#075b 1 to 1
間違いない……。
このアラートは『遷移を予告する警告音』だ。背筋が一気に凍った。
ハワードさんが通信をひらく。
「くそっ! 報告しろマヤ博士」
〔……のこり、一五〇カウントです。もう危険域に〕
息を詰まらせるマヤの声が聞こえた。テッドが街を壊し続ける以上、いつかは起こる。
けれどいま、あとすこしの、こんなところで。
無言のあと、命令が下った。
「カウント一〇〇で帰還する。それまで叩き続けろ!」
「くっ、……了解!」
セニアが短機関銃を乱れ撃つ。視界内にはカウントダウンの数字が浮かび上がった。
――遷移に巻き込まると死ぬ。しかし帰還後の再ダイブには三〇分以上かかる――つまりいまテッドを倒さなければ、三〇分間の隙を彼に与える事になる。
広い草地に銃声が鳴り響く。
みな必死だった。テッドの手駒を潰そうと、全力を尽くしていた。
それでも時間は非情に過ぎるだけ。カウントは刻一刻と減り続ける。
……間に合わない。塔にいるテッドが、ほくそ笑んでいるように感じた。
焦りだけが募る。どうする、どうしたら――
思考が空回りするなか、
時間切れになった。
「カウント一〇〇をきった。全隊員、いますぐ帰還しろ!」
「……だめ! まだ」
「これは命令だセニア! ……つぎを、信じよう」
「次なんてもう無い!」
反論するセニアと、ハワードさんのなだめる声が聞こえてくる。
カウントは減り続ける。
どうしたら良い。
僕は、どうしたら……。
〔アレクはどうするの。まだ戦うでしょ!〕
通信で彼女の声が耳にはいる。
僕はそのとき、――ある考えをもった。
セニアに言う。
「いや、帰還しようセニア。危なすぎる」彼女へ語りかけた。
「帰ろう。一緒に」
セニアは言葉を詰まらせる。けれどもそれは一瞬だった。
〔わかったわ。……帰りましょう〕
黒鎧たちの攻撃を回避しながら、デルタチームとハワードさんが光のなかに消える。セニアもダイブアウトをはじめた。
ボイド世界から去ったミラージュメンバー。でも、
――僕はダイブアウトをしなかった。
「ごめん。セニア」
彼らを、そしてセニアを巻きこみたくなかった。これが考えて得た結論、遷移に巻き込まれようともテッドに立ち向かう。
以前のカウントダウンのときもそうだった。僕は危険なことをしがち、自分から死のうとする癖があるのかもしれない。
でも、守りたいんだ。みんなを、街を、大切なすべてを。
不完全エンゲージウェアの脚力で草地を蹴った。
テッドの声が響く。
「……残ったか。じつに愚かだな」
「ああそうだよ! でもあんたには負けない」
熱線を放ちながら増幅剣を横に振り、草地の黒鎧たちを溶かした。
のこり時間は――三五カウント。走りながら覚悟を固める。
そんなときに、
行く手を、ひとりの人物が阻む。
それは白いキトン姿の女性。
ロラだった。
彼女は僕を、じっとみていた。
「ロラ、僕は帰還しないよ。帰らせるつもりなら――」
「いいえ、あなた様の意志を変えるつりはありません。変わりそうもないですから」
そう言ってロラは頬笑む。その面持ちは優しげで、柔らかい。
場にあわない表情のはずなのに違和感は感じなかった。不思議とあったのは、……息が詰まるような懐かしさと、心の痛みだけ。
ロラは頬笑みを解き、口をひらいた。
「じつを言いますと……わたくしはつぎの遷移で大きく破損する恐れがあります。極相を迎えるよりもはやくに」
「……破損。ロラそんな」
遷移までのカウントは十八をきった。黒鎧たちが草地から出現をはじめる。
彼女は「ですから」と、目を細めた。
「あなた様にお伝えしたいのです。わたくしの気持ちを、せめて最後に――」
アレク、あなた様を愛しています。心から――
僕の身体が、温かさに包まれる。ロラは僕を抱きよせた。
