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#18a 〜魔術札〜

「あれ……っくぅ! あれっ……く、だってばぁ……!」


「えぇ? ああ、『アレク』か? ……え、アレクじゃないのか?」


 小さな子供が、大人に自らのあだ名を伝えようとしている。

 八百屋の店主である男は、舌足らずの子供に頭を掻いていた。ぐずる子供は今にも泣き出しそうだ。


「うぅ……。だからぁ、アレッ――」


「あー分かった分かった。んで、どうしたんだ。道にでも迷ったのか小僧?」


「ちがう……! うぅ」

 子供は、泣きだしてしまった


 ――その後子供は八百屋の前から走り去り、人ごみへ消えていった。

「まったく、『落とすなよー』。……ガハハッ、おもしれぇガキだ」



 子供は通りの人々を縫いながら、とある人影を目指す。その女性が子供を抱きよせた。

「こら、アレックス! 離れちゃダメでしょ。心配したじゃない」


「ごめんなさい……」

 目に涙をためて、子供は母親に力いっぱいしがみついている。


「あら、『それ』はどうしたの?」

 子供の手を見ると、野菜のピーマンが握られていた。


「八百屋のおじさんが、『何かやるから、どれがいい?』って……。だからこれ、お母さんに」

 爪のあとが横並びについたピーマンがひとつ。すると母親が、手のひらをやさしく子供の頭にのせた。


「ありがとう。お母さん嬉しい」

 愛おしさに満ちたその笑顔は、子供の心をぽかぽかとさせる。


 母親が子供に言った。

「ねえ、八百屋のおじさんのとこに連れて行ってくれない? お母さん、お礼を言いたいの」


「うん! ……あの、お母さん」子供は困っている事があった。

「あのね、ぼくがあだ名を言っても、みんな『アレクか?』って、まちがえるの。あだ名ちがうのに……」


 子供は八百屋だけでなく、目に付いたあらゆる店の人に『アレック』というあだ名を伝えようとした。気に入った自分のあだ名を、舌足らずで上手く言えない事が悔しかったからだ。

