第1話 いってきます
とても気持ちの良い晴れの日だった。
雲ひとつない青空から降り注ぐ陽の光が山川を照らし、世界を鮮やかに映し出している。
涼やかな風が背中をそっと押すのに身を委ねて、彼女は走り出した。
どこまでも、どこまでも続く、青と緑の世界。体は羽が生えたように軽い。このまま空も飛べそうだ。
「今日は、どこに行こうかな!」
高揚に、そんな独り言を空へ叫んだ。
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「いってきまーす!」
朝食を掻き込み、身支度も半分に、急いで家を飛び出す少女。
「気をつけてね!それと、夕飯までには帰ってくるのよー?」
母の声を背に受け、少女は振り返ることなく返事をした。
アリス・クロイツは、辺境の村に住む平凡な少女だ。外で友達と遊ぶのが大好きな、明るく穏やかな心根の優しい普通の少女。
「ごめーん!待った!?」
アリスは息も絶え絶えに、丘の一本杉の下へ駆け寄る。
「大丈夫、俺らもさっき来たとこだから。」
「アリスおそーい!私たち、もう15分も待ってたのよ!」
「あっ、おい!ライラ!」
男前な気遣いを無下にされ、黒髪の少年が声を上げる。
「ありがと、レオ。ライラとフレドもごめんね?」
「うん、大丈夫。でも珍しいね?アリスが遅刻するなんて。」
全力疾走で乱れた髪や服を直すアリスに、金髪の少年、フレドが言う。その言葉に、赤毛の少女、ライラが反応した。
「本当よ!いっつも集合時間よりだいぶ前に来てるから、私たちも急いで来たっていうのに……」
「うん……なんか、夢をみてたの。」
「夢?」
三人が小首を傾げ、アリスの言葉を復唱する。
「夢って、寝るときに見る方の?」
「うん。よく覚えてはないんだけど……とっても、とっても楽しい夢だったんだ。」
文字通り、夢見心地といった具合で話すアリスに、ライラがふんと鼻を鳴らす。
「つまりアリスは、私たちと遊ぶよりもその夢を見てる方が楽しいってこと?」
「えっ!?違うよ、そういうことじゃ…!」
「冗談よ!真に受けないでよ、まったく……それより!」
慌てふためくアリスの手を、ライラが掴んだ。
「早く行きましょ?いつまでもこんなところで駄弁ってたら、日が暮れちゃうわ。」
そうして四人は丘を下り、森の方へと向かっていった。
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「アリス、ちょっと来て。」
森へ入って、しばらくしたころ。川から戻ったレオが、野原で花いじりをしていたアリスに声をかけた。
「レオ?どうしたの?」
「ち……ちょっと、見せたいものがあって……。」
そう言って、アリスの手を引くレオ。アリスは小首を傾げながらも、その後についていく。努めて背を向けるレオの頬の紅潮には気づかない。
「なになに?私も行く!」
「ライラ、あっちにライラの好きそうな綺麗な花畑を見つけたから、そっち行こう?」
「本当?行く!」
ついていこうとしたライラを、フレドが引き留めた。アリスとレオ、二人の時間が流れるように。
「レオ、見せたいものって?」
「……これ……。」
野原からすこし離れたところで、レオが手を差し出す。その掌には、綺麗な紺碧の宝石が乗っていた。
「わぁ、綺麗!レオ、これどうしたの!?」
「川で見つけたんだ。アリス、こういうの好きだろ?」
レオは変わらず、手を差し出したまま。宝石に目を奪われるアリスと交わることのない目線を、ふいと脇に逸らしながら。
「……や、やるよ、これ……。俺は、こういうの興味ないし……。」
「えっ、いいの!?本当に!?」
「おっ!?……お、おう……」
不意に手を握られ、素っ頓狂な声を出しながらも、レオは頷いた。
「わぁ〜……本当に綺麗……。」
アリスは宝石を陽に翳し、うっとりとした様子でそれを眺める。
そしてレオのほうに向き直り、天使のような笑顔で言った。
