【8】御伽噺の聖女様
エレノアの淑女としての学びの日々です。
朝食の時間の前に希愛が私の部屋に訪れ、見慣れないあのお化粧品を使って、また綺麗にお化粧してくれた。
昨日は赤みブラウンのアイシャドウだったが、今日はコーラルピンクにして、華やかでフェミニンな印象にしたという。
「ピンクメイクの腫れぼったさを抑えるために、発色の弱いベージュやブラウンをアイホールに仕込んで、陰影を付けることでナチュラルな仕上がりになるんです。マスカラも同色のピンクショコラを合わせることで、統一感を出して目元を立体的にしました!」
相変わらずお化粧のことになると、ウキウキと楽しそうにしている希愛に、私も自分の顔を見て嬉しい気分になった。
ここに来てまだ大して時間が経っていないが、何だか自分に少し自信が付いたような気がする。
以前は鏡を見るのが大嫌いだったが、今は希愛のお陰で華やかに変わっていくのがとても楽しいのだ。
そういえば、ルルリア様が言っていたが、希愛の所持しているお化粧品は、どんなに使っても朝になると新品同様に補充されているという。
そのことを希愛に聞いてみると、希愛も不思議そうに首を傾げて、お化粧品をまじまじと見た。
「…この世界に転移するとき、全身が輝いた神様みたいな人と、なんか会話したような気がするんですよねぇ。うろ覚えなんですけど、私のメイクの力で聖女様を目覚めさせるだとか、そのためにメイク用品は無限に使えるようにするだとか?私もなんか張り切って、分かりました!とか言ったような。…うーん、夢だったのかなぁ」
希愛自身もよく覚えておらず、夢か現か曖昧だという。
でも、朝になるとお化粧品がちゃんと綺麗に補充されているのだから、神様と約束したのもあながち間違いでもないのでは、と思えてきた。
(聖女様って、あの御伽噺の聖女様のことかしら)
エタルルーシェ王国に存在する御伽噺に、王国が戦によって傾いたときに、聖なる力を持つ少女が現れ、癒しの力で王国を復興させたというものだ。
最後に聖女様が現れたのは1000年も前と聞くから、ほとんど伝説みたいな話だ。
もし、希愛の話が現実なら、聖女様に選ばれる少女が王国にいるということか。
聖女様が現れるということは、どこか他国との戦か、王国で内乱や飢饉が起こる可能性もあると想像して背筋が震えた。
(何も起こらなければいいけど…)
ひとまず、頭の片隅に入れておくことにした。
希愛によって綺麗にお化粧されたあとは、ルルリア様が直々に衣装を見繕ってくれて、ルルリア様とお揃いのデザインが組み込まれたワンピースを着た。
朝食の席に着いたとき、リオネル様から「まるで姉妹みたいだ」と言われ、ルルリア様と二人で微笑み合った。
朝食のあとは、ルルリア様と共に家庭教師による淑女の礼儀作法を学ぶ。
希愛も部屋の隅で待機する中、年嵩の女性教師のレアがやって来て、さっそく姿勢の治し方から教わった。
私はかなり猫背気味で首も下を向きがちのため、暗い印象になってしまっていると指摘された。
「体の軸を意識して下さい。天井から頭を糸で軽く引っ張られているように想像すると、自然と背筋が伸びて美しい姿勢になります。顎を少し上げて、目線は真っ直ぐ。高慢な印象になってしまうので、顎は上げすぎないように意識して下さい」
教えられた通りに背筋を伸ばして少し上を向く。
そのとき口端も意識して上げると良いと言われやってみると、目元もリラックスして柔らかな温かな印象になったと褒められた。
「エレノア様は飲み込みがお早くて素晴らしいですわ!あのレアが手放しでお褒めになるのは滅多にないことですのよ。わたくしなんて、全く出来なくて何度も怒られましたもの」
礼儀作法の授業の合間、少し休憩しながらルルリア様は先ほどの私の出来を喜んでくれた。
ルルリア様は大公の令嬢ということで、周りからの期待やプレッシャーも、他の貴族の令嬢たちよりも重いものだったのだろう。
