#14a 蜃気楼/mirage
「ぼいどのいど? どういう意味だよ」
「そうだった、それもこちらでの名称だったな。ええと、君の名前は?」
「……アレックス」
「『アレックス』か、よろしく」
アレクは本来の名である『アレックス』を口にした。奴等に、街で親しげに呼ばれている『アレク』を使われたくなかったからだ。
偽名を名乗ることもできたが、もう遅い。
「教えてくれてありがとう。では、我々も君に名前を教えねばな」
ハワードのシワの入った顔が引き締まった。
「私は、ボイド調査部隊ミラージュで指揮官をしている、ハワード・オーウェンだ。そして君の後ろにいるのは、セ……」
「セニアよ。よろしく」
ハワードを遮りセニアが名乗った。裸に白衣を羽織り、アレクやハワードへ目を合わせようとしない。
表情がトゲトゲしい。
「キャップ、ここを離れてよろしいですか。わたしは着替えたいのですが」
「……そうだな、着替えてきてくれ」
セニアは部屋の壁に隠された収納ダンスから衣服を引き出し、暗い部屋へ消えていった。
「私の娘だ、血は繋がっていないが」
セニアがドアを閉め切った事を確認してハワードは言った。
「ちなみにアレックス、彼女と路地で会ったか?」
「あぁそうだよ、殺されそうになった」
「やはり君だったか」
ハワードの顔がほころんだように見えた。なぜそんなことで嬉しがるんだ。
「この話は長くなる。また後日にしよう」マヤに顔を向けた。
「さきほど聞いたと思うが、彼女はカタギリ・マヤ博士。ミラージュの技術部門の主任だ」
マヤがニッとする。
「どーもアレックスくん。ワタシは元々『ホログラム工学』の専門家でね。あっでも医療分野とかもかじってるんだ。またあとで診させてもらえない?」
なぜだろう、笑顔に背筋が寒くなった。
「スライドドア近くの四人はミラージュの実動部隊、デルタチームだ。リーダーは『ケネス・バレット』」
肌の色の濃い、『南方の民』の男が姿勢を正す。
「よろしく、横の三人は私の部下だ。紹介する――」
ケネスが部下の紹介を始めた。一人は他の二人より頭一つ分背が高い。三人ともやる気なく壁にもたれ、こちらを見ていた。
「ケネス、ありがとう。私とデルタチームは軍出身で、私の階級は大尉だ。ミラージュでは通例と違い、ファーストネームで呼び合うことにしている」ハワードがアレクの目線に屈んだ。
「改めて、これからよろしくなアレックス。お互い仲良くしよう」
気付けば、セニアも部屋に戻っていた。薄手の赤い羽織りに白い服、短めのズボンをはき、アレクを睨んでいる。
「……じゃあ、僕のお願いを聞いてくれない?」
「うむ、どんなことだ」
「仲良くしたいなら僕をエオスブルクへ帰せよ!! こんなおかしな場所に連れてきて、ここはどこなんだ。この変な体も元に戻せ! お前たちの目的はなんだ、くろ……ミラージュめ!」
分からない事だらけ、アレクは叫びに近い抗議の声を上げた。
何が、自己紹介で「仲良くしよう」だ。すぐに殺されない事は分かったが、大昔から街で悪事を働くこいつらに騙されるもんか。
言い放った後も、怒りと緊張でしばらく息が整わなかった。
ハワードの眉尻が下がる。
「落ち着け、と言うのが無理なのはわかる。しかし、ここに来てしまったからには我々の言葉に耳を傾けてほしい。どこまでも君たちをだますことはできない」
「どういう意味だよ」
「まずは我々の話を聞いてもらうために、君の部屋を作る。君は四〇三号室から出られない状態だが、広い部屋で逃げ回った場合、会話が成り立たないからな」ケネスへ指示を出した。
「簡易ベッドを設置してくれ、どの部屋も同じ場所にしまってあるだろう」
ケネスはやる気の無い仲間に指示を出し、向かいの壁を開け、出した部品から足が金属製のベッドを組み立てていく。
自らの部屋を勝手にいじる四人を、セニアは見つめていた。
ベッドが完成するとハワードがマヤに目配せをし、彼女の指がコンソールデスクを叩いた。
巨大な窓から見えた夕焼けの空は、いつしか赤紫色に黄昏れている。
「ではアレックス、ベッドに座ってくれ」
アレクも聞きたいことは山ほどあるし、逆らうのも分が悪い。ハワードの求め通りベッドに座った。
それがいけなかった。
「博士、頼む」
その瞬間、ベッド周辺の空間が微かに光った気がした。
「……今のは?」
マヤが頭を掻いた。
「キミの『描画範囲』をベッドの壁を中心として、十フィート(約三メートル)に制限したんだ、ゴメンね。このベッドは、さっきホログラムの『オブジェクト』登録をしておいたから、タオルと違ってすり抜けないでしょ。つかってね」
「つまり君をそこから出られなくした、という訳だ」ハワードの目が鋭くなる。
「君にはしばらく、そこで過ごしてもらう」
「ぐっ……! 出たらどうなる」
「試してみるか?」
「う……、――っ! ゆっ指が!!」
消えた指の先といやな感覚に、アレクは手を引っ込めた。見れば指はもとに戻っている。
「そういうことだ。手荒なことをしたが許してくれ」
「……わかったよ」アレクはうなだれた。
「それで、『話したいこと』ってなに」
ハワードは一呼吸つけ、姿勢を整えた。
「我々ミラージュは、君にして欲しいことがあるんだ、協力してくれないか。君のようにVRAビルにやってきたボイドノイドは初めてなんだ」
アレクはため息をついた。
「だから、その『ぼいどのいど』って何だよ。僕はエオスブルクに住む一般人だ。……それじゃ、ここは僕の街じゃないんだな」
「そのとおりだ、ここは合衆国にあるバージニア州の北東部に建つ、VRAビルの中層の居住エリア、一一八〇フィート(約三六〇メートル)の四〇三号室だ。……そう驚いた顔をするな、この高さの建物は我々にとって一般的だ」
「崖に建てられたアジトだと思ってた……」一気に不安が募った。
「どれだけ僕の街から離れてるんだ……。『合衆国』と呼ばれてる街の名前なんて、聞いたことがないよ」
今いる建物の高さは、エオスブルク城をはるかに超えている。そんな高さの建物が『一般的』に建てられている街のうわさなら、いやでも耳に入るはずだ。それだけ故郷から遠いのだろう――そう思った。
「そこなんだがな、……君にはつらいことと思う。だが、伝えなければならん」
ハワードはアレクの瞳を見続ける。少年の心に真実を訴えかけるように。
「君たちが住む、エオスブルクは――この世に存在しない」