2話
「…だいじょ…ぶ……大丈夫ですか?」
誰かが、私の体を揺さぶっている。頭が揺れて気持ち悪い。まだ眠っていたいのに。
その誰かは、揺さぶるだけでは埒があかないとでも思ったのか、頬まで叩き出した。
最初はピタピタと申し訳程度の力だったものが、少し痛いぐらいの力で叩き始めた為、早々に目を覚ますしかなかった。
目を開けると、横たわる私を覗き込む男性とバッチリ目が合った。
「大丈夫ですか?」
綺麗な青い瞳…海みたい…。ん?金髪?外人か?目を覚ました私を見て嬉しそうに微笑んでいる。声も出さず、ぼんやり見つめ続けていると、私の反応の無さに焦ったのか、口を引き結び表情を曇らせていった。
やばい。何か言わなくっちゃ。
「大丈夫です。といふか、ほっぺたがいひゃいんですけど…」
自分の発した掠れ声を情けなく思いながら、頬叩きを再開させていた金髪碧眼の男性に抗議しつつ、体を起こした。
地面に手をついて初めて、自分が草の上に寝転がっていたことに気づいた。
「…あれ?私どうして……え?ここ…どこ?」
どうしてここにいるんだっけ?確か、さっきまでベッドで寝てて…。あれ?なんで昼になってんの?そんなに寝てた?というか、ここどこ?
「よかった。何度も声を掛けたんだけど、全く反応がなくて焦ったよ。お嬢さん、どうやってここに?それに、そんなあられもない格好で…魔力の気配を感じたから急いで来たんだが…」
状況がまったく理解できず、パニックに陥りそうになる。痛む頭を押さえ、必死に状況を把握しようとする。自分の行動を思い出そうと頭をフル回転させはじめたが、男性に話しかけられ、思考を中断させられた。
「あの…」
男性に顔を向け、視線をあわせようとすると、ぱっと目をそらされた。
男性は何故かこっちを見ようとせず、顔が真っ赤になっている。
どうしたんだろう?人と話すときは目を見て話すのが基本じゃない?
でも人のこと、とやかく言えないか。私だって、さっき話しかけられてたのに、自分の世界入っちゃってたし。いや、それよりも、この男性はさっき魔力がどうとか言ってなかったか?聞き間違いだよね?
それにしても、この人の格好…コスプレ?まじまじと男性の姿を見る。
男性は黒地に金糸が彩るかっちりとした上着に、下はシンプルなパンツスタイルという出で立ちだ。
恐ろしく足が長い。腰に革のベルトのようなものを巻き、剣を差している。
視線を上に戻すと、さっきまで、声を掛けても背けたままだった顔を、今はしっかりこっちに向けていた。超がつくほどのイケメンに、自分の顔が熱を帯びていくのを感じた。
精悍な顔立ちだが、その中に甘さも含まれていて女性にさぞかしモテそうだ。澄んだ海を思わせる青色の瞳、太陽の光を浴びた金髪はキラキラ輝いている。
「お嬢さん…。その…。女性らしく慎みを持ったほうがいい。目のやり場に困る。それに、その格好じゃ寒いだろう」
イケメンの顔をガン見していると、遠慮がちに声をかけられ、はっと自分の格好を確かめた。
Tシャツにショートパンツという、いたってシンプルな部屋着姿で、まあコンビニに行くくらいなら、この格好でも特に問題はないように思える。けど、やっぱり寒い。太陽が一番高く昇る昼間なのに、夏特有のジリジリと照りつける暑さがないことに疑問を抱く。
「目のやり場って…。いつもこんな感じなんですけど!」
イケメンの言葉にわずかな違和感を感じつつ、少し不快感をあらわにする。
何よ。自分だって良い年して騎士コスプレしてるじゃない。そっちが慎みを持ちなさいよ。
心の中で盛大に悪態をついていると、イケメンがいきなり服を脱ぎだした。
「ほら、足を隠して」
一体何のつもりか、とポカンとしていると、上着を渡された。
さらりとした手触りの高級そうな服を、足に巻きつけていいものかどうか迷う。
だが、イケメンは腕を組んでずっと無言で待っている。足を隠すまで、てこでも動きそうにない。
