3話 わたしが苦手なあの人の事
「へっくしょい!!」
「色気のないくしゃみだなぁ」
悪かったですね……。
ぐす、と鼻をすすりあげて、雷翔を睨みつける。
わたしたちは山の中を歩いていた。
あの海岸から町に行くには山を越えるしかない。ついでにあの海岸もこの山も、魔族のいる島に近いという理由で国指定の立ち入り禁止区域になっているそうな。
……そのおかげで魔族にとっちゃ便利な港になっているとは、こっちの人は誰も思っていないんだろうなぁ。
「まだかかるけど、大丈夫か?」
「平気」
そんなわけで、人の出入りの無い山は荒れ放題。道なんてないし、一歩間違えれば崖と言ってもいいほどの急な斜面を落っこちそうだ。
「急がせて悪いな。こういう場所って魔物が多いから、日が落ちる前には山を下りておかないと」
「いいよ、気にしないで。早く行こう」
笑ってみるけど、内心申し訳ない気持ちでいっぱいだ。こうなった原因は全部わたしにあるんだから。
海に放り出されたわたしを助ける為に、雷翔は自分の武器さえ手放していた。
今だって四方八方に伸びきっている木の枝を掻きわけて歩きやすいように道を作ってくれているし、そのうえ靴まで貸してくれて。
どうしよう、どんどん恩が増えていく。わたし、雷翔には一生頭が上がらないだろうなぁ。……よし。とりあえず一段落したら、雷翔の好きな香草焼きのお肉でも作ってあげよう。
そんな事を考えて気が散っていたせいか、腕に痛みが走った。
「いたっ」
「どうした?」
「あ、いや、なんでもない」
「そうか? いいけど、気をつけろよ」
雷翔が歩き出すのを確認してから、そっと腕に目を向ける。木の枝か何かがひっかかったらしく、赤いミミズ腫れが出来ていた。
聞こえないように小さくため息をつく。
白亜様。ひらひらしたドレスが、すっごい邪魔です。生地も薄いからたまに木の枝が刺さるし、虫にも刺されそうだし、なにより寒い。
わたしの教育係として任命された事、相当嫌だったんでしょうね……無口で無表情で何を考えているか分からなかったけど、まさかこんな形で反撃に出るとは。流石白亜様。敵ながらあっぱれな策略です……。
「へぶしっ!」
「おいおい、風邪ひくなよ?」
「大丈夫。なんとかは風邪ひかないから」
「なんか……ふてくされてないか?」
「……ごめん。ちょっと、人の事を能無し呼ばわりする誰かさんの事を思い出して腹が立ってただけ」
「あー……」
わたしの言う「誰かさん」はすぐに絞れたらしい。
「まあ、厳しい人だからな。でもちゃんと色々教えてくれたんだろ? 魔王になる為の教育だから妥協できなかったんじゃないか?」
「それはそうかもしれないけど、わたしが選ばれた事は不服だったみたいだよ? 最後に見たのは船の上だったし」
「え……」
「あの中にいたから」
そう。あの奇襲してきた飛翼族の中に、白亜様の姿があった。
雷翔はその姿を見なかったらしい。足を止めて心底驚いた様な顔をこっちに向けてきた。
「まさか。見間違えじゃないのか?」
「あんな綺麗な人を見間違えたりしないって。雷翔は見なかったの?」
「いや……必死だったからなぁ」
雷翔の視力はわたしの何倍もいいはずだけど、流石に襲いかかる何十人もの中からたった一人を見つけるのは難しかったらしい。
多分わたしがあの中から白亜様を見出せたのは偶然だったんだろう。それも船から海に放り出される一瞬の事だ。
だけど、あれは白亜様だったということは断言できる。華奢ですらりとした体躯から滲み出る威圧的なオーラは絶対にあの人だった。一ヶ月もの間ビシビシしごかれていたのだ。遠くからでも彼を見れば自然と拒絶反の……分かるようにもなる。
それに、だ。あのさらっさらの銀髪。氷みたいに青い切れ長の目。雪みたいにきめ細やかで白い肌。飛翼族特有の鷲の様な大きな羽。あんな美形が二人も三人もいたら自信喪失者が続出する。
