海に咲く花
今宵は月も早々に眠ってしまいました。
こんな夜には、こんな話はいかがでしょう。
青いあおい海の中、深いふかい海の底。
真昼の光も届かない、季節の移ろいも忘れている、そんな静かな海の底。
きれいなお花畑がありました。
広いひろいお花畑は、けれど時折かすめる魚の影よりほかに訪ねるもののない、とても静かなところでした。
そこには無数の小さな花が、きらきらと咲いておりました。
真夏の海よりなお青く、満月よりもなお白く、水晶魚より透きとおり、そのため息よりなお儚い。
小さなちいさな花でした。小さくかがやく花でした。
ひっそり海に咲く花は、誰も知らない花でした。見るもののない花でした。
そんな深い海の底でも、月の光は届くのでしょうか。
潮の満ち干を知るのでしょうか。
白いまあるい月夜になると、お花畑の花たちが、ふうわり風に吹かれたように、ゆらりゆらりと旅立っていくのです。
無数の小さな花たちが、あたたかく穏やかな潮の流れに乗って、ちかちかきらきら輝きながら、海の底から浮かび上がってくるのです。
青いあおい月光に誘われて、深いふかい海の底から、長いながい旅をしてくるのです。
けれど。
海の底のお花畑は、とてもとても深いところにあるのでした。
花たちが海面に着く頃には、満月はやせ細って消えてしまい、そこには新月の暗い海が広がっているだけなのです。
海の底に咲く花は、波間に結んだ泡のようです。
月の光を夢みながら海面に辿り着いた花たちは、長いながい旅路の果てに、黒い波に砕け散り、小さなしぶきになって消えてしまうのでした。
それでも。
夜空を映した暗い海に一瞬、小さく星屑のようにきらめいて、わたしは咲いていたのだと囁くように歌うのでした。
歌が海を渡る風に解けても、その輝きは天に昇っていくのでした。
ですから。
こんな夜に、波間に光を見たならば。
それは海に咲く花なのです。
深いふかい海の底から訪れた、海に咲く花の夢なのです。
〈Fin.〉
ふと浮かんだイメージが、夜光虫を見に行ったときのことだと思い出しました。
連れて行ってくれた先輩方に感謝です。