43話 路地裏は危険がいっぱいです!
「ジュージュ、ジュージュ」
肩の上からわたしを呼ぶ声がした。
慌てて俯いていた顔を上げて、クーファを見る。
「何? どうしたの、クーファ」
クーファはわたしの方を見ていなかった。きょろきょろと、落ち着かなさ気に辺りを見回している。
「クーファ?」
「ジュージュ、ココ、ドコダ?」
ここ?
言われて初めて、自分のいる場所に気が付く。
路地裏の様な、どことなく暗い場所。道幅は狭くて、左右の高い壁が圧迫してくるみたいだ。辺りに人影はない。いるのはわたしと、クーファと、前に立っているジオさんだけ。
ジオさんはわたしの手を握ったまま、立ち止まり背を向けていた。その後ろ姿に、少し寒気がした。何が、とは言えないけれど、明らかにさっきまでのジオさんじゃない。繋いでいる手が、冷たくなっていくような気がした。
「ジオさん?」
震えそうなのを堪えて、声をかける。
ジオさんは振り向かない。
「ジオさん? どうしたんですか?」
嫌な予感がする。
いや、気のせい。「道に迷っちまった」とか言って、苦笑いを浮かべながら振り向くジオさんの姿を思い浮かべる。
でも。
「御苦労だったな」
聞こえたのは、聞いた事のない声だった。
路地の先から、男の人がこちらに向かって歩いてくる。一人……じゃない。男の人の後ろからは、3、4人の男の人の姿があった。
彼らは、わたし達の前で足を止めた。
一番前の、背が高くてガタイのいい男の人がジオさんを見下ろす。四角い顔に、短く刈り上げた髪。にやにやと笑いながら、わたしの方を見た。
「この娘か?」
な、何? 何なの? 誰?
動揺するわたしを余所に、ジオさんが一歩前に出た。
「そうだ、ゲイル。これで交渉は成立だろう?」
今まで聞いた事のない冷たい声。
思わず尻込みしてしまうような声だけれど、ゲイルと呼ばれた男の人は全く気にした様子はなく、「まあ待て」とにやついた顔のままで肩をすくめた。
「ここは暗くてよく見えないからな。ちょっと見させてもらうぜ」
「…………」
ジオさんは少し黙った後、わたしの手を引っ張って前に出した。
急に引っ張られてよろめいてしまう。
「おっと」
「痛っ」
肩をぎゅっと掴まれて、顔をしかめる。するとすぐに、目の前ににやけた顔が映った。
煙草やお酒、他にもむっとする臭いがして、顔を背ける。
「なるほどな、確かに見た事のねぇ色だ。おい、ちょっとこっち向け」
大きな手が顔の横に伸びてきて――……。
「痛ぇ!」
悲鳴が上がった。
びっくりして目を開けると、男の人の手にクーファが噛みついていた。
彼はすぐに手を引っ込めたけれど、その手に血が滲んでいるのははっきり見えた。
「ジュージュニ手ヲ出スナ!」
「なんだ、このチビは!」
背中のトゲトゲを逆立てて牙をむくクーファに、大きな手が伸びてくる。あんな大きな手に握られたら、怪我をしちゃう!
慌てて掴まれていた手を振り払い、クーファを抱きしめる。
「駄目!」
「待て」
ぎゅっと目をつぶっていると、冷静な声が割って入った。
この声は……ジオさん?
そっと顔を上げると、わたしの前にジオさんが立っていた。
「小さくてもドラゴンだ。下手に触ると指を食い千切られるぞ」
「じゃあ、どうするんだ!?」
「ドラゴンも希少価値のある生き物だ。生け捕りにして売ればいい。今回は特別サービスで、タダでやってやるよ」
生け捕り? 売る?
とんでもない単語がポンポン出てくる事に唖然としていると、ジオさんがこちらを見た。冷たくて、何の感情も浮かんでいない表情。
どうして?
そんな思いだけが頭の中を廻る。
「ジオさん……」
わたしの声は彼には届いてないみたいだった。
「来いチビ」
「チビジャナイ!」
腕からすり抜けて、クーファがジオさんに飛びかかる。
「駄目! クーファ!!」
叫ぶと同時に、ジオさんは飛びかかって来たクーファに金色の粉を振りかけた。
その瞬間、クーファはぴんと体を強張らせて、ぽてっと地面に落ちる。
「クーファ!?」
驚くわたしを尻目に、ジオさんは手慣れた様子で袋を取り出してクーファを入れてしまう。
「ジオさん! 何するんですか!! クーファ、クーファ!」
クーファを取り返そうと手を伸ばすと、強い力で引っ張られた。大きな手が口を塞いでくる。
「手間をかけさせるなよ、お嬢様」
ゲイルだ!
にやついた声が耳元をくすぐり、首筋にぞわぞわと鳥肌が立つ様な寒気がした。
「ゲイル」
ジオさんがこっちを見た。ほんの少し、眉間に皺を寄せていて、嫌悪感を出している気がした。けれど、それは一瞬のことで、すぐにあの何の感情も出ていない表情に戻ってしまう。
「頭に渡す前に、傷がついたらどうする。どけ」
「なんだと! この根なし草が!!」
ゲイルはまだジオさんに何か罵声を浴びせ続けていたけれど、その怒鳴り声がどんどん遠くなってくる。変わりに、ジオさんが呟いている声が耳の奥に響いてきた。
呪文の様な、歌の様な、不思議な音。
その音を聞いている内に、瞼が重くなってきて……眠く…………。
「……大丈夫だ。迎えが来るから」
最後に、囁く様な声が聞こえた気がした。