苦しい。つらい、つらい。

「……だれか」出せた声は微かだ。

「……たすけて」



関連話 ※別タブ推奨

#04a

https://ncode.syosetu.com/n3531ej/4/


―――――――――――――――――――――――――

今週分を読んでくださり、ありがとうございました。

次週、水金土の投稿予定を活動報告に記載いたしました。今後とも、よろしくお願いいたします。


活報10

https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/954126/blogkey/1898013/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
▽ 感想をツイッターに投稿できます▽


twitterでシェアする
====================
◇小説家になろう 勝手にランキング◇


→ 活動報告はこちら ←

tueee.net sinoobi.com
kisasagi g00g1e
分析サイト群
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