 小さく鼻をすすった。


「そうだったの。……うーん、でもねアレックス……」子供の瞳を見つめた。

「『アレク』でいいじゃない、あなたを憶えてくれるのなら。わたしは好きよ」


 その言葉に、子供のもやもやと不安は消え去った。


「ホント!? なら、あだ名変える! 『アレク』にする!」

 母親に笑顔を見せはしゃぐ。

 それは、アレクという名前が少年についた最初の日だった。



 あれから六年が経ち、アレクは十歳になった。

 アレクの家は母子家庭である。

 父親というものをアレクは知らない。詳しい事は聞いていなかったが、アレクがお腹にいる頃にこの街(エオスブルク)へ母はやって来たらしい。

 ――きっと父親と別れたのだ。

 あまり詮索しないように、けれどもそれとは関係なく無邪気に母と暮らしていた。


 家屋は木造で、一部の壁にレンガや漆喰を使った平屋建てだ。

 ドアの向かいには木製の棚があり、部屋の左隅には幅の広い二人用のベッドが、右側には二人がくつろげる空間がある。

 かまどや台所もあり、この家が母と暮らす毎日をより楽しくさせていた。



 母が仕事から帰ってきた。 


「あっ、母さんおかえり」

 アレクが輝くような笑顔をみせた。


「ただいま、アレク」

 母もにっこりと返す。

 このひと時さえもアレクにとって心が弾む、待ち遠しい瞬間だった。


 母に駆け寄ってぶつかって、ぎゅうっと抱きしめる。

 ――母さんが『父さん』のいない悲しさを感じさせないように……というのは方便で、本当のところはただ母さんの温もりを感じたいだけだった。

 あったかくて、ふわっとしてて、まるで心が直接お日様に当てられたかのような気持ちよさ。

 このまま、ずっとこうしていたかった。


「もう、甘えん坊さんなんだから」

 くすぐったそうに声を漏らすと、アレクに顔を寄せる。


「ふふ、待たせちゃった?」


 つやがある栗色の長髪と淡褐色の瞳。優しさのなかに感じる彼女の凛とした姿が、アレクは好きだった。

 母の首にかかる銀のペンダントが揺れる。

 『極光色』のガラス球が埋めこまれたペンダントは母のお気に入りだ。


「……あら? それはなに?」

 居間のテーブルに紙が置かれている。布を巻いた黒鉛片(鉛筆の原型)で絵が描かれていた。


 エオスブルクでは白紙の紙も黒鉛片も、質を気にしなければ民衆でも買えるような代物だった。

 アレクが得意げに語る。舌足らずの癖はもう直っていた。


「これね、今年の『黎明日(れいめいじつ)祭』の絵なんだ。去年が豊作なのもあって今年は特に賑やかだったでしょ。とっても楽しかったから描いてみたんだ」アレクが絵の一点を指した。

「これ、僕と母さんだよ」


 たくさんの人が通りに集まり、パレードを心躍らせながら眺める様子の黒鉛画。その人影の中に手をつなぐ二人の親子が描かれていた。


「まあ! よく描けてる」


「えへへ、……そう?」

 照れくさそうにアレクは笑った。


 黎明日祭――新しい年に暁の女神(エオス)を崇め、作物の豊穣と街の繁栄を願うお祭り。暁の戦士達も参加するパレードや、商機を逃すまいと商店や露店が熱を帯びる。

 アレクが十歳の今年は実入りの良さが相まって、一層活気に満ちていた。

 母と遊びに行ってから一週間、まだあの時の景色が心に残っていた。


「黒鉛の濃さで色合いも表現してみたんだ。今年のパレードで、服がオレンジ色の一団がいたでしょ。だから黒鉛をうすく塗ってね……」母と歩いた思い出の一場面。後ろから覗き込む母にうきうきと伝える。