「レオ、ありがとう!」
それだけで、レオの心は爆ぜるように高鳴ったのだった。
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日が傾き、空が赤く染まったころ。誰からともなく、四人は帰路へついた。
「……なぁ、変な臭いしないか?」
ふと、レオが眉を顰めて言う。
「臭い?」
「なんか焦げ臭いっていうか……」
「確かに、言われてみれば……」
四人は次々と異臭を感じ始め、少し早足で村へと向かった。
そして、森の出口へ近づいたころ。村の方から悲鳴と怒号が響くのを聞き、嫌な予感が確信へ変わる。
「なに、これ……」
走って村へ到着した四人は、そこに広がる光景に目を疑った。
惨状だった。ほとんどの家は半壊以上、大人も子供も男も女も、たくさんの人が血に塗れて地に伏している。その中には、身体が2つに分かれているもの、頭が潰れているもの、四肢が千切られているものもある。
そしてその上を、ゆったりと、不遜に歩く人影がひとつ。
「うぅん……どぉこだぁ?」
のんびりと、しかし僅かな苛立ちの感情を含め、その男はひとりごつ。
「おぉ?」
「ひっ……」
呆然と立ち尽くす四人に気づくと、男はにやりと口角を上げた。その笑顔に、ライラが怯えた声を漏らす。
「まぁだいたのかぁ。よかったぁ、手がかりになるかもしれなぁい。……なぁ君たちぃ、オレの探し物ぉ、知らなぁい?」
一歩、また一歩。男はゆっくりとこちらに近づいてくる。
足が動かない。
男の歩調は遅い。なのに、逃げ出すことすらできない。足はガタガタと震えて地面の感触すら覚束ないのに、足の裏が地面から離れようとしない。
「あぁ、失礼。自己紹介がまだだったねぇ。そりゃぁ、名前も身分も目的も分からない相手にぃ、話すことなんてないよなぁ、ごめんねぇ。」
男の言葉が頭に入ってこない。アリスだけじゃない、四人とも、男の一挙手一投足から目を離せないでいるのに、それを咀嚼できない。
「オレはヒュース。割と身分が高い方のぉ、魔族の端くれさぁ。」
男――ヒュースと名乗ったその男が、また一歩、歩みを進める。
「この辺にぃ、時を遡る力を持った魔導具があると思うんだけどぉ、知らないかなぁ?オレたち魔族はぁ、それをずぅ〜っと探してたんだよねぇ。ほらぁ、今の時代、『三傑』がバカみたいに強いじゃん?だからガキのころのあいつらをぉ、事前にぶち殺しておきたくてさぁ」
さらに一歩、近づいてくる。
「それでぇ、オレがさっき、やぁっと見つけたんだけどねぇ?この辺に落っことしちゃったわけよぉ。いやぁ、我ながらやっちゃったぁって感じだよねぇ」
ヒュースがベラベラと何かを喋っているが、半分ほどしか頭に入ってこない。
「君たちぃ、何か知らないかなぁ?手で握れるくらいのぉ、青い宝石なんだけどぉ。」
「―――!」
手で握れるほどの大きさの、青い、宝石。
アリスは思わず息を飲んだ。
それを、ヒュースは見逃さなかった。
「おぉっ?君ぃ、知ってるんだぁ?知ってるよねぇ?知ってるって顔してるよぉ?」
「アリス!」
ヒュースの歩調が早まったその瞬間、レオが前に出て、アリスたちを庇うように両の腕を広げた。
「アリス、逃げろ!早く!」
「レオ!?」
「いいから逃げろ!ライラ、フレド!アリスを連れて逃げて!」
レオは震えを誤魔化すように、声を張り上げる。
「俺のせいだから!俺があんなの、拾ったから……っ!」
レオの言葉に、ヒュースは目を見開く。そして、腹の底から恐怖が湧き上がってくるような、狂気的な笑みを浮かべた。
「あぁ!君が拾ってくれたんだねぇ、ありがとう!ってことはぁ、宝石は君がもってるのかなぁ?」
「……そ……そうだ……!あの宝石は、俺が持ってる……!」
レオの目から、涙が溢れ出る。身体中が震えて、声も掠れる。
それでも、レオは動かない。アリスたちに目配せしながら、虚勢を張り続けている。
「そうかぁ、そうかぁ!それじゃあ、回収するねぇ!痛くしないよう、気をつけるからぁ!」
