7話 いつの間にか助けてもらっていました
痛い。とにかく全身が痛い。
喉は焼けついて器官が張り付いている様な感じだし、足の筋肉は限界まで膨れ上がっている様な感覚だし、皮膚はひりひりと至る所で地味な痛みを発し続けている。中でも、右肩の痛みが酷かった。痛みと熱を同時に発しているような感じだ。その痛みで目が覚めた。目覚めにしては最悪すぎる。
でも、最悪な状態は目を覚ましても続いていた。
……ここ、何処ですか?
横たわったまま、視線だけで現状を把握する事に務める。でも、いくら周りを観察してもどれだけ少ない脳味噌をフル回転させても、現状どころか現在位置の答えすら出てこない。
わたしは山の中で遭難状態だった。途中でクーファに会って、助けて――疲れのピークで気を失った、はず。
それがどうして、ベッドの上で悠々と寝ているんだろう。
わたしが横になっているのは、小さなベッドの上だった。小さいと言っても、お城のベッドに比べればの話だけど。まあ、あの巨人用にしか見えないベッドに比べれば全てのベッドは子どもサイズになってしまう。
一般人サイズのベッドは隣にもう一つ置かれていた。そばの壁には小さな窓があって、その先には青い空が広がっている。ってことは、こっちは人間の領域か。
本当は起き上がってもっと確認しなくちゃいけないんだろうけど、体がだるくて痛くて動かしたくないのが本音。ついでに言うなら、このベッドも悪い。
お城のベッドは広すぎて柔らかすぎて落ち着かなかったし、おばば様の家で使っていたベッドは硬くて手足を折り曲げないと眠れないものだった。それに比べてこのベッドの素晴らしいこと! 丁度いい広さで布団も柔らかくて枕の高さもピッタリで、すっごく居心地がいい。小さな窓から差し込む暖かい光もまた格別で。
「…………」
コンコン。
「起きてる?」
「! はいっ!」
やばい! 眠りかけてた!!
ノックの音で覚醒して、反射的に起き上がる。その瞬間、右肩に目が眩むほどの激痛。
「いっ!!」
涙目になって痛みを堪えていると、ふわっと背中に手が置かれた。思わず顔を上げる。
「大丈夫?」
声をかけて来たのは見た事のない人だった。
黒髪を左耳の下で一本に束ねた、黒い瞳をしたお姉さん。わたしの表情から何を言いたいのか察してくれたらしい。にっこりと親しみ易そうな笑顔を浮かべた。
「あたしは鈴ってゆーの。よろしく」
さばさばした気さくな話し方で自己紹介される。
鈴さん。なんとなく魔族の名前に近い響きだ。
「あの」
うわ、酷い声。ざらざらに擦れて、自分でもほとんど聞き取れない。
鈴さんがあらら、と眉を上げた。
「酷い声ねぇ。ま、丸二日眠ってたんだもん。当然か」
丸二日? そんなに寝てたの?
驚くわたしの手に、鈴さんが水の入ったグラスを握らせてくれた。来る時に用意してきてくれたらしい。
「ほら、飲んで」
勧められる前にすでに口をつけていた。礼儀も何もあったもんじゃないけど、それどころじゃない。乾ききっていた喉に、冷たい水が流れていくのが分かる。
「ぷはっ」
「あはは、いい飲みっぷり!」
鈴さんは笑いながら手を叩くと、ささもう一杯、と水差しを差し出してきた。お酒じゃないんだから……いえ、頂きますけど。
ちびちび水を口に含むわたしをにこにこと見ながら、ベッドのそばに椅子を引き寄せて腰を下ろす鈴さん。視線が近くなると安心するというけれど、今のわたしにとっては逆効果。水をもらって人心地ついたせいか、現状を思い出してしまったのだ。
わたしは魔族。
彼女は人間。
――敵なのだ。
「どお? 落ち着いた?」
何も知らない鈴さんはにこにことわたしを見ている。罪悪感にかられて、目をそらすように頭を下げた。
「助けて頂いて、どうもありがとうございました」
「いーのいーの、気にしないで。そもそもお礼を言うのはこっちの方だし」
「え? それって、どういう」
尋ねる前に、疑問はすぐに晴らされることになった。
バン! と、壊れそうな勢いで扉が開いて、小さい緑色が物凄い勢いでこちらに突っ込んできたのだ。
「ジュージュ!」
聞き覚えのある声と共に、緑の丸い物体はわたし目掛けて突っ込んでくる。驚いた鈴さんは反射的に立ち上がって避けたものの、ベッドの上のわたしはそれを額で受け止める羽目になった。
「あだっ!」
ガッツンという音と共に火花が散る。そのまま倒れると、くらくらする視界に丸いドラゴンの顔が映った。
「ジュージュ! 起キタカ!」
太いしっぽを揺らして喉をグルグル鳴らしながら、クーファがわたしの顔に自分の顔を擦りつけてきた。擦りつけられる鱗が地味に痛い。なんか、また気を失いそうなんですけど……!
