【3】変身
やっとエレノアがメイクしますが、長くなってしまいました。
茶金髪の少女は何やら濡れた白くて小さい布を取り出すと、それを私の肌に当てて優しく拭き取り始めた。
目を閉じて動かずにジッとしていると、「終わりましたよ」と言われ、私はゆっくり目を開けた。
手鏡を渡されて見てみると、酷かった道化師のお化粧はスッキリ落とされ、いつもの見慣れた陰気な顔が映っていた。
(ありがとうございます)
口で形を作り、そう言って茶金髪の少女に頭を下げた。
「もしかして、声が出ない感じですか?ご病気とか?体調悪いとかあります?…あ、というか名乗るの忘れて、大変失礼しました!私、星倉希愛って言います!」
いっぺんに多くの質問をする希愛に思わず吹き出してしまった。
(何だか面白い方だわ)
私はいつも持ち歩いている小さいノートを取り出した。
屋敷では私から話すことはほとんど無いのであまり使わないのだが、外に出たときに筆談出来るように持ち歩いていたのだ。
ノートに挟んである小さな万年筆で、『声が出ないこと』、『体調は大丈夫なこと』を書いて希愛に見せた。
「エレノア・ネヴィル様…ネヴィル伯爵家の方ですよね。あとは声が出ないと、なるほど。体調は大丈夫…それなら良かったです!」
そう言えば、先ほど希愛は私がつけていた白粉は危険だと言っていた。
どういう意味なのかメモに書いて希愛に質問してみる。
「さっきの白粉ですか?あれ、エレノア様何も聞いてないですか?1ヶ月前、トクシー社が製造販売していた白粉から『鉛白』っていう有害な成分が入っていることが判明して、使用していた貴族の女性から健康被害の報告が上がったんです」
報告を受けた国は、すぐさまトクシー社に白粉の製造販売を禁止させ、すでに白粉を所持している者には回収命令を報せたらしい。
国から法によって所持、使用禁止になっている白粉が、私の顔に塗られていたので希愛は心底びっくりしたそうだ。
私は普段、自室からほとんど出ないので、外の情報については何も知らないのだ。
1ヶ月前にトクシー社の白粉が製造販売禁止になっていたなんて初めて聞いた事実だった。
でも、あの白粉はユリルが持っていたもので私の持ち物では無い。
それに、トクシー社の紋章が刻まれた器ならともかく、別の化粧品会社の紋章だったので、これはどういうことだと頭を悩ませてしまう。
私は、あの白粉は義妹のユリルが持ってきたものであり、別の化粧品会社の紋章が入っていたとメモに記して見せた。
「…ということは、ユリルさんがトクシー社の白粉を隠し持っていて、別の化粧品会社の容器に移し替えたんでしょうね。それを何も知らないエレノア様に塗っていたのだとしたら、かなりヤバいですよ」
希愛は眉根を寄せて苦虫を噛み潰したような顔になった。
「トクシー社が製造販売していた白粉に含まれる『鉛白』という成分は、長期的に摂取してしまうと人体に重篤な被害を及ぼします。これまで国に報告が上がった例では、頭痛や腹痛、食欲不振に嘔吐、あとは貧血の症状が酷くなったという報告もありました」
白粉を使うのは貴族階級の女性だけなので、被害数はそこまで多くはないそうだが、それでも何人かは未だに後遺症に苦しんでいるという。
「最悪の場合、死に至るかもしれないっていうのに…」
部屋に引きこもっている私と違って、流行に敏感なユリルはその辺の情報も、いち早く仕入れているはずだ。
『鉛白』の入った白粉が人体に有害なものであることは、ネヴィル伯爵家にもすぐに連絡が行ったことだとろう。
ユリルも使用人たちもそれを知っていながら、私にだけ情報が行かないよう徹底的に遮断していたのだ。
そして、何も知らない私に、危険だと知っていながら『鉛白』入りの白粉を厚く塗りたくった。
『まぁ、お姉様!とても素敵におなりよ!』
(ユリルは、私が白粉で苦しんでも、仮に死んだとしても構わなかったんだわ)
いや、国法で禁止されている白粉を隠し持ち、わざわざ別の化粧品会社の容器に移し替えて、私の顔に塗ったということは、あわよくば私を殺そうとしたのだ。
俯いてしまった私の肩を、希愛が優しく撫でてくれた。
「あの、もしよろしければ、私の部屋へ来ませんか?私の部屋と言っても、招待されたリオネル様の使用人用に用意された部屋ですけど、今はたぶん誰もいないと思うので。そこで、ちょっとお話しません?」
リオネル様とは、クロフォード公爵家の嫡子で、国王陛下の甥御にあたる、あのリオネル・クロフォード様のことだろうか。
ということは、希愛はクロフォード公爵家の使用人ということか。
リオネル様はまだ会場内にいらっしゃるはずなのに、希愛は何故こんな中庭を彷徨っていたのだろう。
不思議に思ったが、希愛が「さぁ、行きましょう!」と手招いたので、私は大人しくついて行くことにした。
希愛に案内されて入った部屋は、使用人に用意された部屋とはいえ、かなり豪華な内装の部屋だった。
重厚なカーテンが敷かれた窓際のソファに私は腰掛ける。
希愛は部屋に置いてあった黒いカバンの中をゴソゴソと漁ると、机の上に何やら細々とした小物を並べ始めた。
私はそれらの内のひとつを手に取って見てみたが、これまた見たことの無い不思議な異国の文字が書かれていて首を傾げた。
希愛にこれは何かとメモに書いて聞くと、『ニホン』という国で売られている化粧品ということだった。
『ニホン』という国名は、この世界では聞いたことの無いものだ。
