ある朝の出来事。
幼少の頃から朝は苦手だ。
短時間でやるべき事が多過ぎる。
どれだけ楽しみにしている予定があったとしても、目覚めた瞬間は同じだ。この眠気を無理矢理振り払い身体を起こすその行動は憂鬱以外の何者でもない。
・・・ぅちゃんっ
りょうちゃんっ
「涼華っ!いい加減起きてよ!私だって朝は忙しいんだからね。少しは自分で起きる努力しなさいよ、ほんと毎朝、毎朝・・・」
母はそう言いながら乱暴にカーテンを開ける。遮光された暗がりに容赦なく光が射し、私はたまらず布団を頭まで引き上げる。
まだ現実味に欠ける空間の中、最低限の身支度を済ませてリビングに顔を出すと、弟がアニメの再放送を見ながらパンを頬張っている。
「おはよう。絢、一個ちょうだい!」
「あ、ちょ、ダメ!も〜お母さーん」
絢斗の返事を聞く前に、私は皿からリンゴを一切れ奪い、逃げるように玄関へ向かう。
「いってきま〜す!」
ここは、決して都会ではないが自然豊かな田舎というほどでもない。そんな地方都市の郊外に一軒家を構え移り住んでからもうじき7年が経つ。
低学年での転校という事もあり、すぐにまわりの子供達とは打ち解け、特に苦労する事なく新しい友人関係は築けた。
入学して2ヶ月程経った高校へは片道30分弱かけて自転車通学している。この辺りは電車の本数が少ない上に、最寄り駅までは徒歩20分もかかる。なにより学校周辺に最寄りと呼べる駅は存在しない。バス通学という手もあるが、通勤手段としてほぼ車が占める郊外の渋滞はリスクが高い。
朝が苦手な私に残された選択肢は自転車しかなかったのだ。それに、この辺りの学生は1時間程度なら自転車通学圏内で、朝はだいたい近所の中高生と顔を合わせる事になる。
ただ、ほとんどの学生はもっと早くに家を出ている事が多く、私の場合仲良く一緒に登校という事は皆無である。
だからという訳ではないが、今朝は少し先を行く坊主頭が目についた。速度を上げて近づきながらベルを鳴らしたが振り返りもしないその後ろ頭に声をかける。
「ワッキーおはよ!珍しいね、こんな時間に。けっこう頑張らないと遅刻だよー。」
脇田は転校して以来何度か同じクラスにもなり、小学生の頃はよく遊んでいた。入学してから知ったが高校も同じである。
「あぁ、松田か。お前いっつもこんな遅いん⁇」
「うん、相変わらず朝は苦手でね。ワッキー寝坊?」
「まぁ、そんなとこ。俺、1限移動教室だから別にもういいわ。」
「ふーん。まぁ、頑張って(笑)私は島センだから飛ばすわ!んじゃ、お先ー!」
私は更に速度を上げて、脇田を突き放した。ギリギリで遅刻を免れた私は席に着き、慌ただしく授業を受ける態勢に入る。
この時の私は、あの何気ないやりとりが脇田との最後の会話になるなんて知る由もなかった。
昼休みになりいくつかのグループがお弁当を広げ始める。私も例に漏れず机を囲い他愛のない会話に花を咲かせていた。
「そういえば今朝珍しく、ワッキーと喋ったわ」
「ワッキーってりょんと同中の柔道部の?」
「そうそう。あいつ昔っからすげー真面目だからあの時間一緒になるのびっくりしたぁ。」
「てかりょん朝ギリギリすぎ!入学して1週間で化粧も諦めてるし(笑)」
「だって〜朝どうしても起きらんないんだもん(笑)」
「だからって昼休み堂々と化粧すんのはどうよ!?」
「もう、いいの、うちクラ男子終わってるし・・・」
と言うと、少し声が大きかったのかアイが慌ててシーッと口の前で人差し指を立てた。
「てか、ワッキーって運動部なのにちょっと暗くね⁇」実加子が話題をワッキーに戻した。
「あー、小学生の頃はけっこう目立ちキャラだったんだけどね〜。なんか中学にあがってからあんま話さなくなったし、あんま記憶ないな〜。むしろ今日とか何年ぶりに話した?くらいの勢いで(笑)」
「頭良いよね、たしか。お兄さんも国立大でしょー?うちのお姉がタメでさー、とにかく何でもできるって言ってたわ。柔道部主将だったし。」
「でも顔がねー(笑)」
「りょん!もーっ!そんなばっか言ってるから彼氏できないんだからね(笑)」
とか、言いながらもみんな爆笑してるけど。
「ワッキー結局1限出なかったんかなー。ま、どうでもいっか〜。」
女子高生にとって昼休みの50分間は一瞬で終わる。
満たされたお腹と午後の心地よい日差しは、睡魔との戦闘力を著しく低下させる。お世辞にも流暢とは言えない英語教師の朗読でさえ、催眠術の様にいつの間にか脳を支配する。
ー今日も山賊の館行こうぜー
ーダメだよ、こないだ翔君達ケガして先生にバレたって言ってたじゃんー
ーなんか、怪しいおっさん見たらしいよ、耳が無いってまじかな⁈ー
ーバカ、そんなのいる訳ねーだろ!行くぞ!ー
ーゆう君やっぱだめだって・・・ー
ガタッ
どこかから落ちたような気がして目が覚めた。と、同時に授業中である事に気づき恥ずかしさで赤面した。
左斜め前に座る実加子がこっちを見ながら口パクで「やべー」と言いながら大袈裟に手を叩いていた。
恥ずかしい思いはしたものの、目覚めた時少しホッとした。あのまま眠り続けていたら何かよく無い事が起こる。そんな思いに駆られた。
「まじでウケたんだけどーw」
「あん時さー早川も寝てたんだよねー。りょんが落ちた音でビビって起きてさー、ヨダレ確認してんのーw」
「早川って頭良さげに見えて実はけっこう下の方じゃん⁈毎晩2次元彼女とイチャイチャしてんじゃねー⁇」
「それまじひくやつーwきっもーww」
小さいテーブルを3つくっつけた3人の女子高生が我が物顔ではしゃいでいる。
Sサイズのフライドポテトをトレイの上にばら撒き、ある者はスマホを片手に、ある者は半目でまつ毛をとりつけ、ある者は何が楽しいのかその様子をやたら写真におさめている。
この時間帯のファーストフード店は、行儀の悪い学生の巣窟だ。所詮大人の保護下でしか生きられない国家の有害廃棄物め。まともな責任能力も持たない愚鈍な連中に人権なんて必要だろうか。ゴミである事を自覚もせず、他人を蔑める卑しい雌どもが。
こいつらは誰一人、耐え難い苦痛も、消えてしまいそうな孤独も、全てが麻痺してしまう程の恐怖も味わった事はないだろう。どれだけ他人に迷惑をかけようが、親や教師を怒らせようが、最終的には丸く収まると思い込んでいる。明日人生が終わるかもしれないなんて誰が想像するだろう。自分では何もできない糞ガキの下品な笑いは虫酸が走る。
コロシテアゲヨウカ?
あいつらの苦痛に歪む顔を想像するだけで興奮した。
気がつくと、コーラに刺さったストローの飲み口は汚らしく潰れていた。