#078b LIMBO(辺獄)
僕たちのまえで、テッドは語りを続けた。
厄災と十ヶ月を生き延びたテッドは、ひっそりとニューヨーク州の隠れ家で暮らしていたらしい。だがAIオーロラに『謎の領域――ボイド』が発生した事を知った彼は、行動をとった。
ダイブポッドの設計図をマヤにレン名義で送った。彼女は予想通り設計図をVRAに提供。VRAはボイド潜入調査組織ミラージュを創設し、マヤはその技術主任になった。
第一次遷移――ファーストコンタクトの失敗を確認したテッドはVRAとともに、遷移事象を起こすというボイドの特性を知る。彼は局長室の情報端末に以前から侵入しており、そこから情報を得ていた。
さらに、じつはミラージュの資金面はテッドが支えていた。マヤが『インテリア』の用途で売りさばいていた『クリスタルストレージ』。あれの購入者はテッドだった。またクリスタルから、ホログラムに関するデータの抜き出しと分析もおこなっていたらしい。
僕が初めて現実世界に来たときもテッドはすぐに把握していた。彼は統合会議が開かれたころから遷移事象を意図的に起こすプログラムを使いはじめた。『プロジェクト・エオスブルク』の回線と現VRA局長のルイが接収したキャスケットの回線を用いて。ただこの手法にも限界がみえはじめ、終盤では街の破壊とを組み合わせていたという。また彼のダイブ環境の不安定さは『回線』にあり、ニューヨーク州のアパートから六四四マイル(約一〇三〇キロメートル)西のミシガン州デトロイトまでをつなぐ劣化した地中ケーブルで、ボイド世界に入りこんでいたせいだった。デトロイトの地下深くには、プロジェクト・エオスブルクの拠点跡があるらしい。
テッドが遷移を起こし続けた理由は、AIオーロラ――ロラを脅すため。しかし彼にはもうひとつの目的があった。
「俺は、オーロラを取り戻したあと、ボイドを葬るつもりだった……。俺の手で」
わずかな間のあと、言葉を継いだ。
「あれは……、辺獄なのだよ」
「辺獄……。天国でも地獄でもない『死者の世界』のことか」
「そうだ」ハワードの問いにこたえ、テッドは視線をさげた。
「ボイドという世界は、現世から引き剥がされた者たち一三五人の命が生みだした間の世界、『永遠の流刑地』なのだ」
「あの厄災で一三五人は破損したAIオーロラと道連れになった。彼らの『組成データ』はオーロラと混ざりあい、離散し、消えた。しかし二八年後、オーロラに異変がおき、一年後には『世界』があらわれた……。彼らと居住地のデータが、オーロラの一領域にボイドとして『再構築』を果たしていた」
「だがその世界はすでに壊れていたのだ……。ボイドにプロジェクト・エオスブルクの人間たちが生き返ったわけではない。死んだことを知らない『彼らの残骸』が集合した、いわば『亡霊の地』だった」
一三五人のデータをもとに構成された人型、ボイドノイド。彼らが存在する世界、ボイドは不完全に出現した事によって、原始の文明からはじまった。文明が一足飛びに発展する『遷移』は西暦二〇四七年の『プロジェクト・エオスブルク』の年代に復元しようとする現象だと、テッドは述べていた。
厄災前に『文明の方舟』により集められたあらゆるものたち。遷移が進むにつれてそれらは実体化していった。だがボイドは肥大化を続け、収まるところを知らない。
理由は、
「『帰るべき場所』を失ったからだ」テッドは言う。
「現実世界の肉体は死んでいる。そのうえダイブアウトをする座標さえも、ボイドは失っていたわけだ」
ハワードは気づいたように息をのんだ。テッドがうなずく。
「ああ、『情報を○○におくる』……ポイント・ヌルとは、デトロイト地下にあったプロジェクト・エオスブルクのダイブ拠点を意味する」
「レンが目指した精神転送技術は皮肉にも完成した。……肉体と精神をいちど破壊したことでな」テッドは言葉をきり、ふたたび口をひらく。
「あの世界は、生み出されるべきではなかったとそう思う……。一三五人の意識が生みだしたボイドノイドは何度でもよみがえる。天国でも地獄でもない、死者でも生者でもない。過去の記憶や深層心理を抱え、苛まれ、『生の苦しみ』が永遠に続く世界、……そのような場所は、俺が、俺たちが望んだ世界ではない」
「……僕は、ちがうと思う」テッドに反論した。
「街にすむ人たちが苦しんでいるなんて僕には思えないよ。幸せそうにしか」
どんなにエオスブルクの年代が進んでも、街のみんなが笑顔だった、賑やかだったんだ。
テッドが語った事は、もう受け入れるしかない。でも、あの街、あの世界が苦しむ場所だなんて、僕にはやはりわからない。
テッドは、僕の言葉にしばらく口をつぐむ。僕を見据える彼は、こう言った。
「ほんとうにそう思うのか。残滓の念が特につよい貴様が」
「……どういうことだよ」
「思い当たる節が嫌なほどあるはず……。自らに『存在しない母親との記憶』があることが、それによって、苦しみ続けたことがな」
テッドが続けた言葉に、さらに僕は衝撃をうけた。打ちのめされたように意識がゆらいだ。
「貴様は、『レン・ユーイング』の亡霊だ。レンは、最愛の妻を殺している。妻の名は」
ロラ。
ロラ・ユーイングだ。
◇関連話◇
クリスタルストレージ
(二章#041b A.D.2094)
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VRAとミラージュ ボイド
(一章#15a 極光の回廊 Ⅰ. AURORA)
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(二章#055b Ωとnull)
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