#01a 暁の街と少年
透き通った青空が見下ろすその街は、喧噪と活気にあふれていた。石畳に赤茶けたレンガや木造の建物が立ち並び、商店には客が絶えない。
そんな街の通りで少年はつぶやいた。
「えーと、次は八百屋のおじさんか」
歩きつつズボンのポケットからメモをとり出し、なじみの八百屋へ向かう。この通りを右に曲がればすぐだ。
「おうアレク! 来たか、今日もよろしくな」
――アレックス――周りからは『アレク』と呼ばれる少年は、恰幅がよい八百屋の手伝いを始めた。
「今日は知り合いの農家からこんなに良いスイカが届いてな。嬉しいんだが、多くて置き場に困ってんだ。なるだけ早く捌きたいんだが、できるか?」
「スイカですか! 五月の涼しい今が旬だもんね」
アレクは褐色のくりくりとした目を細め、にっこりすると、
「じゃあ、まずはスイカ冷やしましょう。冷たいほうがおいしいし」
腰に巻いた小さなバッグに手を入れ、ヨレた細長い紙切れを手にとった。
「待ってました!」と八百屋が言う前で、その複雑な紋様が入った紙を売り棚の上にペタリと貼り付ける。
すると紙は光を放ちだし、発生した冷気が売り棚を包み込む。紙は霧の中で塵になった。
「これで味が落ちない上に、冷たいぶんもっとおいしくなるよ。長くは持たないけど」
「おぉ、こりゃ冷てぇ! 北のアルビア岳の空気ぐらいじゃないのか。まぁ行った事無いがな。ガハハ……」
札の効果に八百屋のおじさんは喜んだ。
「アレク、おまえの『魔術札』にはいつも助かってる。売り捌く方も一緒に頼めるか」
売り棚の冷えた大量のスイカは、黒髪に少しハネ癖がある少年の元気な客寄せも相まって、日が落ちる前にはきれいに捌けていた。
「いやぁ、助かった。今日だけで目玉の品が消えるとは思わなかった。逆に困っちまった」
八百屋は「いつもありがとよ」と小袋に入った駄賃を彼の手に渡す。
「スイカの分は渡したが、こっちも余り儲かって無くてな、小銭ぐらいなんだ。悪いな……」
おじさんは昼の威勢と違い、すまなさそうに言った。
「いや、これで良いですよ。掛け持ちしてますし」
アレクは駄賃をもらう。
バッグから出した魔術札を火種にランプを灯し、少年は黄昏れた街に消えていった。
――
――
アレクが自宅に着いた時には、陽は完全に落ちていた。家に灯りは点いていない。
鍵を開けて部屋の灯火を火種から点ける。
灯火の棚に四袋の駄賃を置き、手伝いで重ねた疲れを、ため息とともに腰掛けたベッドに沈ませた。
次に気が付けば、世界は朝になっていた。疲れのせいでいつの間にか眠っていたようだ。
部屋にまだ残る冷えた空気の中で、ガラス窓の朝日が暖かく床の木目を照らす。小鳥達がチュンチュンと早朝の街にさえずっていた。
思いがけず寝てしまったが、疲れは取れていた。目をこすり大きなあくびが一つ。
顔を洗って体を拭き、朝の支度を済ませる。『今日はどこの店に手伝いに行こうか』と考える内に、
壁に掛けた暦に目が留まった。
「……もう二年か」
駄賃を置いた棚に顔を向ける。
昨日稼いだ生活費と冷たくなったランプがある古びた木棚。
他に紋様が彫られた木製の小さな棒、隣にはガラス玉が埋め込まれた銀のペンダントが置かれている。
木棚の前に立ったアレクはペンダントにそっと手を触れた。
「母さん。あれから僕は強くなったかな?」
瞼を下ろし、大切な人を偲ぶ。
それから、ペンダントの隣。信仰の対象である紋様付きの小さな棒に今日も朝のお祈りをした。
「エオスさま、黄泉の母をどうかお守りください」
魔術札と白紙の札、ペンやその他諸々が入ったバッグを腰に巻き、今日もアレクの一日が始まる。
街の住民が信仰する暁の女神『エオス』の名を冠する城下街『エオスブルク』は、北にそびえるアルビア岳を代表とするリメイ山脈と、南に広がるリビ湖の間にある。山脈の水は川を伝い湖に流れ込み、豊かな作物と湖の幸に人々は潤った。
東と西は山の緑がそよぎ、動植物はあるがままに棲まう。人々は生活の為、他の街へ交易の為に分け入った。
石畳は朝焼けを柔らかく照り返す。
天地の恵みを授かった『暁の街』が、今日も活気に包まれていく――
しかし、アレクの吐いた息は重い。
――気分が沈む
ペンダントの感覚がまだ残っていた。
両手で頬をたたき、気分を入れ替える。家からすぐの中通りを歩きながら、今日の手伝い先を考えた。
と、向こうから中年の女性が声を掛けてきた。
「あら、アレクおはよう。いい天気ねぇ」
ロジーナおばさんだった。
近所の小さな宿屋を経営している、少しばかりぽってりした体格の人だ。おばさんは母の友達で、幼い頃よく家で遊ばせてもらっていた。
予約の入った部屋で遊んじゃって怒られたっけ。
「あ、おはようございます。いい天気ですね、ロジーナおばさん」
朗らかに挨拶をしてみせる。近頃は忙しさも相まって、おばさんと会えていなかった。
「今日はどこに行く予定なの?」
「今日は約束してた肉屋のジョージさんと、花屋のターニャさん、あと大通りの酒場で空瓶とかを運ぼうと思って」
「三ヶ所も手伝うの? 頑張るわねぇ」
「いやいや、最近はそんな感じですよ」
照れながらも元気に返す。
「ねぇねぇ、まだいいかしら」
「うん、いいですよ」
アレクは話しながら歩く事にした。
――だがその時は、向こうから来た彼女が引き返すかたちで付いてくる違和感を忘れていた。