禁断のメモと甘い共犯者
数日後の午後。瑞穂は、パート帰りに再び剛と待ち合わせていた。場所は、前回よりも少し人目を忍ぶ、路地裏の静かなブックカフェだ。
瑞穂のバッグの中には、一枚の付箋が入っている。昨夜、信一が風呂に入っている隙に、彼が自慢げに広げていた古い設計書の裏書きを書き写したものだ。
「瑞穂、無理をさせたんじゃないか?」
待ち合わせていた剛は、相変わらず少し疲れたような顔で、しかし瑞穂を見つけるなりパッと表情を明るくした。
「いいの。……これ、信一さんが言っていたわ。かつてのシステムにアクセスするための、特別な『鍵』のヒントなんですって。私にはよく分からないけれど、剛なら意味が分かると思って」
瑞穂が震える手で付箋を差し出すと、剛はそれを大切そうに受け取った。
剛の目が、一瞬、猛禽類のような鋭さで数字の羅列を追う。だが、顔を上げた時には、また元の「瑞穂に救われた元恋人」の瞳に戻っていた。
「……信じられない。瑞穂、これは僕にとって、文字通り『命の恩人』の言葉だよ。これで、再起のための道が完全に見えた」
「本当……? よかった」
「ああ。本当にありがとう。瑞穂……君はどうして、こんなに僕に良くしてくれるんだ? 僕は、すべてを失った男なのに」
剛がテーブル越しに手を伸ばし、瑞穂の指先をそっと包み込んだ。
夫の信一は、手を繋ぐことなんて、もう何十年も忘れている。信一の手は節くれ立って、いつも本やキーボードの匂いがするけれど、剛の手は少し冷たくて、どこか都会的な香水の匂いが微かにした。ヨレヨレの服を着ているはずなのに、不思議な違和感が瑞穂の鼻腔をくすぐる。
「私……ただ、剛に笑っていてほしかったの。昔、夢を語っていた時みたいに」
「瑞穂……」
剛が椅子を引き寄せ、瑞穂の耳元で囁く。
「この件が片付いたら、二人でどこか遠くへ行かないか。信一さんには申し訳ないが、僕は、君という『幸運』をもう二度と離したくないんだ」
その言葉は、信一の冗長な説教とは違い、あまりにも簡潔で、瑞穂が一番欲しかった場所を正確に射抜いた。
「二人で……」
「そう、二人で。君を、あんな退屈な生活から救い出したいんだ」
瑞穂の理性が、砂の城のように崩れていく。剛の言葉が嘘か真実かなど、今の彼女にはどうでもよかった。信一が守っている「システム」を壊すことは、自分を閉じ込めている「退屈な日常」を壊すことと同義に思えたのだ。
二人の距離が、触れ合うほどに近付く。
瑞穂は目を閉じ、これから始まる「破滅」という名の「春」に、身を委ねる覚悟を決めていた。




