#12a 再会
シャワーブースに行き、セニアは固まってしまった触媒液を落としきった。だが、
「暑い……」
冷えた身体を温めようと少しだけシャワーの温度を上げただけなのに、急に全身が火照りだした。タオルで拭いている今でも汗が滲んでくる。
「いつもはこうじゃなかったはず」
やはりダメージの影響で、自律神経も乱れているらしい。
これでは服が着れない。
「仕方ないか。まぁ、誰も居ないし」
一向に終わらない『のぼせ』に諦めをつけて下着を一枚穿き、バスタオルで髪を拭きながら、キャスケットルームのスライドドアへ向かった。
ドアが開き、その先はセニアの生活空間である。
キャスケットルームはセニアが住むVRAビル、居住エリア四〇三号室にある一部屋だ。普段の生活で使う場所は、任務の為に利用するキャスケットルームとは雰囲気が異なる。
打ちっ放しのコンクリートとステンレスの鋼材が地のままに使われた、無機質なキャスケットルームに対して、白が基調の化粧板が壁に施されている。広い空間には寝室やダイニング、キッチンなど部屋割りはなく、磨りガラスに似たプラスチックが控えめに区切りを表現していた。
採光も大きく南側に設けられている。窓ガラスはビルから緩やかな曲面で球体状にせり出しており、一段下にある『展望ルーム』の天窓と出窓も兼ねていた。
高層ビル群の向こうで、ポトマック川が夕日にきらめいている。
展望ルームの窓は外から見えない加工がされている為、こんな格好でも覗かれる心配はないのだが、やはり今は近寄る気になれない。
空調も適切に管理されているので、風邪はひかない。セニアは火照りが引くまで、裸で過ごすしかなかった。
タオルを肩に掛け、セニアは部屋の中ほどに置かれている『コンソールデスク』の前に立った。
幅が広い、白色の立ち机に似ているそれはルームコンピューターである。空調や照明などの管理に加えて、リンクしているキャスケットのデータなどを保存、共有したり、外部のネットワークにアクセスすることもできる。埋め込まれたタッチパネルの隅には、接続されたディスプレイが刺さっていた。
保管領域にアクセスすれば、既に今回のデータがキャスケットから自動保存されている。後でハワードに促された時に、バイタルデータ以外をすぐ送信できるよう閲覧を閉じずにおく。
メールの受信フォルダを確認する。作戦中に起きたことは、キャスケットルームで聞いたこと以外ない。『アルファチーム解散。該当隊員は一部を除き、VRA上層部の命で他部署へ異動』との旨が書かれている。
外部部署からの受信フォルダも見る。件数はゼロ、通常メールも『ホログラムメッセージ』もなし。
任務の後に行うマニュアルは終わった。
「しびれは、……ないか」
左手に目をやれば違和感はとうに消えていた。ついたため息に、寂しさの色が混じっていた。
セニアはコンソールデスクをミラージュ専用のネットワークから、オーロラのものに切り替えた。接続されているディスプレイに極光の絵と『ミンカル社』のロゴが映る。
人工音声が接続状況を伝えた。
〔オーロラ、メインに接続中……アクセスエラー、接続できません……システム再起動……接続を『簡易モード』に変更……接続中……簡易モードの接続に成功しました〕
画面が切り替わり、音声も抑揚のついた聞きやすいものに変わった。
〔オーロラのパーソナルサービスにようこそ、セニア様。今日は西暦二〇九四年五月七日金曜日、十七時四五分です〕……すると、スピーカーから心地のよい音楽が流れ始めた。
〔おめでとうございます、今日はセニア様の十五歳のお誕生日です。正確な誕生時刻は二一時三八分〕
画面には『Happy Birthday!』の文字が踊っている。
「忘れてた。そっか、あと四時間で十五になるんだ、わたし」
弾むような嬉しさと共に、何も言わなかったハワードが思い浮かんだ。わたしの誕生日なんて、あいつは覚えていない。今までもあいつが祝ってくれたことなんてなかった。
……違う、そうじゃない。
元々わたしは誰にも必要とされなかった。どの人間も、わたしの存在を望まずに忘れ去ろうとした。ここにいる今でも、VRA上層部と部隊内の『解体派』をやり過ごす為に、ハワードなど一部の人間がわたしを『道具』として置いているだけ。
そう、人間に捨てられたわたしを拾い、小さい時から見守り今まで育ててくれたのは。そして、わたしが生きる理由を創ってくれた、
大切な――わたしの母親は――
「祝ってくれて、ありがとうございます。オーロラ」
セニアは、ほのかに笑みを浮かべた。
その時、突然のことにセニアは驚いた。
横の空間が光りだしたのだ。それは粒子にまとまり、少しずつ何かが形作られていく。『それ』が何なのか、次第にはっきりしていった。
ちょっとだけ低い背丈、ハネた黒髪、くりくりとした褐色の瞳……だが。
「ひっ!……」
現れたボイドノイドの少年に、セニアは顔を真っ赤にした――
――
――どこかへ駆けていく様な感覚がする。暗闇の中、何も感じない世界で。
「ここは、一体どこなんだろう」
そう独り言をつぶやいても、耳に声は入らない。
アレクが目を覚ますと、そこに街はなかった。『タンマツ』の光に包まれてから、上下も左右も分からない空間がそこにある。
何もない、無の場所を駆ける感覚は続く。
「うん? なんだ」
急に目の前が明るみだした。暗闇の世界は霞んでいき、アレクは街の中ではない、白い部屋に立っていた。
ぼんやりと人影が見える。それが次第にはっきりしていくと、誰なのか判った。
ほとんど同じ背丈に、湿っているがショートカットの髪は淡いアッシュブロンド。
大きな目にきりりとした瞳は琥珀色。
あいつだ、黒魔術団の少女だ。
だが今の少女に勝ち気の色は見えない。タオルを前に寄せて、小さく震えながら綺麗な顔を真っ赤にしている。
潤んだ目が怯えるように、こちらを見つめていた。
でも、なんだか目線が合わない気がする。それにタオルで前を隠して、肩が見えている、ということは……。
――途端、少女がバスタオルを投げつけてきた。
広がったバスタオルで、視野が上から遮られ――
――ない!?
僕の身体をすり抜けたよな……今、いやそんなはずは……。
少女に目がいく。真っ赤な顔で口をぱくつかせている彼女の、
朱が入った色白の素肌、
しなやかで引き締まった細身の肢体、
その裸体についた小さなふたつの、ふくら……。
「あっ、あわっ……」
マズい……。たっ、タオルを――アレクは足元を見た。
落ちたタオルが足の真下にめり込んでいる。あり得ない状況、だがそこより――
「え……、僕」
なにも、着て……ない――
アレクは叫び、セニアは悲鳴を上げた。
四〇三号室に響きわたる絶叫は窓の外にまで聞こえるほどだった。
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