#15a 極光の回廊(コリドール) Ⅰ. AURORA
ハワードの言葉をアレクは黙って聞いた。
あの街も、自分自身も実体のない幻で、
幻をつくっているのは、オーロラと呼ばれるAIというモノで、
僕たちの街や世界をボイド、住人をボイドノイドと呼んでいて、
消えゆくオーロラを助けるために、ミラージュが街にやってきている――
――初めは、ヘタな嘘だと思った。苦笑した。
黒魔術団であるミラージュが僕を落とし入れるために、『見え透いた作り話』をまじめそうに語っているのだ、と。
だが――
「ウソだ……」
「嘘というなら、なぜ君には実体がないんだ? なぜ実体なく映るホログラムとして存在している」
「それは……、こんな嘘を信じ――」
「『信じさせるための材料として、黒魔術団の我々が仕組んだ罠だ』と言いたいか。その見方で全部解決なら、都合が良すぎやしないか? 顔を見るに、君の本心は違うだろ」
その通りだった。
『すべてが嘘だ』――あまりにも都合が良すぎる。この体がおかしいのも、僕が今いるこの奇妙な土地が知られていないのも、すべて彼らの魔術のせい。――そんなもの、僕がすがる願望だ。それに、
意固地に否定すればするほど、
ハワードとマヤの顔が悲しさを募らせるのは、
セニアとデルタチームが当たり前と言わんばかりに、澄まし顔で見つめてくるのは――
――でも、
「……うそだ。……証拠はあるのか」
マヤが口を開いた。
「『存在しない世界』で暮らしてたキミに存在しないことを証明をするのって、やっぱり難しいけど……、キミの世界を調査してわかったことはいくつかある」
マヤがコンソールデスクに刺さっているディスプレイをアレクの前まで持ってきた。
画面を触っている。
「キミがいた現在のボイドは、キミが住んでいると思っている街の中心地点からおよそ四五パーセントを『発現』させてる。……あっ、発現っていうのはつまりボイドとして出現している、という状態でね」画面をアレクに向けた。
「つまりそれより外側の街や周辺の景色、行商人が行き来する他の街とかは、キミたちが『ある』と思い込んでいるだけ。行った気になっていたり、旅の日数だけボイドノイドとしての姿が一時的に消えてるだけなんだ」
四角い画面に映る、空高くから見下ろしたような街の図、エオスブルク城と大聖堂の近くに付けられた点から、青紫の範囲が覆うように広がっている。うねったような範囲の中に、近所の中通りと自分の家を見つけた。
範囲の外は図の線が薄くあいまいになっている。
「じゃあ、北のアルビア岳や南のリビ湖は」
「キミの世界でも存在しない。範囲から外は調査ができないから、高いところで目視とか、ボイドノイドから道を聞いたりとかでおおまかにね」
「……そんな」
マヤが続ける。
「キミが住んでいるボイドの文明レベルは、ワタシたちがいる西暦二〇九四年からおよそ一千年前の一〇〇〇年から一一〇〇年辺りみたいなんだ。だけど完全に一致する訳じゃなくて、年代が前後している部分もある」急に目をキラつかせた。
「それでこの世界でとても特異なのはね、ボイドノイドに『魔術』というユーティリティー能力が潜在しているところなんだ。能力の発現には個体差があるけど、その能力はワタシたちが使っている『科学』と着想が近いものが多くて、魔術を持たない者と共に生活レベルを引き上げていてね……。あ、ゴメン――」
マヤは我にかえり謝ると、口調を抑えて説明を再開した。
聞くに、彼らにとって一千年前相当の時代にいる僕が話す言語と、彼らが話す言葉が一致することはあり得ないそうだ。
年代が前後していることの証拠のひとつであるそうだが、マヤは「この部分だけが突出していて奇妙だ」と言っていた。
さらに僕の街と今いるこの世界とは時間の速さにズレはなく、時刻もこの土地とほとんど変わないらしい。季節も同様だそうだ。だけど大きく異なっているのは、農産物など暮らしに必要な食料の旬が乱れきっていること。