カウントはゼロ。
ロラの温もりが消え去り――
目の前にひろがる世界は、深い暗闇に塗りつぶされた。
……何処を駆けているのか。何処へ向かおうとしているのか。
無の世界からドアを抜け、走る僕はいったい何処を、何のために。
――違う。
もう判っている。
それは大切なひとのため、大切だったひとのため――その感情は自らに刻み付けたもの。
どれだけの月日が経とうとも、自らが自らで無くなろうとも、残り続ける、ひとつの想い。
足をとめる。
機械のうえに横たわる、大切なひと、愛するひと。……失ってからそれを思い出した。だがもう遅い。僕のいっときの憎しみの形がそこにあった。
ひとつの大きな過ちは、たくさんの大きな代償を生んだ。
過ちの始まりに、僕は泣く。
亡き彼女の名を叫びながら、
僕は彼女を抱きしめた。
――途端、閃光がすべてを包みこむ。
眩さに慣れたとき、世界は草地にもどっていた。
消えたロラを除いては。
心に穴があいたような虚しさが増していく。けれど視線は、黒い塔へと向いた。
塔の上部。誰もいなくなった掌に、テッドが再ダイブをして現れる。
彼は、僕に驚いていた。
「……これは、どういう。貴様は遷移で。まさか」何かを察し、彼は苛立ちを声に混じらせた。
「マヤ博士め、あの予測をはずしたな……! オーロラ、オーロラ聞こえるか! もう最後だぞ。……たのむ、俺に従え」
――テッドはロラの状態を知らないのか必死に呼びかけを続けている。彼女から反応はない。くるわけがない。
しだいに薄れゆく『暗闇の記憶』……。でも、心は決まっている。
剣をもつ指が軋み、拳が震え、顔の筋肉が引きつる。
――叫んだ。
「テッド!! あんたを倒す、いまここで!」
「……ぐ、もはや『最後の手段』だ。オーロラとともにボイドへ沈むがいい、アレックスよ!」
塔のまわりから黒鎧たちが現れ、上空には裂け目と砲が出現する。黒鎧は十体、裂け目は二つ――
傍から見れば絶望的な状況だろう。けれど僕は剣を構える。
草地に風がたち、僕は疾走した。
頬にぶつかる風。流れゆく空気が唸りをあげる。自分が持てるすべてを叩きつけるため、全速力で駆け抜ける。
迫りくる黒鎧を一体また一体と倒し、躱し、また倒す。増幅剣の熱線を水平に薙ぎ、次の手駒へと突きすすむ。
テッドは裂け目の一二七ミリ艦載砲を街へ撃ち込み始めた。おそらくロラを極相に至らすつもりだろう。
余裕があると見込んだ魔術札もだいぶ減った。けれどそれより気がかりな出来事が、いまおきていた。
……不完全エンゲージウェアの脚力が異常なほど強い。ひと蹴りの進み具合がセニアとおなじか……いや、超えているようにさえ思える。
風を切り走るなか突然として、通信のチャンネルがひらく。
――マヤの声だった。
〔……った、やったヨ接続できた! アレク聞こえる? 応答して〕
「マヤ! 聞こえる」
〔ああ、……よかった。いまのところ無事そうだね〕ほっと息をはく音が聞こえた。
〔また危ないことを。寿命が縮まったよ。セニアちゃんだって取り乱したんだよ。……帰ろう、ワタシたちはテッドに負けた〕
「マヤ、ロラが消えた。テッドはこれから極相をボイドにおこすつもりだ。いま食い止めないとぜんぶ駄目になる」
〔そんな……。いや、でも〕
「いましかないよマヤ、……っ!?」
黒鎧の銃弾から逃げているうち、……なぜか両脚が熱を帯びてきた。
「エンゲージウェアがおかしい。マヤ、何がおきてるの」
〔そういえば速度がヘンに。……はあっ!? なにこれは〕音が割れるほどの大声がした。
〔不完全エンゲージウェアの制御系が完全にイカレてるじゃない! まさか遷移のせいで……。アレクまずいよ、このまま駆けつづけるとキミ――〕
――脚が、ぜんぶ焼け落ちるよ!!