「ここの商店の肉とか、通りに集まる人の服も工夫したんだ。あと青空の色合いも――」


 アレクの背中を、柔らかな温もりが包んだ。


「母さん?」


「大きくなったのね、アレックス……」

 母はアレクを抱きしめていた。

 彼女の優しさが、拍動と共に背中から感じる。そんな気がした。


「え、そんな急に背が伸びたっけ」


「ふふっ、もう……。じゃあアレク、絵のこの部分は何色?」


「えっとね、ここは――」

 指に付く黒鉛も気にせず、アレクは絵に指を差した。


 大好きな母と寄り添い、一緒に笑い、一緒に過ごす。

 こんな毎日が、当たり前に続くと思っていた。



 二年が経った。

 祭りの絵を含め、アレクが思い出を描いた黒鉛画は女神エオスと同一視した紋様つきの棒と共に、棚の上や壁に飾られている。


 夕方、アレクが家に帰ってきた。

「ただいま。母さん、今日は早いね」


 すでに母がいた。いつもならば帰ってくるのは夜ごろで、もっと遅いはずである。


「おかえりアレク……」

 母の声には力がなかった。


「どうかしたの、大丈夫?」

 かけていた大きいバッグを下ろしながらアレクは言う。


「ええ、大丈夫。ちょっと疲れただけ。……オーナーも『よく働いてくれているし早めに切り上げていい』って」


 母の顔は血色が悪く、椅子に座っていても苦しそうな、異常な状態――

 あとから思い返せば、そうだった。しかし、


「そっか……、横になって休んでてね。僕はちょっと遊びに行く。いってきます!」

 ――そのまま出掛けたのだった。



「楽しみだなぁ」

 アレクは中通りを歩いていた。足取り軽く、ある目的地に期待を込めて。


 近頃は夕方になると友達と合流し、一緒に遊びに行くのが日課になっていた。

 だが今回はそれとは違う。すこしヒミツな計画があったのた。


 その時、

「あっ、アレク! ちょっと待ちなさい」


 後ろから突然声をかけてきたのは、ロジーナおばさんだった。

 いつもの明るい表情と違い、血相を変えて駆け寄ってきた。何かに焦っているような。


「こんにちは、ロジーナおば……」


「ハァ、ハァ……。アレク、お母さんは大丈夫?」

 息を切らしながらおばさんは言う。


「え、母さん?」

 なぜそんなに焦っているのか、分からなかった。


「そう! あなたのお母さんの具合のこと。家に帰っているはずでしょ」


「うん。……会ったけど、『ちょっと疲れた』って言ってただけで」


「だったら良いんだけどね。アレク、お母さんには一応――」


 おばさんの言葉が遮られ、男が飛び出してきた。

「『オーナー』、そこにいたんですか! 宿が大変なんです! お客が揉めごとを起こして暴れてます。なんとかしてください」


 自分たちで対応しろと伝えるが、男は頭を下げるばかり。

 おばさんは引き受けるしかなかった。


「……仕方ない」アレクを見た。

「お母さんを、お医者さまに診せてあげなさい。いいわね」


 そして、おばさんと男は走り去っていった。



「行っちゃった。……ヘンなの」

 ぽつんとアレクは残された。

 なぜおばさんはあんな事を言ったのか、やはり分からなかった。


 母さんはただ疲れただけ。一日休んでくれればまた元気になって、母さんを抱きしめて甘えられる日々が戻ってくる――そう、思い込んでいた。

 そして目的地へ向かう内におばさんとの会話も、すっかり忘れてしまったのだった。



 アレクは中通りの端にある薄暗い商店の前で立ちどまり、中に入る。ここが目的地。


 ――この瞬間を待ちに待っていた。わくわくで身体がはずみそうだ。

「こんにちは! この本ください!」


 指をさしたのはガラクタ商店の隅にある、埃だらけの『魔術札の指南書』だった。


 アレクを含めエオスブルクの住民は文字の読み書きができ、計算にも慣れている。大聖堂から派遣された位の低い聖職者たちが、街のあちこちに簡易的な『学び舎』を設置しているからだ。

 アレクも足を運んでいて、文字の読み書きなどを学んでいる。

 今日も午前は学び舎に向かい、家に帰った夕方は不要な荷物を置いて、ここにやってきたのだった。


「これでお願いします」

 ポケットから出した手には、目当ての本が買える程度の小銭。

 小遣いを貯めてつくった金額、だが自らが働いて得たものではない。母にべったりとしたいだけのアレクには、『自ら稼ぐ』という発想がなかった。


 小銭と引き換えに、埃がこびりつく分厚い本が渡される。どっしりと重たさが伝わった。


「わぁ! ありがとうございます!」

 お礼を思いっきり店主に言うと、アレクは店を離れていった。



 埃を被った『魔術札の指南書』を見つけたのは三ヶ月前、偶然だった。友達と遊んだ帰りに寄ったガラクタ商店で、この本が目に飛び込んできたのだ。


 アレクは昔から、魔術が使える人たちに憧れていた。

 街を歩けば彼らが火を使わずに物を熱したり、氷もないのに水を冷やしたりしている。彼らの姿に心奪われ、駆け寄った。

 近所でも魔術の生成物をおすそ分けしてくれる人たちがいた。紋様つきの壷に溜めた、あり得ない量の水を分けてくれる人、暖房に使う火種を渡してくれる人たちを今まで見てきた。

 目の前で不思議な事をたやすく行なって、周りの人たちの生活を豊かにしてくれる彼ら。 いつしか、自分も『魔術師』になりたいと思うようになっていた。


 そんなある日、埃だらけのこの本を見つけたのだ。

 店主に聞けば他の魔術は一つの術しか使えないのに対し、魔術札は使える術の種類が豊富なのだそう。ただし他の『魔術』と同じように適合者は限られてしまい、魔術札はその中で特に厳しいものらしい。

