#082b 運命
あれから三週間がたった。
僕はきょうも、街へ出かける。我が家で支度を終えたあと、棚にある母さんのペンダントに目を落とした。極光色のガラス玉が美しいペンダント。のちの調べでロラ・ユーイングもこのガラス玉を、大きさは違うがイヤリングとして使っていたらしい。
ペンダントにそっと手を触れる。
「いってきます」
我が家を出た。
暁の街エオスブルクは昼過ぎ。夏も終わりがみえ秋の気配を肌に感じる。通りをそよ風が吹いていた。
ロラことAIオーロラによる『機能の移植』は完全に成功した。この世界ボイドがいまや現実世界を維持する存在となり、人類はボイドを憎む理由を失った。まだ日は浅い。ボイドへの印象がしだいに変わる事を願うばかりだ。それからボイド世界にも大きな出来事がおきていた。
ボイド世界が、八次遷移後に相当する年代にもどっていたのだ。八次遷移後といえば僕が本来いたボイド世界だ。ちなみに棚に置いてあった黎明日祭の絵も、エオス様をしめす装飾も当時の姿にもどっていた。
理由はいまもわからないが『女神エオス様』の容姿を定めない八次遷移後ボイドの文化が、『移植』に好都合だったのではないか、――そんな憶測がミラージュでは語られている。
けれど当時とはすこしちがう部分もある。街の敵だった『黒魔術団』という存在はいまの街にはない。にぎやかで活気あふれた、平和な街がここにある。
なつかく感じるいまの街も、遷移後に現れる街たちも、僕は好きだ。
声を張る肉屋にあいさつをして、駆け足で駄賃稼ぎにむかう。仕事が終わった夕方すぎにはセニアと会う予定もつくった。ミラージュ隊員も怯えずにすむようになり、彼女もより安心してこの世界に居られる。仕事終わりが待ち遠しい――
ふいに、空をみていた。
「ロラ……」
――
――夕方。大通りにある酒場での荷おろしを済ませ、きょう最後の仕事が終わった。ご機嫌な店主のはからいで店にあるメニューをご馳走になる事にもなった。もちろん僕は酒を飲まない。
お客さんたちとおなじようにテーブルのまえに座り、料理を待つ。ここは窓辺の席。外の景色に目がいった。
アーチ状のすこし曇ったガラス窓からは街の中心、エオスブルク城が遠くにみえた。尖り屋根が美しい白い城。
「……僕もいたんだよな、あそこに」
いま思い返すと、城内で過ごした日々がまるで幻だったように感じてくる。
城の王エドモントはいまどうしているだろう。そして、ラルフさんはもう――
そのときだった、
「お! アレクか、お前がこんなとこにいるとはよ、めずらしいな。ガハハ」
「……あれ、おじさん?」
聞き憶えのある声にふり向くと、いつもお世話になっている八百屋のおじさんがいた。普段から笑う人だけど、いまのおじさんはいっそう元気に感じる。
尋ねてみた。
「きょう何かありましたか」
おじさんは「おうよ!」と威勢よく言って笑った。
「じつはな、俺の昔からの大親友が長旅から帰ってくるんだ。その知らせが午後に届いてよ、嬉しくててひと足先に飲みに来ちまった。店もはやく締めちまったよ」
「友達、ですか」
「ああ楽しみだぜ、お前にも紹介してやる。良いやつだぞ」
おじさんはそう言って僕の肩を叩く。彼の表情からその親友とどれほど親しいかが伝わってきた。きっと本当に良い人なんだろう。あしたが楽しみだ。
おじさんの頼んでいた料理が運ばれてきたらしく、「んじゃあな」とおじさんは自分の席に戻っていった。
窓の外ばかり眺めていたせいか、おじさんにいままで気づけなかった。きょう僕は視野が狭いらしい。もうすこし広くしておこう。そんな事を思いながら店内にいるお客さんたちに目を向けていた。……が、
きょうの僕は、視野がとことん狭かったようだ。トンでもない人が酒場にいた……。ここにいてはオカシイ人が。
彼女の、テーブルまで近寄った。
「マヤ!? どうして、ここにいるんだよ!」
「ようやくワタシに気がついたか。ごきげんいかがかなアレク」
マヤは、にししと真っ白な歯をみせていた。
彼女の顔はわずかに赤らんでいて、お酒のにおいもする。テーブルにある料理の皿も二枚ほど重ねられていた。馴染んでいる雰囲気からも、どうやら長居をしているらしい。