両脚はさらに熱く、痛みを感じるまでになっていく。
でも、
「……焼け落ちるまで時間はあるんだよね、マヤ」
言いよどんだマヤに伝えた。
「脚が速くなったならそれで良いよ。このまま行く」
〔な、バカ言ってんじゃない! ちょっと――〕
通信が乱れる。つぎに聞こえた声は、セニアの声だった。
〔……アレク、アレク!〕
凛とした、でも不安の色を含んだ彼女の声が耳にはいる。だが途端に激しいノイズが走り、通信は途絶した。ついに通信系も壊れたらしい。
遷移に巻き込まれるつもりだった。……でもそれを乗りこえたいま、ロラが消え、そしてセニアの声を聞いたいま、……僕の本心はこれなのだろう。
――生きて帰る。
絶対にテッドを倒して。
さらなる激痛が脚にはしる。だが駆ける速度は緩めない。
地面の草地ぎりぎりまで身体を傾け、旋回しながら黒鎧をすれ違いざま斬り壊す。
いまさらになってこれほど戦える自分が不思議に思えた。……ラルフさんに教えてもらっただけでこんなに――ちがう、いま考える事じゃない。
そびえる塔を横目に円をえがくように走り続ける。遠くからでもテッドがこちらを向いているとわかる。あいつは僕を睨んでいた。
熱線を飛ばし彼の手駒すべてを溶かしきる。再度出現するも、黒鎧の五体は動作不良をおこした。
のこり、五体と砲二つ……!
「こいつめ、ちょこまかと!」
裂け目の砲一門が機銃にかわり、銃弾が襲いかかる。左右にぎりぎりで避けながら走り、裂け目の黒線を斬り落とした。
黒鎧たちを立て続けに倒す。不具合になる数が少しずつ、だが着実に増えていく。
両脚は暴走する熱に焼かれ続けている。もはや痛みさえ感じず、高温の熱は脚の芯まで達し、骨が軋む音をやめない。
目をやれば両脚は赤色に発光し、とび散った火の粉がみえた。
それでも、だとしても、僕は駆けたい。まだ突き進みたい。
もっと速く、もっと強く――
裂け目二つも動作不良になる。テッドの周囲が処理中を示すディスプレイに埋めつくされていく。まだ動く黒鎧を狙いをさだめ、一気に倒す。
のこり二、のこり、一……!
――テッドの手駒がすべて、動作不良になる。処理超過状態に陥った。
「はあぁぁっ――!」
一発の熱線を放つ。
熱線が、――彼や塔をまもる『歪む空間』を完全に粉砕した。そのまま折り返す熱線は塔を薙ぐ。
衝撃音とともに塔が震える。地鳴りがおこった。
「……な、なに!」
塔は中腹から斜めに切断され、上部が前方へとずれ動きはじめる。重さによって塔全体も傾きだした。腕の形状をした塔が崩壊の音を轟かせる。
――
大きく傾くテッドの塔。だが崩れは落ち着き、崩壊の動きはとまる。
風に流れる粉塵のなかで、彼は草地を見おろす。そこには遠くからこちらへと迫る少年がいた。
防御用のシールドは何度試みても起動しない。唯一、動いたのは――裂け目の砲一門。
裂け目を上下反転し、砲門を草地へむける。
「最後だな、……友よ」テッドは呟き、声を張り上げた。
「ボイドノイド! ここで沈め!!」
一二七ミリ艦載砲が咆哮する。爆炎の中から飛び出た砲弾はまっすぐに突き進み、
少年のまえで炸裂した。
艦載砲は砲撃を続ける。六発を撃ったのち裂け目は不具合に陥った。
静けさが訪れ、土煙が草地に充満する。
テッドはその光景に佇むだけ。
――声がした。
「テッドォォォっ――!!」
声がした方向――後ろをみる。
斜めに傾いた塔を駆け上がる、剣を構えた少年がそこにいた。
――
塔に剣を刺し込みながら駆け上がる。全力を超えて、限界を超えて。
声のかぎり叫びながら、僕は剣を持ちあげる。
塔の掌のうえで、振り返ったテッド。
彼の眼前にきて、僕は駆けながら、
テッドを斬った。