勇者の妻になる条件
聖女が死んだ。
人族と魔族の争い、人魔戦争が終盤にさしかかったとき、勇者一行を前にした魔王の一言がきっかけだった。
「お前たち4人のうち誰か一人が犠牲になれば、この戦争から魔族全てを引かせよう」
その言葉の意味も、そもそもそれが真実だという保証もないまま。
1番崖の近くにいた聖女クリスティナは、その身をなげうった。
そこには、戸惑いも躊躇も何一つなかった。
結果的に魔王の言葉どおり全ての魔族が人の地を去っていき―――そして、戦争は終わった。
*
ガタゴト、と馬車が揺れる。
舗装されていない道なのだから当然かと思いながら、勇者リアムは目の前に座る人物に目を向けた。
美しい娘だ。ずっと眺めていても飽きないほどに美しい。
だが、数か月前まで常に共にいた娘―――聖女クリスティナを思い出しては、リアムは妙な気分になる。
聖女クリスティナは、常に明るく、表情豊かで、頭で考えるよりも先に手足が出るような性格だった。だが、その聖女クリスティナと瓜二つの双子の妹セレスティナは、まったく真逆の性格である。
物静かで、表情をほとんど変えず、突飛な行動を取ることもない。
姉の聖女クリスティナを悼む国主催の葬儀の時にすら、まったく表情を変えなかったことから、セレスティナは『氷の令嬢』と揶揄混じりに呼ばれている。
そんな彼女を、リアムは妻にした。
戦争終結の立役者として褒美を聞かれたときに、リアムはセレスティナを望んだのだ。
別に、彼女を愛していたわけではない。というより、会ったこともなかったのだから、当然だろう。
それなのにセレスティナを望んだのは、聖女クリスティナの言葉が脳裏に残っていたからだ。
聖女クリスティナは戦地での僅かな休息時間に、度々リアムに語っていた。
妹のセレスティナのことが、本当に大好きなのだと。
だから何度も話を聞くうちに、リアムは不思議に思って尋ねたのだ。
なぜそんなに好きなのかと。
そうしたら、聖女クリスティナが言ったのだ。浮かべていた笑みを引いて、とっておきの秘密を特別に教えるような顔で。
『セレスティナは、私たちを埋めてくれる子だもの。会えばリアムも絶対に、あの子を好きになるよ』
リアムは、その答えが知りたかった。聖女クリスティナとの答え合わせはできないけれど、その答えを知るための望みだった。
けれど当然、セレスティナの意向を無視して強引に話を進めるつもりなどなかった。
そこでセレスティナに打診したところ、条件付きで彼女は婚姻を承諾した。
その条件こそが『聖女クリスティナの最期の地に行くこと』だった。
リアムは条件を呑むことを了承し、そして―――時は現在に戻る。
*
「花冠を作っているのか」
いくらリアムたちの住む国が魔族の地に最も近いとはいえ、目指す場所は王都から遠く離れたところにある。
町に寄る度に、その地名産の花を一輪買い求めては保存魔法をかけていて、一体何のために集めているのか疑問に思っていたところだった。
「ええ、そうです」
こくりと頷くセレスティナの手元では、着々と花冠が作り上げられていた。配色を考えながら丁寧に編んでいく様子に、上手いなと感心する。
「クリスティナは、あまり手先が器用なタイプではなかったけど」
「双子とはいえ、別の人間ですので」
「……それもそうだな。失礼」
当然の内容に、自分の発言を恥じつつ、けれどそういえばと、頭をよぎった記憶に口を開く。
「クリスティナも、ラリエの花冠だけは得意だったな」
「そうですね。ラリエの花は編みやすいですから。……幼い頃から何度も作っていて、おかげで屋敷の庭の一角に、ラリエの花畑を作る羽目になりました」
セレスティナが微かに笑う。呆れ混じりの口調には紛れもない愛情が込められていて、セレスティナと聖女クリスティナの関係は決して淡白なものではなかったと伝えてくる。
