なんで連載作品の多くが更新停止するのか、または作者が書くのを止めるのか。それは君のせい。
ランキングのタイトルだけ見ても、『悪役○○』『追放』『婚約破棄』そんなのばかり。
その中に飛び込んでオリジナリティある作品を書きつづけるというのは、それだけで挑戦精神がなければできないことだと思いませんか。
あえてエッセイタイトルで読者に責任があるように見せているのは、読者の考え方が変わらない限り(作者の努力だけでは)絶対に現状は変わらないからです。理解してください。読者一人一人の行動の変化だけが、「小説家になろう」の現状を変えられるのです。
なろうってさ、自由に小説を投稿できるよね。
けどそれはさ、何もなろうじゃなくてもできる。
カクヨムとかアルファポリスとか、ほかにもいろいろ小説投稿サイトはあるからね。
自由に投稿できても、それが読まれないこともあるよね(読まれても評価が付かないことも)。
アニメ化された小説だけ読んで評価する人もいるし。人気作とか、あるいは流行作品とか、人気のある作者だけを目当てにしている人もいる。
ランキング作品ばかり読んでいる人もいるんじゃない?
それで自分は、目をとおされる可能性が低い、流行でないタイトルと内容の作品に、なんで容赦のない評価を付けたりして、わざわざ数すくない作者の筆を折りにくるのかって、『なぜなろうには似たような作品ばかり書かれるのか? 3つのネガティブな理由』というエッセイで意見を提示した。
自分は評論家づらした読者が嫌いだ。
なぜならそうした連中っていうのは、なろうに「なろう系作品」ばかりが書かれる原因を作っている理由の1つだからだ。
中には平然と「低い評価を付け、厳しい感想を書いて何が悪いんだ? もしそうしなければ、投稿される作品の質が落ちるだろう」なんて言うやつもいる。
ランキングに乗る粗製濫造される作品を読まず、オリジナリティがありそうな作品を選んで目をとおし、そして低い評価を得意げに付けている。
そうして作者が筆を折っても、こんなことをぬかすわけだ。
「高評価を付けられないと書きつづけられないんですか? 作者は自由に自分の書きたい作品を書けますよね?」
こういう無神経な言葉を投げつける者もいる。
自由に何かができるからといって、だれもがそれをできる(つづけられる)わけじゃない。
作者は自分の時間を使って創作をしている。それはだれかが楽しんでくれたり、あるいはなんらかの感情を抱いてほしいと望むからだ。
もちろん評価点だけが創作の理由じゃない。
けれど、なんの反応も返ってこないのに作品を投稿しつづけられる人のほうが少ないのはあきらか。
そうした作者の残映が大量に残されているのが、こうした小説投稿サイトの陰の部分だ。
──そこで、あらすじの話に戻る。
なろうから離れる決断をしたにしても、作品を削除する必要があったのか、ということを考える。
多くの読み手も付いていて、高評価を得ていた作品も多かったにもかかわらず。その作者はなろうを去ったのだから。
読者はそうしたことについて考えて、「なぜ」という疑問をもつことを忘れないでほしい。
作者の多くは、評論家気取りの読者の相手をしたいなんて思っていないはず。
無神経な読者の心ない言葉や対応に傷つき、投稿するのを止める作者がいても仕方がない。
作者は人間であってAIではない。
読者は作者の気持ちなど考えず自分勝手に評価しているのに、作者が更新を止めたり、作品を削除することに文句を言える立場にあるはずがない。
応援されてないと感じた作者は、いつ筆を折ってもおかしくない。
勘違いした読者は辛辣な評価や感想を「作者のためを思って」などと言うんだろう。
挑戦しもしない人の語る「評価されなくれも書きつづけろ」なんて言葉は、どんな偽善的な言葉よりも汚らしい。
あらすじに書いたのは実際に体験したこと。その作者さんは実に筆力の高い作者でした(たぶん文学畑の人)。そうした作者が辞めていくサイト。それの何が「小説家になろう」なのか。
巧みな文章の作品が消えて、同じような内容の作品が残されるなんて、そんなの読者にとっても不幸なことでしかない。