「これ、クー! やめねぇか!!」
パタパタと足音が近付いてきて、クーファが顔面からべりっと引き離された。
ああ、助かった……。
「大丈夫?」
「ええ、まあ……」
苦笑いを浮かべながら差しだされた鈴さんの手を掴む。
おでこをさすりながら顔を上げると、バタバタ暴れるクーファを両腕で抱きかかえている人物が目に入ってきた。
「うわ」
思わず感嘆の声が出てしまう。そこには、どこの絵画から出て来たんですか、と聞きたくなるほど完璧な容姿を携えた人がいた。
滑らかな肌に薔薇色の頬。二重の濃い灰色の瞳。まつ毛も長くて綺麗にカールされている。緩く一つにまとめた長い髪は淡い緑色で、顔の横から突き出した耳はピンと尖っているから、人間じゃないのかも。全体的に細くて中性的に見えるけれど、肩幅とかクーファを抱いている手の大きさとかから見て男の人だろう。
彼はわたしを見ると目を細めて柔らかい笑みを浮かべた。うわっ、バックがキラキラして見える! 花びらとかが舞いそう!
思わず顔を赤らめるわたしに、彼が形の良い唇を開いた。
「えがったー。目ぇ覚ましただな」
……はい?
美声と共に飛び出た言葉に唖然とするわたしに、彼は先ほどと変わらない花の飛び交う様な笑顔を浮かべ、しなやかで美しい手を差しだしてきた。
「おらぁ、ルークっちゅうだ。ハーフエルフっちゅうやつだべ」
……えー…………。
なんだろう。なんか、なんかがっかりだ。おばば様にハーブは雑草だって教えられた時くらいがっかりだ。
抑えきれない気持ちが顔に現れていたのか、彼の後ろでは鈴さんが笑いをこらえていた。ルークさんは訳が分からないといったように首を傾げている。
「なしたべ? もしかして、まだ具合が良くねぇだか?」
「いえ……」
脱力しただけです。とは言えないわたしを、心配そうな顔がのぞきこんでくる。そんな表情もまた美しい。愁いの女神とかいうタイトルで絵にされそう。男性だけど。
「無理すんでねぇ。おめえさん、高熱で倒れてただよ」
「熱?」
「んだ。ずっとうなされてただよ」
そうか、熱を出していたのか……。
濡れた薄着で山の中を彷徨っていたんだし、熱くらい出すのは当然かもしれない。どうりで頭がぼーっとしていたわけだ。
「ルークさんが看病してくれたんですか?」
これは直感。なんとなく彼の話しぶりが、わたしの怪我を治療した時のおばば様に似ていたから。厳しい言い方の中に優しさが混じっている様な、そんな話し方。
わたしの直感は当たっていたらしい。
「これでも薬師だべ。んだども、傷はすぐには治せねぇべな。また痛むだろうけんど、我慢してくんろ」
申し訳なさそうな顔をしたルークさんに、わたしは慌てて首を振った。
あのままだったら、こちらを彷徨う前にあの世を彷徨っていただろう。命の恩人に気を遣わせるとか、何様だわたし!
