老兵の逆襲、あるいはエンジニアの矜持
深夜。瑞穂が這うようにして帰宅した時、リビングは異様な熱気に包まれていた。
部屋中の明かりがつけられ、信一は古いノートパソコンを三台並べ、猛烈な勢いでキーボードを叩いている。その横顔には、これまでの「隠居した老人」の面影は微塵もなかった。
「……信一さん」
瑞穂の声は震えていた。すべてを話し、謝罪しようとした瑞穂を、信一は片手で制した。
「黙っていろ。謝罪は後だ。今は、俺が三十年かけて守ってきた『城』が荒らされている最中なんだ」
信一の視線は画面に釘付けになったままだ。その口調は冷徹で、瑞穂が嫌っていた「要領の得ない長話」の面影はない。
「瑞穂、お前があの男に渡した付箋のメモ……あれは、俺がわざと分かりやすく書いておいた『罠』だ」
「え……?」
「俺が言っただろう。今の若い奴らは、表面上のプログラムしか見ない。お前が教えたのは、メインフレームの深層部にある『デッドエンド(行き止まり)』へのアクセス権だ。あの男がその権限を使って送金を開始した瞬間、俺のプログラムが作動し、送金ルートを逆探知するように仕掛けてある」
信一はニヤリと、どこか不敵な笑みを浮かべた。
「あいつらは、俺の知識を『古臭い遺物』だと舐めていた。だが、この世界じゃあ、古いものほど、誰も知らない強固な盾になるんだよ。……ほら、食いついた。今、シンガポールの経由サーバーを抜けて、実行犯のIPアドレスが確定した」
画面には、複雑な座標とログが滝のように流れ落ちていく。
瑞穂は呆然と立ち尽くした。自分が「剛を助けている」と思っていた情報の裏に、夫が長年培ってきた執念と技術が、二重底のように隠されていた。
「信一さん、私……」
「お前の浮わついた心については、この件が終わってから、死ぬほど長い説教を聞かせてやる。覚悟しておけ。……だが、俺のシステムを、俺の妻を使って汚したあの男だけは許さん」
信一の指が、最後の一打を強く叩いた。
「エンターだ。これで、あの男が奪った金はすべて凍結される。そして、あいつのスマートフォンのGPS情報を、管轄の警察に直接流し込んだ。……逃げられんぞ、小僧」
モニターの青白い光に照らされた信一は、瑞穂が忘れていた、かつての「仕事に命を懸けていた男」の顔をしていた。