「あいず!!はゃぐいげっ!!」
その声に、まずフレドが走り出した。アリスとライラの手を引き、一目散にその場を後にする。
「フレド!?待って、フレド!レオを置いていくの!?」
「それしかないだろ!早く逃げるんだよ!レオの勇気を無駄にはしたくない!」
フレドは泣きながら走る。アリスとライラを強く引きずり、全身全霊で走った。
「二人とも走って!レオの時間稼ぎだっていつまでもつか――」
泣き叫ぶフレドの言葉が、背後からの強い衝撃で途切れる。その衝撃に、フレドは前に倒れ込んだ。咄嗟に手を放したおかげで、アリスとライラは立ったままだ。
「何…が……」
上体を起こしたフレドが、その衝撃の上体を目視した。
そこには、恐怖と苦痛で醜く歪んだ顔の、レオの頭部が落ちていた。
「あ……ああ……」
フレドのズボンから滲み出た液体が、レオの亡骸を汚していく。
「いやぁああぁあ!レオがっ、レオがぁっ!」
ライラがその場に崩れ落ち、頭を抱えて泣き叫ぶ。
アリスは声も出せずに、ゆっくりとへたり込んだ。
「なんで……なんで、こんなことに……」
――なんで、私たちがこんな目に。
アリスは、そんな疑問を頭の中で繰り返す。そしてその疑問の答えは、ポケットの中に。
「これのせい……なの……?」
アリスは布越しにその宝石を握りしめる。
「あぁ、あぁ……。オレは悲しいよぉ、君たちぃ。嘘をつかれるのがぁ、オレはいちばん悲しいんだぁ。」
ヒュースが、再びゆっくりと近づいてくる。その手にはレオの脚が握られ、引きちぎられたような頸の断面から溢れ出る鮮血が、まっすぐな軌跡を描いていた。
「オレはぁ、この子のことを信じてぇ、君たちを逃してあげたのにぃ……。嘘をつかれてぇ、嘘を信じてぇ、この子の口車に乗ってぇ……。そんなのぉ、オレがバカみたいじゃないかぁ……!」
ヒュースは無造作に腕を振るい、レオの身体を投げ捨てる。その身体は高く舞い、地面に激突した左脚が逆方向に折れ曲がる。
「ねぇ、本当は誰が持ってるのかなぁ。本当は誰も持ってないのかなぁ。ねぇ、教えてよぉ、本当のことをさぁ。オレはぁ、君たちの口からぁ、ちゃぁんと本当のことを聞きたいんだよぉ。」
一歩、また一歩。ヒュースとの距離はどんどん縮まっていく。
――どうしよう。
アリスは、恐怖と絶望でぐちゃぐちゃになった頭を全力で回した。
あの男の……ヒュースの目的は、アリスのポケットの中にあるこの宝石。
このまま渡せば、どうなるだろうか。助かるだろうか。いや、助かってどうする。村が壊滅して、レオも死んで、こんな状況で助かって、何があるのか。
じゃあ、このまま殺される?それは絶対に嫌だ。死にたくないという純粋な恐怖は、この絶望の中でも強く己を主張している.
――戻りたい。
答えの出ない思考の果て、アリスはそんな結論に至った。
戻りたい。全てを無かったことにして、またあの平和で楽しい日常に戻りたい。
どうして時というのは一方通行で、世界というのはやり直すことができないのだろう。
「………やり、直す……」
ふと、その言葉が引っかかった。
戻る。やり直す。過去に戻って、世界をやり直す。
「――あ」
その瞬間、先程のヒュースの言葉が思い返される。恐怖でほとんど回っていなかった頭に辛うじて入り込んだ、ヒュースの言葉。
この宝石があれば、時を遡ることが出来る。
過去に、戻れる。
「――戻りたい。」
アリスは再び、今度は強くはっきりと、言葉にして声に出す。
「戻りたい、戻りたい!何も起きてない、何も起こってない、この人たちがいない、あの時に!」
それで、全部をやり直すのだ。
村の人たちを全員逃して、目立つ場所に宝石を置いて、穏便に終わらせるのだ。
「おぉい、まさか―――」
「戻りたい!戻って!戻って、戻って、戻って―――!」
歩みを止め、全速力で飛びかかってきたヒュースの手がアリスに触れる寸前。
青い光が、その場を包み込んだ。