「全然大丈夫です! 助かりました、ありがとうございます!!」
「へ? いやいや! おらはそんな、お礼を言われるようなことはしてねえだよ。おらたちの方こそ、クーを助けてもらったべ。お願ぇだから、頭を上げてけろ!」
お礼を言われる事に慣れていないのか、ルークさんが慌てふためく。尖った耳が赤くなっているから、照れているんだろう。わたしの中で彼の美形度が下がっていく分、好感度が急激に上昇した。
良い人だ! この人良い人だ!!
「あら、もう慣れたの? こんなに早くこれに順応できる子って初めて見たわ」
わたしたちのやり取りを見ていた鈴さんが、驚いた様にわたしを見た。
これって。
「ルーが口を開いたら、大抵の子はしばらくショックから立ち直れないのよ。何せこの容姿だから。特にお嬢さんみたいな若い女の子はね」
鈴さんに親指で差されたルークさんは、話題の中心人物でありながら何の事やら分かっていない様子で首をひねっていた。
まあ、確かにこれだけ整った顔の美青年があんな口調で話しだしたら、何も知らない人はショックを受けるだろうなぁ。わたしだってびっくりした。でも……。
「温かい感じがして良いと思いますよ」
白亜様みたいに顔の筋肉がピクリとも動かない人に比べたら、ルークさんみたいに穏やかな雰囲気の人の方が良いと思う。彼が話せば、自然と辺りも和やかになるんじゃないかなぁ。
わたしの感想を聞いた鈴さんは、少し目を丸くしてから笑顔を浮かべた。これ以上ないってくらいの、満面の笑顔。
「クーファに気に入られただけはあるわね」
「え?」
「なんでもないわ。それより、まだお礼を言ってなかったわね。うちのクーファを助けてくれてありがとね」
「あ、いえ。鈴さんとルークさんってクーファの連れの方だったんですね」
最後に恩返しをすると騒いでいたクーファの声を思い出す。わたしが気を失った後、すぐに鈴さん達を呼んできてくれたんだろう。本当に恩返しをしてくれたんだなぁ。
ルークさんの腕に収まったクーファは、じっと丸い大きな目をこっちに向けていた。
「ありがとうクーファ」
「ジュージュ、早ク、元気ニナレ」
太いしっぽを揺らすクーファ。うわあ、可愛い。きゅんとした!
そんなクーファに目を細めて鈴さんが優しい手つきで頭を撫でた。クーファも気持ち良さ気に目を閉じている。
「ほんと、ありがとね。これでも希少価値のあるドラゴンでしょ? みんなで必死に探してたんだけど全然見つかんなくってさ」
「……わたしが見た時は縄でグルグル巻きにされてましたけど……」
ああ、やっぱりドラゴンって希少価値があるのか。あんな状態を見たからてっきり偽情報かと思った。
「クーに聞いただよ。ジェイもやり過ぎだべ」
ルークさんが深々とため息をつく。
……ジェイ?
「確かクーファが、じぇーって人にやられたって」
「ジェイね。うちの帝王様」
「てい……」
帝王?
苦笑いを浮かべる鈴さん。クーファは仏頂面になっていた。そりゃあ、あんな目に遭わせた人の話を喜んで聞けるわけがないか。っていうか、帝王って。どんなあだ名なの。
「クーファが彼の怒りにふれちゃってね、あんな事になったわけ。でもまさかあの禁忌の山に放置するとは思ってなかったわ」
「何をしたかは分からないですけど……やり過ぎじゃないですか?」
つい顔をしかめるわたしに、鈴さんは困った様な顔で肩をすくめた。
「あたしもそう思うわ。でもジェイだから」
……どんな人だ。
想像力を駆使してみるけど、駄目だ。イメージが沸かない。白亜様の鉄面皮を思い出すだけだ。……帝王。白亜様にピッタリな呼び方だな。
ソファにどっしりと腰をおろして、飛翼族のセクシーなお姉さまがたを侍らせている白亜様の姿を思い描く。うわ、似合う。彼が魔王になったらそんな感じかも。
「ところで、ちょっと聞かせてもらってもいい?」
あ、しまった。またやった。
わたしは何か考え出すと状況も忘れてそっちに集中してしまう癖がある。慌てて意識を鈴さんに向けると、彼女はにっこりと笑った。
「お嬢さんの事」
……もう少し、意識を飛ばしておけばよかったかもしれない。