けれどだからこそ、リアムは分からないのだ。なぜ彼女は、氷の令嬢と称されるほどに、姉の死に無反応を示したのか。
その理由が知りたくて、きっと知れるだろうと直感して、リアムは馬車に揺られ続ける。
*
目的地から少し離れた場所で、リアムとセレスティナは馬車を降りた。
ここから先は、人魔戦争の爪跡ともいえる、瘴気に侵された土地が広がっている。瘴気は、通常人にとっての毒だ。そのため、馬車の御者とは、ここで別れる必要があった。
御者から何度も「どうか聖女様に感謝をお伝えください」と頭を下げられたセレスティナは、相変わらずの無表情で言葉を受け取っていた。
ところでセレスティナは瘴気に耐えられるのかというと、「私は聖女の妹ですよ。姉とは比べものになりませんが、瘴気程度は問題ありません」との通り、しっかりとした足取りである。
セレスティナは口数少ない娘であるし、リアムもまた、この地で繰り広げられたものを思い出して口が重い。
自然と落ちる沈黙に、2人でひたすら足を進めること約1時間。ようやく辿り着いた先で、リアムは足を止める。
ここまで来れば、わざわざ口にせずとも分かるだろう。視線を上げれば、明らかに不自然な大地の途切れが目に入る。
無言のままセレスティナが数歩前に出て腰を下ろすと、完成した花冠を地面にそっと供える。
目を閉じ両手を組んで祈る姿には、近づくのを躊躇わせるような神聖さがあり、祈りを終え開いた瞳に宿る意思の強ささえも、かつてここにいた人間を思い起こさせる。
座ったまま振り返ったセレスティナが、リアムに問う。
「姉に伝えたいことがあるので私はこの場に少々留まりますが、リアム様はいかがなさいますか」
瘴気はあるが、この地は既に安全な地へと変わっている。あの戦いに関わった者たちが幾人も訪れたと聞くが、被害が生じたという話は聞かないのがその証拠だ。たとえセレスティナを一人残して離れたとしても問題ないだろう。……けれど。
「よければ、僕もいていいかな」
許可を求めて伺いみるリアムに、セレスティナは「どうぞ」言葉少なに頷く。
その声の響きに、違和感というか、感情が見えないというだけではない、妙に平坦なものを感じ、大丈夫かと手を伸ばそうとする。
しかし、その手が届くよりも早くセレスティナが動いた。
なんと彼女は、供えていたはずの花冠を掴み、立ち上がって―――谷底に向かって全力で放り投げた。
ギョッと驚くリアムに見向きもせず、崖に一歩近づくと、
「ふざけるなっ」
それは、腹の底から出した怒鳴り声だった。
「帰ってこいと言っただろう。それでお前は帰ってくると言っただろう。何が約束だ。何が絶対だ。お前は結局、守る気なんてなかったんじゃないか……っ」
ぼろぼろと彼女の瞳から涙が零れ落ちていく。押し殺していた感情を決壊させた彼女は、崩れ落ちるように地面に膝をついた。
体を支える細い腕は小刻みに震えており、丸められた拳は爪に砂が入ることも厭わずに固く握りしめられる。
……ねえ知ってる?と。
セレスティナは、今ではもう、必死に装っていただけだと分かる平静な声で語りかける。
「みんながあなたに、ありがとうって言ってた。きっとあなたは、それを満足そうに笑って受け取るんでしょうけれど。
でもね、私は全然嬉しくないの。一生分のありがとうを受け取っても、私はほんの少しも満足しないの。
だって、みんな、ありがとうって言うのよ。あなたが犠牲になったことに、ありがとうって言うの。あなたの死に、ありがとうって言うの。
だけど、私はそれに、なんて言えばいい?どうしましてって言えばいいの?姉も本望でしょうって、そう言えばいいの?
ええ、そうね。そう言えばいいのかもしれない。けれど私は、そんなこと、一度だって言いたくないの。
なんでかって?