「でも、白亜が……?」
雷翔はまだ信じられないみたいで、顎に手をあてて考え込んでいる。わたしにしたら、それが逆に不思議なんだけど……。
白亜様と雷翔ってそんなに仲の良い方じゃなかったはずだ。まあ、どちらかといえば白亜様が雷翔を嫌っていた節があるけど。
冷静沈着で計画通りに物事を進めていく白亜様にとって、行動から始めるタイプの雷翔はただの考えなしに見えていたんじゃないかな。何かのきっかけであなたの話が出た時「あの単細胞」とか忌々しげに呼ばれてましたよ、雷翔さん。
雷翔って勘がいいし空気も読める人だから、白亜様にどう思われていたかくらい知っていたと思うんだけど。
「どうして白亜様が反対派じゃないって思うの?」
「どうしてって言われるとなぁ……。あんな奇襲攻撃、白亜ならしなさそうだとしか言えねぇけど。あいつなら、もっとうまくやるんじゃないか? 現にこうしてお前には逃げられてるんだし」
……確かに。
慎重な性格の白亜様が、いきなりあんな強行手段に出るのはおかしい気もする。それにこの一ヶ月間、わたしを殺すチャンスなんていくらでもあったはずだ。
「だけど、あの場にいたのは確かだよ。ちゃんと見たし! 他の飛翼族の人達、かなり興奮してたみたいだから、手がつけられなくなったとか」
「……ま、そういう考え方もあるか」
でもなぁと呟く雷翔は、まだ納得出来てないみたいだ。白亜様の立場からすれば、あの奇襲は当たり前だと思わないかなぁ。
魔王様の御子息で、魔族中から一目置かれる程の強さを持つ、最も有力な魔王候補者だった白亜様。それなのに、魔王候補として選ばれたのは島で最弱の能無し娘。しかもその相手の教育係に任命されるなんて。
いくら冷静沈着な白亜様だって、プライドが傷つくだろう。怒りが沸かないはずがない。
その事を言おうとした時、雷翔がはっと顔を上げた。
「危ねぇ!!」
へ?
何? と聞く間もなく、いつになく真剣な顔をした雷翔がわたしの腕を引っ張った。真後ろで風を切る音が響く。
「ひえっ!」
なになに? なんなの??
「ど、どうしたの!?」
振り向いた先にあったのは、雷翔の背中。その背中越しに。
「やっぱ出たか」
「な、なに? 犬?」
「そう思うか?」
「……いえ」
たぶんですけど、魔物、ですよね。
大きさはわたしの腰にも届かないくらいだけど、どう見てもよしよしなんて撫でれる相手じゃない。
全身覆われた硬そうな毛、耳まで裂けた口からのぞいている細く尖った牙、理性のかけらも感じられない鋭い目。
生まれて初めて見る魔物は、わたしがさっきまで立っていた場所から低い唸り声を上げていた。
苦虫を噛み潰した様な顔で、雷翔がちっと舌打ちする。
「よりによってこいつかよ」
「え? え?」
そんなに不味い相手なの?
「こいつら、群れで活動するタイプだからな。近くに仲間がいるはずだ」
「と、友達が多いんですね……」
「とりあえず下がってろ。それから、近くの木に背中をくっつけておけ。後ろからくるかもしれねぇから」
了解です隊長!
こんな時わたしにできる事は雷翔に従う事だけだ。急いで近くの木に背中を押しあてる。薄いドレスの生地ごしにささくれだった木の幹が刺さるけど、そんなの気にしている場合じゃない。
木になるんだ、わたし。魔物は木を襲わない。
自己暗示をかけているわたしの前では、雷翔と魔物が睨み合っていた。緊迫した空気の中、雷翔の右手がゆっくり動き、左手に巻きつけている包帯を緩める。
瞬間、左腕が急激に変貌した。
右腕の三倍ほどにも膨れ上がり、肩から伸びる腕は黒い毛に覆われ、ナイフの様に鋭い爪が伸びる。巨大な手は、もはや身体と一部というよりも武器と言った方が良さそうだ。
突然の出来事に流石の魔物も驚いたらしい。
唸り声が止み、狂気に染まった瞳が驚愕に見開かれる。同時に、雷翔が地面を蹴った。