だから、家庭教師のレアもルルリア様にはより厳しく指導したに違いない。
それでも捻くれることなく素直に育っているルルリア様を見ると、クロフォード公爵やリオネル様からとても愛されているのだろうなと察せられた。
それからの日々はレアによる立派な淑女になるための厳しい特訓が待っていた。
基本の姿勢をマスターしたあとは、王国のダンスや音楽、刺繍に食事のマナーなど学ぶべきことは盛り沢山だった。
疲弊する毎日だったが、不思議と嫌だとは一度も思わなかった。
むしろ、今まで知らなかったことを学ぶ楽しさに私の心は踊っていた。
刺繍に関しては、元よりレース編みなど手先を使う作業が好きだったので、苦痛どころか疲れさえ忘れて没頭してしまうほどだった。
ある日、白いハンカチにピンクのリンドウの花を刺繍したものを、ルルリア様に差し上げたらとても喜んでくれた。
ピンクのリンドウの花言葉には、『愛らしい』や『優しさ』がある。
可憐なルルリア様にとても似合うと思ったのだ。
ルルリア様は幼少の頃より、お母上と同じく喘息がひどくて、あまり外に出ることが無いらしい。
なので、ハンカチに刺繍をする際、ルルリア様の『健康』や『精神の安定』をお祈りするように、まじないを掛けながら作った。
すると、ルルリア様がこのごろ体調がメキメキ良くなったと嬉しそうに報告してくれた。
「エレノア様からハンカチを頂いてから、夜になるとひどくなっていた喘息がたちまち良くなりましたのよ!お薬も飲んでいないのに、ここのところもうほとんど発作も出ていませんの」
ルルリア様はしきりに私のお陰だと感謝するが、私にはそんな神様みたいな力は無い。
恐らくルルリア様の気のせいか、季節の変わり目など気温の変化で体調が変わり、症状が緩和したように感じたのだろうと思った。
レアからの授業がお休みの日は、ルルリア様や希愛と紅茶を楽しんだり、リオネル様と庭園をお散歩し、リオネル様の弾くヴァイオリンの音を楽しんだりと、充実した時間を過ごしていた。
繊細で歌うような曲の旋律を奏でたリオネル様は、私に向かって丁寧に頭を下げる。
周りに大輪のカサブランカが咲き並ぶ庭の四阿のベンチに座って、私はリオネル様に称賛の拍手を送った。
花に囲まれてヴァイオリンを弾くリオネル様は、荘厳な絵画のようだった。
「ありがとうございます。エレノア様に喜んで頂けて嬉しい限りです」
私もここに来て初めてヴァイオリンを習ったが、弦の正しい位置に指を置くのを意識するのに精一杯で、リオネル様のように美しい旋律はまだ奏でられない。
そう打ち明けると、リオネル様は「よろしければ、エレノア様にヴァイオリンをお教えしましょうか」と提案した。
音楽家の家系だったお母上の影響で、リオネル様もルルリア様も幼少の頃から、音楽に特に慣れ親しんできたのだそうだ。
リオネル様からの願ってもない申し出に、私は子供のように顔を輝かせてしまった。
「ぉねがい、しま、す」
『お願いします』と発音したつもりだったが、途切れ途切れの拙い言葉になってしまった。
クロフォード公爵家に滞在中、公爵家お抱えの医師に診察してもらったが、喉に特に異常は見られないので、やはり心理的なストレスなどが要因であると診断された。
それから、医師から処方された紫蘇の枝や葉を乾燥させたものを混ぜた生薬を服用したり、リコリスやカモミールなどのハーブを使った紅茶を飲んだりと、色々な対策をした。
他にも希愛が日本で得た知識を使って、生姜や蜂蜜を混ぜた飴を作ってくれたりした。
そして、無理のない程度に声を出す練習もしているうちに、掠れてはいるが音が出せるようにはなってきたのだ。
まだ言葉を滑らかに発音するのは難しいが、リオネル様は決して笑ったりせず、私の言わんとすることを正しく理解してくれた。
読んで頂き、ありがとうございます!
次回、リオネルとエレノアが急接近の予定です。
ユリルも不穏な動きをしています。




