12 疑似餌の罠
仁はバスに乗って十分、三津喜市の市立図書館に行ってみた。
図書館は市役所のそば、中心街の近くにある。思ったより広いのは、三津喜市外からも人がくるからだ。三津喜市はここらへんの市町村を含めた地方の中核で、市外からの通学通勤も多く、大きい図書館があるのは三津喜だけだ。
民俗仮面、能面、神楽面などをおさめた図鑑を手にとる。仁は町内のお祭り、その舞に使われるお面の制作を頼まれた。どんな狐面にしたいのか、想像を膨らませる。
「あ、あれも見ていかないと」
ひととおりお面の本を見たあと、仁は棚をぐるっと回り、違う本をさがす。
「ここらへんかなあ」
宅地建物取引士や賃貸不動産管理者、マンション管理士の資格勉強の本を見たいと思った。伯母の本棚にもあったが、難しくてさっぱりだったのでもっと簡単なものを探す。資格をとりたいわけではないが、これからアパートの管理人をするのに知識が必要だと思った。
タイトルの「マンガでわかる〜」を見て、本を取り出す。なかをぱらぱらとめくってみた。「土砂崩れを防ぐ壁は二メートル以下なら届け出はいらない……」、ここはあまり関係ないけど、内容はわかりやすそうだ。
貸し出しカードがなかったので、作るのにちょっと時間がかかった。運転免許をもってないからなあ。むこうでは必要なかったけど、ここではあったほうが便利かもしれない。
整理券のあとに、チャリンと小銭が落ちた。
「ありがとうございます」
「はい、どうもー」
路線バスをおりて、あわい荘にむかう。地域のⅠCカードがあるみたいだから、今度作ってもいいなあ。ゆらゆらとリュックにつけたキーホルダーが揺れる。銀朧からもらった青いガラスの目玉だ。今日も機嫌がよさそうにくるくる動いていた。
もう夕方だ。赤く染まった空にカラスが飛んでいく。
「おや、仁さん」
突然、後ろから声がかかった。振りむくと――というより首をひねって見あげるとヴィックがいた。彼はその大きな体を曲げて挨拶をした。
「ヴィックさん、外出でしたか」
「ええ。散歩ですよ、散歩」
そう言いながらも、ちょっと居心地悪そうにそわそわしている。思い当たる節があって、仁から聞いてみる。
「もしかして、〆切の現実逃避ですか?」
「うう、まあ、はい……」
ヴィックはうなだれて、愚痴をこぼした。
「なんでこう、〆切っていうのは次から次に来るんでしょうね」
それから大きく伸びをする。低くなった太陽の光に、仁はすこしすがめて見た。
「散歩はいいですよ。脳を活性化させてくれる。昔、脳に刺激を与えるのにボルトをつっこもうとしましたが……うまくいかず、結局、歩くのが一番いいということになりました」
はははと笑ってヴィックはこめかみをたたいた。そして、小さな店を指さして言う。
「そうだ。出るついでにと、由羅さんにお菓子を頼まれたんですよ。仁さんも寄って行きますか?」
古いつくりの店に入る。和菓子屋さんだ。入ってすぐのところにはパンが置いてあった。クリームパンなどの菓子パンから、カツサンドといった惣菜パンまでいろいろだ。レジにむかうと、色とりどりのねりきりとおまんじゅうがたくさん入った木枠のショーケースがあり、その上にモナカや甘食、ようかんが並んでいる。
「ここの『太極モナカ』が好きでして」
そう言いながらヴィックが手にとったのは、巴模様が押された丸いモナカだ。食べやすそうなサイズのが五個入り。横には十個入りの袋もある。
「ここはお茶席のお菓子も作っていて、あんこがおいしいんですよ」
なるほど。それでねりきりの種類がこんなにあるのか。レジの横にはかわいらしい落雁や金平糖の箱も置かれている。
「はい、いつもありがとうね。ここで食べていくの?」
「ああ……そうですね。仁さん、どうですか?」
「それはいいですね」
「じゃあ、お茶用意するから待ってて」
由羅のぶんとは別にモナカを買って、脇のベンチに座る。ヴィックは窮屈そうだがキュッと小さくなって座っている。「はい、お待たせ」。温かい緑茶が出されて、仁はモナカを手にとった。
「いただきます」
あ、おいしい。皮はぱりっと薄く香ばしい。苦めのお茶に、甘いあんこがあう。粘りのあるしっとりなめらかなこしあん。クセがないけどコクがある。小さめだからパクッといけちゃうけど、それがちょっともったいなくていい。
「ああ、そういえば。仁さん、町内会に出たんですって?」
「あ、はい」
「今は祭りの準備で忙しいでしょう」
「そうですね」
真命神社のお祭りのことだ。仁はお面を作るだけではあるが、委員の人は大変そうだった。それぞれの家や商店から寄付金を集めたり、演目の打ちあわせ、屋台の許可、当日の救護と警備、そのほかにもたくさん。
「私も、ロムさんの出し物に新しい衣装を作ってくれと言われてましてね」
「出し物?」
町内の人による演目があるって言ってたな。まさか、ロムも出るのか。