そんなの決まっているじゃない。
私はこの結末に、これっぽっちもありがとうだなんて思っていないんだもの。
私の言っていること、分かるかな。そうね、あなたは分からないって言うんでしょうね。でもね、私は知ってほしかった。あなたに分かってほしかった。
私にとってあなたは、英雄などという他人じゃない。聖女だなんて名前じゃない。クリスティナは、私のたった一人の姉で、大切な家族で、愛する人間なのに。
何百万もの感謝なんていらないよ。歴史に残る英雄なんていらない。そんなもの、いらないから。どうでもいいから。世界中から臆病者だと後ろ指を指されても、私がおかえりって抱きしめるから。
だから、ねえ。ねえ、お願いだから。
あなたがいてくれることが、私には何よりも大切だったのに。あなたがいてくれるなら、私はそれが良かったのに。
どうして、生きて帰ってきてくれなかったの―――」
そこにあったのは、悲嘆と怒りが混じり合った、疑いようもない激情だった。セレスティナが感情のない氷の令嬢だなどと、見当外れもいいところである。
―――ああ、でも。
青い炎は赤い炎よりもずっと高温だという。
そうであれば。
ただの氷ではなく、氷の炎であるならば。
確かに彼女にこそ相応しいと、リアムは思った。
そして同時に、聖女クリスティナの言葉の理由を理解した。
なるほど確かに、リアムはセレスティナの心が欲しい。
前提として、聖女クリスティナと勇者リアムは、非常に似通った性格をしていた。同類と呼んでも差し支えないほどに。
誰かから助けてと言われれば、たとえその誰かが見知らぬ他人だとしても、迷わず手を伸ばす。それで自らの命を失うことになろうとも、そんなことは一切関係なしに。
それは、ある種の病のようなものだ。
もしもあのとき、聖女クリスティナと同じ位置に立っていたのなら。リアムは間違いなく崖から飛び降りていただろう。
なぜそこまでするのかと問われても答えられない。
ただ、リアムも、聖女クリスティナも、そういう人間であるだけだ。
けれど、だからこそ、リアムはセレスティナが欲しい。
彼女が居ようが居まいが、リアムの行動は何も変わらない。
だが、勇者ではなくリアム自身を、幾万もの人々よりもただ一人を求める彼女が隣に居てくれるなら―――セレスティナにとってはたいそう皮肉なことに―――どれだけ迷いなくこの命を賭けられるだろうか。
深く息を吸って吐いて、乱れた呼吸を抑え込んだセレスティナが、ゆっくりと立ち上がってリアムへと歩み寄る。
いつも通りの静謐な美しさに、目元の赤色だけが激情の名残を残していた。
「リアム様」
静かな声が、リアムを呼ぶ。
「きっとあなたも、姉と同じ人種なのでしょう」
「ああ、そうだな」
あっさりと頷くリアムに、彼女は続ける。
「ですがどうか、ご自分の身の健康にはお気をつけください」
「ああ、気をつけよう」
「どれだけ先が見えずとも、危機に瀕した際は逃げ続けてください」
「ああ、そうしよう」
「誰よりもまず、ご自分の命を守ると誓ってください」
「ああ、それは無理だな」
即答するリアムに、そうでしょうねとセレスティナは呟く。姉と同類のリアムの行動原理など、嫌というほど知っているのだろう。
―――だが。
ですが、と己を真正面から見据える青の美しさを、リアムはきっと、一生忘れない。
「私はあなたに杭を打ちます」
「……杭?」
「ええ。私はこれからの人生全てをかけて、あなたの心に杭を打ち続けます。あなたが少しでも自分の命を惜しんでくれるように。たとえなんの意味もなさないとしても、止めることはしません。
だって私たちは、家族になるのですから。私の大切な人にあなたはなるのですから。
リアム様、よろしいですか。
私を妻にするというのは、そういうことですよ」
おそらくそれは、彼女の言う通り、何の意味もない行為だろう。
だが、無駄だと口にする気はさらさらなかった。
何しろ、リアムは今この瞬間ですら彼女の願いを守る気などないくせに、彼女の言葉が心底嬉しくて仕方ないのだ。
……ああ、やはり自分たちは同類だと、リアムは聖女クリスティナに心の内で語りかける。
「では、帰りましょうか」
行きとは逆に、セレスティナが前に立つ。
リアムは彼女の一歩幅分後ろをついて行く。
崖が見えなくなる直前。少しだけ後ろを振り返ったセレスティナが言った。
「また来ます。クリスティナ姉様」
その後、彼女は、馬車に戻るまで一度も後方を見ようとはしなかった。
*
それから数か月後のある日。
セレスティナが、届いた手紙を破り捨て、屋敷でボヤ騒ぎを起こした上に、丹精込めて育てていたラリエの花を全て刈り尽くしたという。
夫人ご乱心の知らせを聞いたリアムは、出先から慌てて屋敷に戻った。
急いで開けた扉の向こう。
部屋の真ん中に立つ妻の姿に、リアムはどうしてか泣きたくなった。そんなことは、生まれて初めてだった。
理由は分からない。でも、原因は分かる。
だって―――
ラリエの花冠をかぶったセレスティナが、幸せそうに笑ってリアムを迎えたのだから。
『実はお姉ちゃん、魔王さんと結婚しちゃった。秘密だよ』
個人的な話ですが、物語にはハッピーエンドを求めています。
お読みいただき、ありがとうございました。