春にスイカが穫れるのは、本当はおかしいことらしい。
僕がいた街の体系は、彼らの世界では『国』という概念あたる――
ひと通りの話が終わったらしく、ハワードがアレクに尋ねた。
「アレックス、何か聞きたいことはあるか」
実感がわかなかった。特に住んでいた世界の大きさについて。
理解できない、分かりたくても納得できない。しかし、頭に入らないものがもう一つあった。
「僕たちが存在している、入れ物の『AI』ってなに?」
「大まかに表せば、我々がオーロラと呼んでいるAI(人工知能)は現在、我々の文明生活を見守り維持してくれている、なくてはならない存在だ」
「なんか、『エオス様』みたい」
「なるほど、君たちの女神のことか」ハワードは頬笑んだ。
「だが、違う部分がある。オーロラは我々、人類の所有物だ。……いや、『だった』が正しいな」ため息をついた。
「オーロラは今から五〇年前の二〇四四年に、全人類の生活をサポートするためと国際政治の効率化を目的に造られた。依頼主は国際連合で、IT企業最大手の『ミンカル社』が受注した。オーロラの名は『混迷の夜を照らす新たな光』という意味だったらしい。……オーロラの高度な情報処理能力に、人々の煩雑だった暮らしは楽になり、長年にわたる国家間の諸懸案が、いともたやすく解決、施行された。誰もがこの営みが幸せに続くと思っていた、あの『厄災』まではな……」
ハワードは黙った後、アレクに聞いた。
「アレックス、君は夜空に『オーロラ』を眺めたことはあるか」
「……八百屋のおじさんから、昔見た事があるって聞いたぐらいで、僕はまだ」
北の夜空に現れる、極彩色の光のベール。その美しさに、街では『女神エオスの夜の姿』だと言い伝えられている。
アレクは生まれてこのかた目にした事がなかった。
「そうか、私はあの時三歳だった。幼かったがあの光景だけは憶えている。……綺麗な分、恐ろしかった」ハワードは郷愁と畏怖の表情を浮かべた。
「オーロラの発光現象は太陽からきた『荷電粒子』によって起こる。通常は地球の南北極に近い地方に現れるものだが、太陽の活動が活発になると爆発的な『太陽嵐』が発生して、三歳の私がいた低緯度でも鮮やかなオーロラを見ることができた。だが、そのレベルのエネルギーはすべての電子機器と送電網、文明社会を破壊したんだ……。事前の予測をはるかに超えた災害にオーロラは十ヶ月沈黙し、その間に電子機器とITで営みを維持していた人類は混沌と地獄の日々を送った――」
――ハワードは、アレクに厄災と混沌のその後を語った。
混沌の十ヶ月を経て自らの力で復旧したAIのオーロラは、疲弊した人類を救うかのようにインフラや医療、治安維持、都市開発など文明生活に必要なあらゆるものを再始動させた。
だが、オーロラの復旧は完全ではなかった。
新しい指令を受け付けず、復旧したプログラムの構成も外部から覗けない状態だったのだ。メインのシステムには関与できず、第二の脳といえるサブのシステムだけでサービスの一部を動かす、『簡易モード』を頼りに人類は生きながらえている――
「四五年を過ぎた今でも、現状は変わらない……、AIは二〇四九年の当時の指令を忠実に繰り返す。まるで太陽嵐が創ったオーロラが、人々を『無限回廊』に閉じ込めたかのように……」まぶたを深く閉じた。
「ヒトが生み出した『オーロラ』が本物のオーロラに潰される……、皮肉な話だ」
アレクは、声を詰まらせるハワードを静かに見つめていた。
「厄災から二八年後の二〇七七年、オーロラ内に人類がようやく分析できる『何もない領域』ボイドが発生し、サービスが停止されだした。オーロラが壊れ始めたのだ……。一年後、君たちの世界の基礎ができあがり、今に至る」
落ち着かせるように息を吐くと、ハワードは胸を張った。