「ああ、お祭りは町内の人や市民が習い物とかを発表する場でもあるんですよ。フラダンス、ロックバンド、歌謡、太鼓、日本舞踊……まあ、いろいろです」
「へえ……」
そうか、市民の趣味の発表会みたいなものでもあるんだな。こういう場があることで、普段の練習にも熱が入るのだろう。
「それでロムも毎年、歌を歌うんですよ」
「ああ、ヨ―チューブで歌を出してるみたいですね。Vで」
ロムは死人系Vチューバ―として活動している。そのガワはかわいい女の子だったはずなのだが、生身でもライブをするのか。
「そうです。しかしリアルでもこだわりの衣装を着たいと言っていて、私が作ってるんです」
ヴィックは高身長の自分にあう洋服を作るため、ミシンを使うのだという。その腕をかわれて、ロムの衣装をデザインから作っているのだそうだ。普段着だけではなく、ライブ衣装も作れるんだ。スーツも自分で作ったって言ってたもんなあ。どうやら、ヴィックの縫製の腕前はそうとうなものらしい。
「ところが、今年はちょっと凝ったのを作ってたら、本業のほうがマズくなってしまいまして……」
「あら……」
仁は、怖い話大会のときに見た男を思いうかべる。ヴィックの編集者で、直刀を持った人だ。光線を飛ばしてヴィックを捕まえていたが、銃刀法とか大丈夫なんだろうか、あれ。
「また麻葉さんが来るんじゃないですか?」
「……まあ、帰ったらちょっとがんばりますよ」
力なくヴィックが答えた。袋に残った最後のモナカをヴィックに渡す。うん、元気出して……。俺にはどうしようもないけど。ヴィックはモナカを受け取り、口に放りこむ。かんで飲みこんだあと、お茶を飲んで嘆くようにため息をついた。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでしたー」
立ちあがって声をかけると、店員さんが出てきて、空の湯呑みを受け取った。
「ありがとうねー」
そう言ったあと、にこにことしていた店員さんが急に眉をひそめる。不思議そうにしたかと思うと、仁たちに聞いてきた。
「そういえば、さっきから赤ちゃんの声が聞こえない?」
「え?」
仁とヴィックは思わず顔を見あわせる。すぐそこで話していたが、聞いた覚えがない。赤ちゃんの泣き声って響くからすぐにわかると思うんだけど。
「こう、ひどく泣いているような……」
「猫ちゃんとかではなく?」
「うーん……どうでしょ。そっちの立岩観音のほうみたいなんだけど」
立岩観音は、あわい荘への道の途中にある小さなお寺だ。それを聞いて、ヴィックがうなずいた。
「ああ。立岩さんなら、帰りに見てみますよ」
「ちょっと気になって。ありがとねえ」
「赤ちゃんの泣き声、ねえ……」
店を出て道を歩いていくと、片側に墓場が見えてきて、お堂があった。そのお堂の横に高い岩石が柱のようにあって、これを観音さまに見立てたものらしい。この地域の三十三観音のひとつだそうだ。三十三観音巡りは、昔は家を出ることがあまりできなかった農村の女の人の数少ない娯楽だったのだという。
「うええええん……うええええええん……」
そんな説明を聞いていると、本当に赤ちゃんの泣き声が聞こえた。はっとして声を落とす。
「今……」
「聞こえましたね」
声の出どころを探すと、どうやら墓地にある石碑の下らしい。百五十年前の戦争の慰霊碑だ。急いで行ってみると、その台座に若い女の人が赤ちゃんを抱いて座っていた。女の人はうつむいていて、顔がよくわからない。わからないけれど、ちょっと寂しそうな――そこまで思って、仁はなんだか嫌な予感がした。
「どうしましたか、レディ」
こんなところに座っているなんて、なにか事情でもあるのだろうかとヴィックが声をかけた。「レディ?」と出かかった言葉を仁は飲みこみ、女の人に目を移した。赤ちゃんは泣き続けているが、あやすこともせずぎゅっと抱いている。やっぱり、なにか変だ。なにかがおかしい。しかし、なにがおかしいのかわからない。
「泣き止まなくて……もしよければ、この子を……お願いします」
仁は不自然に思った。いきなり見ず知らずの人にこどもを預けるだろうか? だけど、ヴィックはためらうことなく、こどもを受け取った。なんだろう。なんかの詐欺じゃなければいいけど……。嫌な予感が強くなる。その仁の背中、リュックについた目玉がぎゅるんと激しく動いているのに気づいていない。
「レディ、どうしたんですか? 私でよければ力になりましょう」
「……本当に? じゃあ……」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
仁は慌てて割って入った。ヴィックはのんきにこどもをゆらゆら揺らしている。その子はというと火がついたように泣いている。
「ヴィックさん、その……」
