【15】気付け薬
アデルの不穏な計画は一体どこに向かうのか。
「おい、この前頼んだ例の物は届いたのか?」
アデルは風呂上がりのバスローブ姿でソファにドカッと座り、傍に控える近習の1人に聞いた。
「はい。先ほどようやく届きまして、こちらが例の物になります」
猫撫で声で言う近習の手には、木で出来た大きな箱があった。
おそらく桐の箱であろう高級感のある箱の中には、乾燥した茶色い葉が刻まれたものが入っている。
アデルはその中身を見て口元を歪めた。
「ほう、なかなか上等な『薬』が手に入ったな。これならユリルも『喜ぶ』だろう。さっそく彼女へ送ってくれ。あぁ、そうだ。ユリルがしっかり飲むよう、ネヴィル伯爵家の者に言いつけて監視させろ」
「かしこまりました」
近習は桐の箱を持って引き下がった。
グラスに高級ワインを注ぎ、シャンデリアの光に掲げる。
琥珀がかったガーネットのような朱色が煌めいた。
「小賢しいクロフォード公爵家に、聖女の力を独占などさせるものか。エレノアは必ず手に入れる。待ってろ、リオネル。すぐにでも貴様の首を刎ねてやるからな」
アデルは不敵に笑うとワインを飲み干し、グラスを乱暴に置いた。
***
次の日、私は希愛と一緒にネヴィル伯爵家へ向かった。
希愛の他に護衛騎士の男性が2人、私の後ろに付いてきてくれている。
ネヴィル伯爵家へ帰るのは2ヶ月ぶりだろうか。
夏の日差しが痛いくらい強く、青々とした爽やかな風が吹き、向日葵が輝かんばかりに大輪の花を咲かせているのに、ネヴィル伯爵家の屋敷は陰鬱とした雰囲気に包まれていた。
取り次ぎの使用人に来訪を告げると、すぐにユリルの部屋へ案内される。
どうやらユリルの病は感染症ではないらしく、直接の見舞いを許可してもらえたのだ。
久しぶりに帰った我が家は、暗く沈んだ空気に満ちていて、言いようのない不安に駆られた。
ユリルの部屋に到着し中に入ると、ベッドの上に上半身を起こした状態のユリルが顔を俯けていた。
「ユリル…」
「ユリル様、エレノア様がお見舞いにお越し下さいましたよ」
使用人の声にも私の声にも反応せず、ジッと動かないユリルの元へ私は近付いた。
ユリルは青白い生気のない顔で、細くなった手元を見つめていた。
私が来たことにも気付いていないのか、瞳には光がなく、まばたきすらゆっくりだった。
「一体、ユリルに何があったというのですか?」
私はユリルの側仕えの侍女に質問する。
侍女自身も具合が悪そうに頭を押さえながら、原因が何も分からないのだと言った。
「数週間前に旅の商人から、東方の国から仕入れたという口紅を購入したのですが、ユリル様はそれから少しして急に具合が悪いと仰って、ベッドで臥せるようになったのです」
口紅と聞いて希愛の眉がピクリと動いた。
「その口紅って今もありますか?見せて下さい」
侍女はすぐにユリルのドレッサーの引き出しから、丸い容器に入った口紅を取り出し、希愛に手渡した。
希愛は口紅を吟味するように真剣に見つめ、侍女にユリルの体調不良の様子を事細かに聞き始めた。
「ユリル様がお付けになっているこの口紅は有毒です。口紅には『辰砂』という水銀が含まれる鉱物が使用されています。これはトクシー社の白粉と同じで、使い続けると有毒な成分が体に入り、やがて重篤な健康被害をもたらします。ユリル様はおそらく、この辰砂のせいで水銀中毒を起こして、鬱病を発症していると思われます」
希愛はこの世界に来る前、お化粧を専門に学ぶ学校に通っていた。
そのときに、過去のお化粧品に関する事件や健康被害について知った。
ユリルの購入した口紅には水銀が含まれていて、これを取り込み続けたせいでユリルは気分の抑鬱、気力や意欲の低下を引き起こした可能性が高いという。
「その行商人の名前って分かりますか?これ以上、被害が出ないように取り締まらないといけません。…あと、気になったのですが、そこに置いてある薬って、お医者様から処方されたものですか?」
希愛はベッドの隣にある、小さな机の上にあった薬の袋を指さした。
希愛はその薬からする『匂い』が気になると言ったのだ。
私もこの部屋に入ったときに感じたが、嗅いだことのない独特の匂いがするのが気になった。
「こちらは、アデル王太子殿下より『特別な気付け薬』だと賜りました。朝と夜に必ず飲むようにと。届いたのが昼頃なので、まだお飲みになっていませんが、こちらが何か?」
希愛は薬の袋を開けて、少し顔を近付け匂いを確かめる。
私もチラリと見たが、中身は茶色い乾燥した木屑のようなものがたくさん入っていた。
「すぐに破棄して下さい。これは有毒です!」
希愛が悲鳴に近い声を上げた。
「希愛、これは一体何かしら。薬ではないのね?」
私の背筋に氷が伝うような嫌な感覚が走った。
「これは、私のいた日本では当たり前にありましたが、『煙草』という嗜好品に使われる葉っぱを乾燥させたものです。この国では昔から違法とされて、輸入禁止になっているはずです。嗅ぐだけならまだしも、まだお若いユリル様がもしこれを経口で服用したら、最悪死に至るほど強力な毒です」
「なんてこと…」
この国では『煙草』という名前ではないが、香りを楽しむ嗜好品はある。
その昔、この『煙草の葉』による頭痛や心疾患などの健康被害が多数報告され、国では製造や他国からの輸入を全面的に禁止した。
つまり、アデル殿下は『煙草の葉』が人体に有害な違法薬物と知っていながら密輸し、それを薬と偽って他の生薬と混ぜてユリルに送ったのだ。
「つまりアデル殿下は、ユリルを殺そうとしたのね」
私の心にふつふつと怒りが湧いてきた。
ユリルに散々罵倒され、失声症を患うほど追い詰められたが、それでも大事な私の妹だ。
きっとユリルは、アデル殿下のために美しさを追求して、この口紅に手を出したのだろう。
それなのに、アデル殿下は病を発症したユリルをすぐに見限って、挙句の果てに殺害しようとした。
許せる訳がない。
私はユリルの手を取ると、希愛に贈ったものと同じ、レース編みのブレスレットを付けた。
ユリルの髪色と同じ、ミルクティーのような灰色がかった茶色のレース編みだ。
これに聖女の癒しの力を込めた。
ホワッと桜色に輝く魔力がブレスレットを包み込み、柔らかな風が部屋の中を吹き抜けた。
ユリルの表情に変化は無かったが、大きな瞳から一粒の涙が零れ落ちた。
そのままポロポロと涙を流すユリルを私は優しく抱き締めた。
「ごめんなさい、ユリル。もう少し早く来るべきだった。ごめんなさい」
私はユリルの背中を優しく撫でながら、ユリルの回復を祈った。
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