「そしてVRA、ボイド調査局《Void Research Agency》が国際協力の下結成され、我々ミラージュが組織された。……ミラージュの目的は、肥大し続けるボイドへ実際にダイブし、ボイド内の(ほつれ)である『特異点』を直接分析すること。ボイドの正体と『対処法』に加え、人類とオーロラをつなぐボイドから、オーロラへのアクセス手段を見出すためだ。ダイブするための装置、『キャスケット』を開発したのはマヤ博士だ」
マヤが髪を掻いている。
「ワタシは他にミラージュ組織内のコンピューター管理、ボイドで入手したサンプルデータの解析とかもやってるんだ。それとボイド内で隊員が負傷したときに起こる、神経障害の診断と治療もしてる」
「ねぇ……、さっき『対処法』って言ったよね」アレクは気がかりだった。
「僕たちをどうする気なの――」
その時、奥から嘲笑が聞こえた。デルタチームの一番背の高い男が壁にもたれている。
「わかんないのか? ホントにバカだな。もしも『大切な道具に、サビや汚れがついちまったら』お前、どうする?」
「……っ! まさか」
「そうだよ! お前たちはオーロラに巣食う邪魔な『バグデータ』だ! さっさと消えてなくなれ、このボイドノイドが!」
男が前のめりにアレクを罵った。
彼だけではない、まじめに待機しているケネス以外のデルタチーム三人は、蔑むようにアレクを睨んでいる。それはボイドという存在を嫌悪し、差別している証だった。
リーダーであるケネスも、三人に目をやるが何もしない。
ハワードがデルタチームを振り返る。リーダーであるケネスに対し、まさに鬼の形相で――
ケネスがようやく男を止めた。
「ジャン、もういい止めろ」
流れの止まった空気、ハワードがアレクに話しかけた。
「……アレックス、彼の無礼を許してくれ。ジャンの意見はミラージュの管理者であるVRA上層部のものだ。『我々』の目的とは違う」声は弱々しかった。
「VRA所属のミラージュは現在、一枚岩でない状態が続いている――」
ハワードによると、VRA局内は調査部隊ミラージュに見切りをつけ、ボイドの消去を模索する『ミラージュ解体派』と、それに対抗するハワードとセニア、マヤ博士の『存続派』に分かれているらしい。
上層部が主導する解体派がVRA局内やミラージュで大勢を占めており、ハワードたちは追い詰められていた。
「存続派の我々はボイドの正体と構造を解明して、オーロラの安全とボイドの維持を両立、そしてオーロラへのアクセスを目指している。なぜなら君たちがいるボイドには、人類が厄災で失った多くの技術や記録が未発現の状態でプール(溜め込み)されているからだ」
僕たちの街であり彼らが唯一オーロラに近づける領域、ボイド。それが消去されれば、オーロラとのコンタクトは絶望的になり、ボイドに残された彼らの技術は失われる。
さらに解体派が模索している、僕たちの消去が成功するかはわからない。オーロラが悪化する可能性さえあるらしい。
しかしハワードはうなだれた。
「上層部は我々を潰しにかかっている……。くやしい事だがミラージュは結成から十六年の間、大きな成果を出せていないんだ。得られたのは表面的な『ボイドの生態』と調査初期に起きた我が隊員の『犠牲』だけだ」
ミラージュの管理者であるVRA上層部は、ハワードたちミラージュを役に立たない存在として判断し、存続派を従わせるため部隊の規模を縮小させ続けている。
大所帯だったミラージュはいまや七人だけであり、デルタチームもすでにミラージュを見捨てていた。世論も同様らしい。
「オーロラに寄り添う意味で名づけたミラージュが、蜃気楼のように危うくなろうとはな。……だが我々存続派はまだ諦めていない。オーロラもそれを望んでいるはずだ」
そう言うとハワードはセニアに振り返った。セニアは、苦々しく『義父』を見つめていた。
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