 長い間、ガラクタ商店では誰も見向きもしない忘れ去られた代物だった。


 当時、本を開いてなんとなく紋様を覚えた。家に帰る道すがら、ポケットに入れっぱなしだった紙とペンでその紋様を書き地面に置いてみた。

 すると――なんたることか。紙が消え、その部分の地面が熱を帯びたのだった。


『僕は魔術札が使える……! 魔術師になれるんだ!』

 その日から、アレクは母がくれる小遣いを貯めていき、――今日ついに指南書を手にしたのだった。



「やった、やった!」

 重たい本を抱いて帰る。服に付く埃なんて気にしない、この中にある数多(あまた)の術が僕を待っているんだ。


 あした友達に自慢してやろう。びっくりすぞ。

 そして、

「母さん、きっと喜ぶだろな。たのしみだ!」


 真っ赤な夕日が世界を照らす。伸びた影は浮き足立つ少年の姿を道に映していた。


 中通りを過ぎ、我が家がだんだんと近づいてくる。

 ――だが、


「あれっ? 何だ」

 家に近所の人たちが集まっていた。玄関のドアの前で、皆心配そうな面持ち。

 何があったのか。


 一人がアレクに気付いた。

「アレク、やっと帰ってきたか。中に入りなさい」


 促されるまま、アレクはドアを開ける。

「ただい……。――母さん!!」


 分厚い本が腕から落ちていく……。

 そこにはロジーナおばさんと医者らしき人、そして――

 脂汗を流し、床に倒れる母の姿があった。




 母は病気になった。

 医者の診断によると、原因は長期にわたる過労。

 二人分の生活費を賄うため、宿屋以外にも複数の仕事を掛け持ちした上に、帰宅した後もアレクにかまって疲れをため続けた事。

 加えて母の体質も重なり、ここまで重篤になったらしい。


 医者の治療が実り、母の容体は『やま』を越えた。

 しかし、この病気が治ることはない。満足に動くこともできず、少しずつ体を弱らせ最後には……。



 十日が過ぎた。

 母はもう働いていない。棚の右側に寄せた一人用のベッドが彼女の居場所だ。そこは窓のそばで、暖かな陽が差し込む場所だった。

 このベッドは母の希望で新調した。貴重品を売ってでも、アレクが使う今までのベッドを汚したくないと譲らなかったのだ。

 しかし、アレクは母のお気に入りである銀のペンダントだけは売らなかった。


 ベッドから起き上がる母は、今日もそのペンダントをかけている。


「あっ、母さん無理に起きなくても」


「いいの……。大丈夫」

 そうは言いつつも、やはり苦しそう。結局はアレクが支えてしまった。


「先生からもらった薬、持ってくるね」医者がくれた気休めの薬。そして、

「水も温めるから、ちょっと待ってて」


 かまどに置いた金属の鍋に水を入れ、鍋に『魔術札』を貼り付た。水は瞬く間に湯になっていた。


 アレクは母が倒れてから、必死になって指南書から魔術札を覚えていった。

 札を貼ってものを加熱する術、逆に冷やす術、ものを細かく振動させる術などである。


 すべては母の『治療』のため。

 気休めだとしても、この術ならばひょっとしたら――そう思ったからだ。

 術の加減も覚えつつあり、習得は順調だ。


 現在は、治療用として直接使えそうな部類を特に勉強している。薬効などの純粋な物質を札に溜め込む術、既存の術を応用して独自の札をつくり出す技法などだ。


「母さん、お湯できたよ」

 アレクが医者の薬と、湯が入った木製のコップを渡す。

 薬を含み、湯で流す母。やはり苦そう。


「……ありがとね、アレク」

 彼女が笑みをくれる事が、アレクには救いだった。


 アレクはある決心をしていた。

「ねぇ、母さん」母の目線まで屈む。

「僕ね、働きに行こうと思う。魔術札を使って稼ぐんだ」


 今、家に入るお金はない。食費などの生活費はもちろん、医者の薬代だってある。実入りが必要だ。

 魔術札はさまざまな術が使える。街の大人たちを札術で手助けすれば、相応の小遣いが入る。そして必要に駆られ術が上達し、母の看病に役立てられるのだ。

 魔術札を利用して分かった事だが、他の人が使う術よりは効力が弱め。だがこれから学んでいけば、応用次第で強化ができるはず。


「へへ。すごい……、でしょ……」

 アレクは自慢げに……言おうとしたが、できなかった。


「……あの、母さん」

 母さんに言わなければ……。

 母さんが倒れる直前、いやそれよりも前から僕は母さんに甘えてばかりで、体の心配を一切しなかった。母さんが元気でいるのが当たり前かのように。その結果が――


「母さん……。ほんとに、ご……」

 突然感じる体の温かさ。母が、アレクを抱きしめていた。


 母は何も喋らない。しかしアレクはそれだけで、もう充分だった。

 陽が差し込む窓辺の光景が、溶けて滲んでいった――



関連話 ※別タブ推奨

(あだ名、黎明日祭) #08a

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