#10a Casket room
夕方の色を帯びた『太陽』は、とある裏路地を淡く照らしている。
そこに一つの人影。矢傷を負い、衛兵たちから逃げる少女がいた。左腕は血が滴り落ち、だらりと垂れている。
「……はぁ。一応は撒いたか」
それでも彼らと鉢合わせするのは時間の問題。いつもなら走り回っても呼吸は乱れないが、左手の打撲と刺さる矢の痛みが息を荒くさせる。
腕をかばい、激痛をこらえながら辺りを確認した。今の所、誰もいない。
少女は右手を耳に当てる。
痛みでノイズが多いものの、こうすればまだ大丈夫。
「応答願います。こちら――」
さらさらとした風が路地を吹き抜けた。向こうと通信をしながら、火照った身体を滑り、癒していく『街』のそよ風に、少しだけ痛みが和らいだ気がした。
少女は、
「――任務終了。ダイブアウト《帰還》します」
光に包まれ、塵に変わっていった。
滴った血を追っていた衛兵は、何かが落ちた音を聞きつけ奥の路地へ駆け込む。そこにあるのは、途切れた血の線と一本の矢だけであった。
◇◇◇
渚を洗うさざ波のように、光に包まれ意識が遠のいたあと、すべての感覚がまた戻ってくる。
少女は目を開けた。
ぼんやりとしていた世界が、少しずつ鮮明なものに変わる。
数え切れないほど使ってきたが、やはり「ここ」は狭い。
『キャスケット《棺桶》』という呼称が身にしみて分かる。密閉感を紛らわす為にハッチの上半分は透けているものの、頭部を囲む装置のせいで窮屈さが増す。
顔の正面にあるのは、意識状態を示す緑と赤のランプ。まだ赤色、意識が正常値になるまでハッチは開かない。緑ランプが待ち遠しい。
赤く光るランプが消え、緑が点いた。頭部の装置が真ん中から割れて、少しだけ広くなる。腕と足、背中と首に張り付いていた補助装置も、ユニットごとに外れていく。
空気の抜ける音と共に、透明なハッチが後ろへスライドしていった。
少女は淡いピンクの触媒液に浸され、薄い白蝋色の『コネクトスーツ』を着ていた。
入ってきた外気を肺に送り込んだ。キャスケットは常に換気されているものの、やはり目一杯吸いたくなる。触媒液がしみこんだコネクトスーツを、小さな胸がふくらませる。
キャスケットが起き上がり始めた。こぼれた触媒液は粘性を帯びながら、穴の開いた金属製の床へ流れていく。
キャスケットの動きが止まり、駆動音が消えた。
少女は、身体の違和感を感じていた。
「やはり腕はこうなるか」
狭い空間から出ようとしても、左腕はしびれて感覚がなかった。右手を使いキャスケットから出る。薄暗く無機質な部屋、『キャスケットルーム』は他に誰もいない。
思い通りに動かせない左腕に苦労しながら、触媒液を吸い込んだコネクトスーツを脱いで、裸になる。液に粘り気はあるものの、今回の任務は短かったので、脱ぎにくい程までゲル化しなかった。
一糸まとわぬ姿でスーツを自動洗浄機へ投げ、キャスケットの右後ろにあるシャワーブースへ行った。
レバーをひねる。全身に降り注ぐ温かいシャワーが、肌にまとわり付いた触媒液と汗を落としていく。
打ちつける水音がしなやかな肢体を包み込み、無音が心の中を満たす。
時間の経過により、いつの間にか左腕に感覚が戻りだしていた。握ったり開いたり、手のひらを返してみれば、チリチリした痛みが広がる。
だが、――それも薄れていく。
『あの街』で受けた怪我そのものが、触媒液の汚れだったかのように。
儚げに消えてゆくしびれを、少女はじっと見つめた。改めて実感させられる。
――腕に刺さった衛兵の矢。
――苦痛を癒した夕方のそよ風。
――活気にあふれた住人たち。
――美しい自然に囲まれた『暁の街』。
『すべてが、――幻――だったのだ』と……。
暁の街エオスブルクは、人類を事実上管理する、かつて全能だったAI『オーロラ』の中にある。
二〇九四年を生きる十四歳の少女が『生まれた』年、四五年前の『あの厄災』で人類の営みは変わった。
――AIが人類を支配する――
長きに及び危惧されていた事態は起きた。しかし、それはAIの故意によるものではない。
『地球規模の事件、――太陽嵐の被害――』によるものだった。
厄災と混沌の十ヶ月で疲弊した人類に、ようやく復旧したオーロラは手を差し伸べた。だが、人類を救ったそれは指令を受け付ける窓口が完全に壊れ、解析不能になっていた。
厄災から二八年後、オーロラは壊れはじめる。
突如発生した、解析出来るプログラムの領域、『ボイド』。肥大、侵食していくそこには、文明レベルを上げつつある『街』と生活水準を「魔術」で補う『ボイドノイド《人型》』が形成された世界があった。
なぜ、あの空間が生まれたのか。
なぜ街と「彼ら」が発生したのか。
ファーストコンタクトに失敗し、VRAの上層部から規模縮小を命じられ続ける、風前の灯のボイド潜入調査部隊『ミラージュ』は、未だに真相を掴むデータを手に入れられずにいた。
今回も、そうであった。
「いつになったら……」
シャワーを浴びながら、少女はつぶやいた。
オーロラをボイドが蝕み始めてから十六年、オーロラの機能が奪われていく以外、何も変わらない。
まだ機能するエリアから補っているのだろう、一応は支障のない形へと復旧する。しかしこのまま壊れ続けば、人類の文明を生かしているオーロラは、消えてなくなる。
左腕のしびれは、もうほとんどない。
「ほんと、『おかしな場所』だ。あそこは」
ボイドが発生したばかりの頃は、調査技術が低かったとはいえ、街なんてなかったそうだ。だが、今では街の形態をした世界があり、そこを『エオスブルク』と呼んでいる人型のデータ、『ボイドノイド』がいる。
――真実を知らされぬまま。
「……あのボイドノイドも、『おかしな奴』だったな」
殺されようと煽ってきたのに、怖くなったのか逃げようとした、少年の姿のボイドノイド。『マッピング端末』を認知したのは重大だったけど、そのほかは知られていないようだ。
今でもまぶたに浮かぶ。
ハネ癖のある髪型と、くりくりとした丸い目に褐色の瞳。
こちらに歯向かって、煽って、結局『何も知らない』ということを、わたしに教えた。
一生懸命に健気に、でもそれは空威張りで、しかも訊いてきた内容はぜんぶ的外れで、だけどそれがわたしの知りたかったことで……。
「ほんとに……ヘンな奴」
いつしか、口元が緩んでいた。
たくさん笑った。息が苦しいほどに、色んなことを忘れそうになるくらい。
わたしが、あそこまで笑ったのは、……きっと――
キャスケットルームに、通信ブースからの呼び出し音が鳴り響いた。断続的に続くアラームが、シャワーを浴びる少女を邪魔する。
「……ウルサイ」
アラームは収まる事を知らない、応答を急かし続け、
「あぁ、もうっ! まだ落ちきってないのに!」
少女はびしょぬれのまま、同ルームの通信ブースに向かった。
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(暁の街) #01a
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活動報告『愚痴』(ネタバレが含まれます)
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