#11a Xenia
手元と髪はタオルで拭いて、煩い呼び出しに応えようとしたが、目の前には通信に使うカメラがある。少女は備え付けの引き出しから、セロハンテープとメモ紙を取り出し、カメラとモニターに貼り付けた。
通信のチャンネルを開く。
聞こえてきたのは、初老の男の焦る声だった。
〔セニア《Xenia》、大丈夫か! 聞こえるか、おいセニア!〕
「『ハワード』キャップ、こちらは無事です。ご安心を」
部隊長であるハワードに対し、少女――セニア――が発した声は冷ややかだった。
〔はあ、良かった〕
ほっとしたハワードの表情は、モニターに貼られたメモ紙が隠している。
〔本当に大丈夫か。こちらのモニターには、何も映っていないのだが〕
「レンズを塞ぎました。シャワーの最中でしたので」言葉を続けた。
「わたしの部屋とキャスケットルームに勝手に現れない、という約束を守って下さったことは感謝します。ですが、わたしはまだ」
〔すまない、早めに『上層部』へ任務の報告書を渡さなければならなくなった〕ハワードは、セニアの申し出を退けた。
〔急な話だが、ミラージュの規模縮小により、アルファチームは解散、廃止される。上の指令には逆らえん〕
「……そうですか」
ふやけていた全身の触媒液が、乾燥し固まっていく。
VRA所属、ボイド調査部隊ミラージュは、ボイド自体のデータ分析と発生元であるAI、オーロラへのアクセス手段確立を主として設置された。だが、二〇七八年の初調査は二ヶ月後に『事故』を引き起こし、半年後に再編成された四チームも、今回の縮小で、デルタチームを残すだけとなった。
〔次から『デルタチーム』に移ってもらう。今回もアルファチームから離れて単独行動したようだが、もうするな、セニア〕
「どこへ行っても、わたしが受ける扱いは同じです」
ぽつりと自らのことを言う彼女に、ハワードは言葉を詰まらせた。
〔……セニア、すまない〕
スピーカーから聞こえる声に対しセニアは拳を握りしめていた。こびりつき、乾ききった触媒液の跡にびびが入るほど。
『この男』はいつも卑怯だ――ハワードに会うたび思う。
こいつは昔から、都合の良い時だけ……。絶対認めない。こんなやつは、わたしの――
煮えるような感情を飲み込んで平静に戻す。
「キャップ、……任務結果の報告をしてもよろしいですか」
返ってきたハワードの声は、どこか小さかった。
〔ああ、頼む。ある程度の把握はしているが、チームから離れた後の経過を言ってくれ〕
ミラージュの任務後に行う報告は大きく分けて二種類ある。口頭報告と、キャスケットに蓄積されたデータの提出である。データの中には、ダイブした隊員がボイド内で集めたあらゆる情報や隊員自身のバイタルデータが記録されている。
セニアは口頭報告を始めた。
「時刻15:42にアルファチームから離脱後、調査の優先範囲からもれた『特異点』をマッピング端末で発見。ですが、向かう途中で端末を落としました」小さくため息をついた。
「残りは、『少年型ボイドノイド』の抹消行動中に通信機で報告した通りです。『端末』という名前と存在を認知されたので、『トリアージのレッド区分』とその場で判断しました」
〔TCレッドか……〕
「最終的に状況が不利に傾いた為、戦闘後退避しました。ボイドノイドを取り逃がしたので、抹消の規約に従い、今回の事案を『会議』に上げて、次は必ず抹消を完了させます」
〔『会議』で抹消妥当の判断が出ればな。セニア、お前はボイドに厳しすぎる。抹消も『介入』に入るんだ〕ハワードは説教めいた口調で言った。
〔今回の事案は誤魔化して距離をとった後、様子を伺うべきだった。更に他隊員が衛兵の『死体』が搬送されるのを確認している。不必要な抹消を行うな〕
「あんな場所に、躊躇いは必要ありません。アレのせいでオーロラが!」
〔ダメだ、必要以上の『介入』を行うな。オーロラがどうなっても良いのか、十六年前の初調査の犠牲も『介入』で起きたんだぞ〕
「……わかっています」
セニアは下を向いた。
調査を行う彼らは、『暁の街の人々』に正体が露呈することを徹底的に警戒し、いざとなれば彼らを排除する。『介入』を最小限に留める為に。
〔口頭報告は以上だな。では、次にキャスケット内のバイタルデータを送信してくれ。今回は報告書を早く仕上げる為に、分析に時間が掛かる他のデータは後回しにする〕
「はい」
セニアは通信ブースからキャスケットにアクセスし、バイタルデータをハワードに送信する。データ量は膨大な為、最新のシステムでも時間が掛かる。
〔ちなみにどういう状態だ〕
「左腕にダメージを受けました。手の打撲と、前腕(肘から手首の間)は矢による創傷です」キャスケットから出ようとした時を振り返る。
「ダイブアウト直後、左腕の神経伝達に異常を確認。知覚、運動機能に麻痺が起きました。前例通りです」
〔今はどうだ、セニア〕
「少し……しびれるくらいです」
手をじっと見つめた。
〔そうか、しびれが残るなら『マヤ博士』に診てもらうんだぞ〕
「承知しています」
送信の進捗は伸び続け、百パーセントに達した。
〔受信が完了した。目を通しておく……ん?〕
ハワードが、驚きの声を上げた。
〔おい、セニア! ……お前、笑っ――〕
セニアは通信を閉じた。
「はぁ……。シャワー、浴び直そう」
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