仕方がなく要求に従うことにする。イケメンの上着は私にはかなり大きく、上から羽織っても膝上までなら十分に隠れた。昼間といえど、少し肌寒かったので助かった。私の姿を見て、眉根を寄せたように見えたが、これでもダメなのだろうか?膝下から足首まで全部隠せとでも?そんなんじゃ歩けないじゃない。それに靴なかったんだった。
「あの、ここはどこなんですか?私、さっきまで自分の部屋にいたはずなのに、目が覚めたらここにいて…」
「ここはリュビエランカ領の領主館近くの狩場の森だよ」
「リュビエランカ?」
「ああ。この森は、領主が許可した者以外は入れないようになっているんだ。領主の許可がなければ、ここへの転移もできないように、森に結界の術式を張り巡らせてもいるし。結界の揺れを感じたけど、無理に押し入ったのか?そんな魔力があるようには見えないけど…」
「魔力…?私…気づいたらここにいて…」
色々と聞きなれない単語が飛び出してきて、脳の処理が追いついてないみたいだ。
そわそわと落ち着き無く視線をさまよわせ、森を見渡すと、遠目にだが、大きな西洋風のお城のような建物が目に入った。テーマパークか何かだよね?でも私の知っている、日本で一番有名なテーマパークにあるお城ではなさそうだ。あんなに大きくて重厚そうなお城、見たことない。ここ、もしかして日本じゃないの?外国?知らないうちに誘拐されたとか。
色んな仮説を立てるも、さっきイケメンが発した魔術・転移・結界という日常生活では聞きなれない単語が、現実的に考えうる範囲におさまる仮説を潰していく。
「お嬢さん、名前は?」
言葉が続かず、呆然とする私の様子に気づいたのか、さっきまでは女性への紳士的な振る舞いを崩しもしないが、不審者に対する警戒も忘れないといった雰囲気を出していたイケメンが、少し態度を和らげ話し出した。
「あっ!ごめんなさい。私ったら助けてもらったのに名前も名乗ってないし、お礼も言ってませんでした。私、一ノ瀬未来といいます。助けていただいて本当にありがとうございます。」
頭の中で暴れ狂う非現実的で恐ろしい仮説を一旦、脇に追いやり、自分の答えられる質問をしてくれるイケメンに頭を下げ、感謝の気持ちを伝えた。
「私はギルバート・リュビエランカ。ここの領主だ。イチノセミク…変わった名だね」
「えっ!領主さんなんですか!イチノセが家名で、ミクが私の名前です。日本ではごく一般的な名前ですよ?」
「ニホン?それがお嬢さんの国の名か。聞いたことがないな…辺境の国?」
日本は極東の国なので辺境といえば、そうなるのかも知れないけど…。答えに窮しつつ、東の方の島国だとだけ言っておく。
「何か訳がありそうだね。君の話といい、持ち物といい、気になる点がいくつもある。本当なら、不審者はリュビエランカ騎士団預かりになるけど、私が直接話を聞こう。ここからは領主館が一番近い」
「私のカバン…」
いつも愛用している赤いトートバッグ。ベッドに倒れこんだから、カバンを下敷きにして寝てしまったのだろうか。少し生地がよれている。今はイケメン、もとい、ギルバートさんの手の中にあるが、今この場所に、自分の持ち物と呼べるものがあることが、たまらなく嬉しく感じると同時に勇気づけられた。
「じゃあ腕に掴まって。領主館には登録した者以外、転移できないが、登録者の付き添いがあれば転移できるから」
ギルバートさんとのやり取りで、ここが日本ではないこと、もしかしたら私の知っている世界ではなく、異世界なのではないかと薄々感じ始めてはいた。
でも、いきなり転移?!ハードル高くない?
ギルバートさんの無言の圧力に負け、恐る恐る腕に手を置くと、長身の彼に上から見下ろされ、ため息を吐かれた。腰に手を回され、ぐいっと引き寄せられる。彼は私に上着を貸したことで、白いシャツ一枚になっていた。薄いシャツ越しに感じる、細身の彼からは想像できない厚い胸板に驚き、その密着具合に赤面してしまう。
私がドキドキしている内に、転移の術式を発動させたらしく、光に包まれた。
次の瞬間には、すでに領主館の敷地内らしき場所に立っていた。