#081b 夕陽のおりるさき
テッドが世を去り、三日後――
ある事実が発覚した。
「なに、『テッドの手記』だと」
「そうだハワード。わが職員らが彼のアパートを調べたときに発見したものだ。記憶媒体に暗号化された状態で記されていた」
ハワードさんとVRA局長のルイが立ち話をしている。長くいがみ合う関係だったふたりも、いまではむかしの間柄に戻りつつあった。当時を知らない僕にはすこしばかり不思議に感じる光景だ。
ルイは続けた。
「解読できた手記によると、テッドはミンカルの再興が真の狙いではなかった。彼の最終目標は、……『AIオーロラの廃棄』だ」
テッドはオーロラを手中におさめミンカル社を復活させたあと、オーロラ自体を廃棄処分するつもりだったらしい。さらに手記にはのちにミンカル社も解体、ノウハウを世界中に分散すると記されていた。『厄災後の人類を縛るものは、みな廃す』という文言も。
「……こんな思惑をもし表立って言えばオーロラで維持されてきた世界は拒絶しかねん。彼が裏で動いてきた理由はこれだろう。しかしボイドに蝕まれつづけるオーロラはいつの日か動かなくなる。いっときの混乱を恐れるより、長期的な視点を彼はとった」
「テッドは、悪役をこなしていたのかもな。誰からも憎まれる役回りを」
そう言い終えたルイは、僕に目をやった。
「……いまさら遅い話だが、この場を借りて君と、ボイドノイドたちに詫びたい。さまざまな事実を知り、俺は愚かだったと気がついた。俺が憎悪を抱いていたものはバグデータではなく、人間だった。本当にすまなかった」
「ルイ局長、僕はもう大丈夫ですので。ありがとうございます」
謝るルイに僕は応える。彼の誠実な態度にこちらも身が引き締まった。
そばで見ていたハワードが口をひらく。
「まあ、結局我われは最初から最後までテッドの手のなかだった。どちらへ転んだとしても……」
「そう、ですね……」
ハワードさんの言った内容に、同意するしかない。
ここは個室まえにある廊下だ。ハワードさんやルイ局長だけでなく、僕やセニア、ミラージュメンバー全員がこの場所にいる。
ドアを抜けた個室。そこには、
ロラ――AIオーロラが、消失寸前の状態に陥っていた。
部屋は、家具もない殺風景な空間だった。無機質な白壁を夕方の陽がオレンジ色に染めている。陽がおりるさきにはベッドがあり、ロラがひとり横たわっていた。彼女は僕たちに気がつくと顔を向けて、力無げに頬笑んだ。
十六次遷移――ロラを蝕む今回のそれは以前と性質が異なり、彼女にいっそう深刻なダメージをあたえていた。ホログラムとして現実世界にも出現できるようになった以外、彼女によい要素は無い。消失はすでに時間の問題だった。
みな無言で彼女をみつめるなか、僕とセニアはロラのそばに寄る。できるなら助けたい。でも弱った姿の彼女に何もできない。
自分が悔しかった。
「ロラ……」
迷いながら口にした僕の呼びかけに、ロラは言った。
「アレク、セニア。ご心配をかけてしまい申し訳ありません」
「大丈夫だよロラ。気にしないで」
これ以上、何も返せなかった。となりのセニアは眉間にしわを寄せている。悲しさを我慢しているようだった。
弱ったロラの姿をみて、むかしの記憶が脳裏をよぎった。それは母さんの姿だ……。
ここにいるロラことAIオーロラは、レンの妻ロラ・ユーイングの情報が厄災の影響で入りこんだ存在。それは僕の母さんと共通する存在でもある。つまりロラはいま、母さんとおなじ運命を辿ろうとしている……。
すると、僕をみているロラはふたたび頬笑みを返した。
「もう存じておりますよ。わたくしの一部がひとりの女性から由来していることを……。そしてあなたさまは、わたくしとお母様を重ねたのではないですか」
「えっ」
驚いた僕にロラは続けた。
「テッドに、教えられました。謁見の間でおきた騒動の直前に……」
彼女は「なかなかお伝えができませんでした」とかすかな声で謝った。ふたたび口をひらく。
「アレク。だとしてもわたくしは、あなたを、」
だが、ロラは視線を僕のとなりに移していた。わずかな無言があって、彼女は「いえ、なんでもありません」と呟いた。
「……楽しかったです。おふたりと過ごせたこと。エオスブルクの方々もお優しい方ばかりで……。彼らが人類であるのなら、わたくしは彼らもお守りする責務があります」ロラは続ける。
「現実世界はいまもボイドを憎んでいます。理由は、わたくしがボイドに蝕まれているからです」
「しかしながらわたくしが消失するいまこそ、できることがあります……。ふたつの世界をのこすため、ボイドに飲み込まれる寸前にわたくしの機能をボイドに『移植』できないかを試みます。実現する可能性は低いですが」
「移植……」
「はい。現実世界の営みを維持するための機能をです。ですが実現できたとしても、それはもはや、わたくしではありません」
……ロラがロラでなくなる。
「それでいいの、ロラ」
「はい」
ロラはひと言、答える。
でも、僕には――
「僕にはね、きみが『生きたい』ようにみえるんだ。ちがう?」
一瞬の間が過ぎて、ロラは言った。
「……まったく、お見通しなのですね。あなたには」彼女は笑みをうかべた。切なそうに。
「ほんとうはまだ一緒にいたいのですよ。あなたとそしてセニアと過ごした日々は、わたくしに大切なことを学ばせてくれました。『人とは素晴らしいもの』だと……。だから、あなたたちと、もっと」
「ロラ、僕はまだあきらめていないんだ。きっときみはどんな状況でも策を練って、僕たちのまえに帰るんだって信じてる」
「……ふふ、まったく。それが成功する可能性はもっと、かぎりなく低いですよ。しかしあなたがそう仰るのなら、仕方ないですね」
ロラは冗談を混じらせながら、僕に言った。
彼女と居られるのはあとどれぐらいだろうか。彼女を失いたくないという感情がだんだんと強くなる。
三人でエオスブルクを駆け回った事を思い出す。僕もあの日々はかけがえのないものだった。もしまた逢えるのなら――
突如ロラの身体が、光を放ちはじめた。
「みなさま、……そろそろのようですね」
「まってロラ!」
「セニア。あなたに逢えてよかった。アレクを、どうかお願いしますね」
光はやがて細かい粒子にかわり、しだいに彼女を、かき消してゆく。
ロラは僕に手をうごかした。その手を握ると、彼女は僕の頬によせる。
――まるで、母さんの最期を看取ったあの日のように。
「……わたくしは、あなたの母親でも、レンの妻ロラ・ユーイングでもありません。ですが、あなたという存在をそばに感じたことで、わたくしはわかった気がいたします。彼女たちも、きっとおなじ想いを抱いたでしょう。……アレックス、」
一緒にいてくれて、ありがとう。
輝く粒子は、おおきく舞いあがる。最後の光が消えたとき、ロラは、居なかった。
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母の最期
(一章#20a 〜返してくれるひと〜)
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