そういえば、『星倉 希愛』という名前もあまり聞き馴染みのない響きだ。
私があまりに滑稽な表情をしていたからだろう、希愛はお化粧道具を持ちながら苦笑した。
「えーと、最初から説明しますと、私は『日本』という国から異世界であるこの国に来ました。日本ではメイクアップアーティストになりたくて、専門学校に通っていたんですけど、その帰り道にトラックに轢かれちゃいまして。気が付いたらこの世界にいて、路頭に迷っていたところをルルリア様に拾って頂いたんです」
ルルリア様とは、リオネル様の妹君だ。
ルルリア様と出会った経緯を話しながら、希愛は私の顔に薄桃色のクリームや、大きなブラシで薄茶色の粉を優しく丁寧に塗っていく。
「私たぶん、『異世界転生』だか『転移』ってやつをしたんだと思うんですけど、何故か持ってたメイク道具はそのままで、これからどうしようってアワアワしていたら、水を被ってびしょ濡れになったルルリア様に出会ったんですよ」
ルルリア様は街へ買い物に出ていた際に、痴話喧嘩している夫婦に遭遇し、その仲裁に入ったときに、旦那が持っていたバケツに入った水を被ったらしい。
公爵令嬢に水を浴びせてしまったことを、夫婦は地面に額を擦り付けながら詫びたという。
「ルルリア様が馬車に戻る途中に、呆然としている私に声を掛けて下さったんです。そしたら、『お困りならうちへいらっしゃい』って、私をお屋敷に呼んで下さって。メイク、お化粧が得意だってお話したら、ぜひお願いしたいわってことで、そのままルルリア様専属の侍女になった形ですかね」
実はそのときに、ルルリア様が件のトクシー社の白粉を使っていて、白粉に含まれる『鉛白』が有害であることを日本の学校で学んでいた希愛が指摘したらしい。
クロフォード公爵家はすぐさま国に報告して、被害を最小限に抑えることが出来たのだ。
希愛は薄茶色の粉を塗り終わると、細長くて黒い筆のようなものを手に取り、私の目のキワに薄く線を引いていく。
次に細長い筒から黒いブラシを抜き取ると、私のまつ毛にゆっくり塗っていく。
それが終わると、4色のキラキラした粉が詰められた容器の蓋を開け、薄い色から順にまぶたに塗り始めた。
「エレノア様は一重まぶたですので、目を大きく見せるように、目頭から目尻にかけて縦割りにグラデーションになるようアイシャドウを塗っていきますね。そうすることで、柔らかく自然な陰影を作れて、縦に目が大きく見えるんです」
希愛は手を止めることなくテキパキとお化粧をしていくが、私はいまいち『異世界』やら『日本』という国に理解が追いついていない。
(『トラック』って馬車の名前か何かかしら?)
あまりに支離滅裂な話に、希愛はきっと遠い異国の出身で、もしかしたらどこかで事故に遭って頭を打ち、ショックで記憶を無くしているのかもしれない。
そのせいで、異世界やら転生やら不可思議なことを言っているのだろう。
そう納得することで、私はとりあえず気持ちを落ち着けた。
希愛はその間も、手を止めることなく私の眉毛をブラシやペンシルで整えていく。
「次は、ノーズシャドウやハイライトで鼻を高く綺麗に見せるメイクをしますね。少し暗めのノーズシャドウを塗って、こうやってぼかすことで、鼻の立体感がグッとアップしてシャープな印象になるんです。そして、潤いのあるツヤ感を出すためのハイライトと、血色の良い肌の透明感を高めるピンクオーキッドのチーク、仕上げにローズピンクのグロスを塗れば……はい、完成です!」
希愛が満面の笑みで手鏡を見せる。
それを覗き込んで、私はしばし唖然としてしまった。
(これが…私……?)
先ほどまで、青白くて目の細い陰気な私の顔が、血色の良い華やかな顔に変わっている。
目はパッチリと大きく見え、まつ毛が綺麗に自然な上向きに揃っている。
コンプレックスだった低い鼻もスっと鼻筋が通り、頬は愛らしい薔薇色だ。
そして、口紅が塗られた唇はぷるぷるに潤い、シャンデリアの光を受けてキラキラ煌めいていた。
(すごいわ…こんなことが、こんなことが起きるなんて)
感激して思わず涙が溢れそうになったが、目元のお化粧が崩れてしまうのでグッと我慢する。
「エレノア様、とっても素敵です!さっき付けてたオレンジ色のアイシャドウだと、一重まぶたが重たくなってしまって逆効果なんですけど、今付けてるアイシャドウはグラデーション効果があるので、スッキリと自然な印象になるんです。目尻にアイライナーを少し入れることで目の印象を強くして、鼻や頬にハイライトを塗って立体感を際立たせ、光とツヤをプラスしました!」
極め付きにコレ!と、希愛は私に塗ったのと同じローズピンクの口紅を取り出した。
私が乳母から渡されたお化粧雑誌に載っている口紅とは形状がかなり違うが、ピンク色の透明なジェル状の液体の中に、先端部分にブラシの付いた棒が入っている。
「このグロスは日本で人気なプチプラコスメのブランドのものなんですけど、透明感のある美発色でガラス玉みたいな、ぷるぷるなツヤが長持ちするんです。これを付けるだけで華やかさが段違いになるんですよ!」
希愛は手のひらに載せたグロスを見せながら、やや興奮気味に捲し立てるように説明した。
私は何だかよく分からないが、日本という国はよほどお化粧に関して最先端な国なのだろうなと、理解が追い付かない頭でぼんやり思っていた。
私は希愛にメモで精一杯の感謝の気持ちを伝えた。
読んで頂き、ありがとうございます!
次回も楽しみにお待ち頂けると嬉しいです。