僕の表情を読み取ったのか、マヤは「まあまあ」と目を細めた。
「この世界はほんと最高だネ! みんな優しい人ばかりで景色もきれい。それからこの酒場っ!! 『ほんとうに酔えるお酒』が飲めるんだ。現実世界にある内臓に負担はかからないから理想のお酒だねコレ。かれこれ三週間ぐらいは定期的に来てるよ」
「はあ!? 三週間も!?」
「うん」頷いたマヤはテーブルのジョッキを片手にもった。泡立つ酒が入っていた。
「局長が当時接収していたキャスケットからダイブしてる。いまは解放されているやつだ。けど無理やりにでもキャスケットを増設して遊んでおけば良かったかも、こんなに良いところならさ」
そう言って、彼女はあたりまえのようにジョッキを傾けた。
肉体と切り離された場所、ボイド世界の『酔えるお酒』――現実世界でフェイクリカーを虚しく飲んでいたマヤには、この世界での飲酒は相当に嬉しいだろう。
彼女は自らの身体を気遣おうと、ニセ酒を選んでいた。レンと再開するために……。
けれど――
「えっ……マヤそれは」
僕は、目をとめる。ジョッキをもつマヤの手に。
彼女の手は、目立つ皺があった。いくつも、まるで年老いたような。
「ん? どうかした」
マヤが僕の視線に気づく。横目で僕を観察していた彼女は、「ああコレね」とそっけない口調で返したあと、テーブルにジョッキを置く。
ちいさく、息をもらした。
「『老化』だよ。いままで肉体年齢が二十代だったから目立つね。実年齢に相応するまでは、もうちょっと掛かりそうだ」
困惑する僕にマヤは続けた。
「アレク、ワタシはボイドに入り浸るうちに身体に変化があったんだ。気になって検体を専門の機関に出して調べてもらった。……そしたら、あることがわかった」
「あのニセ酒、フェイクリカーに含まれていた添加物の一部が、ワタシのゲノムにある『長寿に関係する部分』につよい作用をおこすと認められた。それからDNAのメチル化を抑制したり、ほかのエピジェネティクス的(DNA配列によらない後天的な遺伝子発現の変化)な作用を抑える、――具体的には『老化を抑える』効果もあった」
「つまり……」
「『フェイクリカーがワタシの老いをとめていた』、というワケ。……ボイドのお酒で満足ならフェイクリカーは飲まないし、まあこの身体になるのも当然だね」
そう言ってマヤは自分の手をみつめた。陽の光が、皮膚にきざまれた手の皺をはっきりさせていた。
「フフッ……まるでおとぎ話にある魔法みたいだよ。レンに逢えないとわかった途端に、解けちゃってさ」
笑みをうかべて言ったマヤ。彼女は、僕に目をむけた。
「これで、ワタシは未来へ歩きだせる――そう思うようにしたよ。彼との思い出は大切にしまうつもり。……けどねアレク、キミにはいちど聞いておきたい。心持ちについて」
「自分の存在について、キミはどう整理してるかな? レンがキミを構成していることを」
……そう。僕はレンの『成れの果て』だ。潜在的な意識も、過去の記憶もレンに関係していた。いわば彼は僕の『前世』で、僕という存在はずっとレンが歩んだ運命を、再現していたんだ。
僕は、マヤに答えた。
まっすぐに彼女をみつめて。
「じつを言うとねマヤ、僕はいまも『レンの運命』のなかにいるかもしれない。いまある願いもこれからの決断もみんな彼の再現で、僕はそのとらわれた運命を、無限回廊をこれからもめぐり続ける――それが違うという自信はいまの僕には無い。でも、」
「僕はあの人が歩めなかった、未来を歩いている。それだけは確実にわかるんだ。いつかきっと僕の道になって、僕が見る世界になる。そう信じている」
正直、いつになるかはわからない。だけどいつの日か、これが僕の答えだった。
マヤは少しのあいだ僕をみつめたあと、やさしく頬笑んだ。
夕陽もかげり、街は夜の色合いに染まりはじめている。食事をすませマヤと分かれた僕は、酒場から大通りにでる。
人混みのなかに彼女を見つけた。待ち合わせたセニアと僕は、一緒に黄昏れたエオスブルクを進んでいった。
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