「どうしました? おお、よしよし、泣かないでくださいねー」
ヴィックはこどもをあやしていたが、ようやく違和感に気づいたようだ。
「ん? お、重い……?」
赤ちゃんを抱えたまま困惑する。どうやら、思ったより重いらしい。まるで石を抱いているかのように。どういうことだこれは。なにかおかしなことがおこっている気がする。けれども、どうしたらいいのかはっきりせず、立ちすくむばかりだ。赤ちゃんも女の人も何者かわからない。彼女の味方になっていいものか、それとも――。
その混乱をうち破ったのは、ひとつの言葉だった。
「飛」
同時に光の線が飛んで、女の人を針山にした。いつのまにかヴィックの横に、その男が立っていた。
「せーんせ、また悪いモノにひっかかったんですか」
「麻葉さん!」
編集者の式麻葉だ。こないだと同じく、直刀を肩にかついでいる。光線に貫かれながら、倒れ伏した女の人がもがいている。それがあまりにも苦しげで悲痛で思わず仁も駆けよろうとしたほどだ。それを止めたのは背中の熱さ。
「熱つ⁉」
あまりの熱さに飛びあがり、背中に手を回すがなにが熱いのかわからない。その場でじたばたとしてくるくると足踏みをする。仁がひとりでもがいているあいだに、女の人はヴィックに手を伸ばした。
「助けて! やめて! 痛い!」
麻葉は眉ひとつ動かさず、むしろ人のよい笑顔で女の人に向き直る。
「すみません。ちょっとコレ、片づけますね」
「いやいやいや! 待ってくださいよ!」
ヴィックはこどもを抱いたまま、麻葉の裾をつかんで女の人をかばう。
「この人は、私にこどもを預けてきて、ええと……」
そのヴィックはまだ気づいていない。石碑の下、女の影から大きな口が現れた。なんだこれ。仁はそれを目にして、悲鳴すらあげられなかった。そこから出てきたのは大きな口だけの……言ってしまえば巨大なアンコウを正面から見たような影だった。
「あーあ、ひどいなあ」
その口から声がする。男のような声だが、違う。人間の声ではない。なぜかと聞かれても答えられないけれど、そう感じた。その歯のついた口はずるずると女の足元をはっていたかと思うと、突然飛びあがってヴィックに襲いかかった。
「そうですよ、ひどいじゃないですか!」
「そうですねえ。先生、ちょっとこちらへ」
麻葉がヴィックの腕をつかんで地面にひねり落とす。口がぱっくりと開いてヴィックに飛びかかり、前に出た麻葉に噛みついた。一瞬にして、細切れになった紙が舞い散った。紙がゆっくりと落ちていくのを、仁とヴィックはぼうぜんと見ていた。
「うまくないな」
目の前で人が食われた――。パニックになりそうな仁。その大きな口がまたヴィックにむかった。仁が慌ててヴィックの手をつかんだが、動かない。ヴィックの腕のなかの赤ちゃんは大きな石になっていて、手を離そうとしても離れなかった。
「仁さん、いったいなにが……熱!」
その瞬間、リュックから光線が出て、赤ちゃんだった石を砕いた。仁は見た。銀朧からもらった目玉から破壊光線が出たところを。仁はそれに驚くより早く、ヴィックの空になった腕を引っ張った。ヴィックはよろよろと大きな体を立ちあがらせる。
「逃げろ!」
「でも、彼女が! 置いていけませんよ!」
「あれ、どう見てもヒトじゃないよ⁉」
そんなことを言っているうちに、その女の人がふらふらと近づいてくる。その足元には例の大きな口が歯をカチカチいわせていた。女の人も、あの石になったこどもも、人を誘きよせるためのエサだ。本体はあの口なのだろう。
「輪違」
飛んできた光線が曲線状に跳ねて口をぐし縫いに縫いつけた。
「はい、申し訳ありません。遅くなりました」
「麻葉さん!」
そこにいたのはさっき食われたはずの麻葉だった。女の形をしたエサを左手でとらえ、影を直刀で一気に貫く。
「崩」
となえると、内側から細かい光が見えた。そう思った瞬間、口のついた黒いモノはバラバラになって砕けた。それから黒いモヤのようなものになり、風に吹かれて消えてしまった。女の姿も黒くすすけていき、ポロポロと崩れ、やはりモヤのようにかき消えていった。赤ちゃんだった石だけがそこに残った。
「すみません、麻葉さん……」
ヴィックはようやく彼女が人ではなかったことに気づき、肩をすぼめ、小さくなって頭を掻いた。キーホルダーの青い目玉は熱が冷め、今は眠っているようだ。
仁は驚きと困惑の混じった声で聞いた。
「ええと、さっき食べられてましたけど、大丈夫なんですか?」
「はい。我々はいわゆる式神でして。本体の情報はクラウド上にありますので」
クラウドって……あのネットワーク上のなんとかかんとかというあれ? 最終バックアップをとったのは今朝なので、そのあいだの記憶はない。今回、すぐに駆けつけることができたのは、前の式神が消えたことが次に伝わるように自動でなっていたからだという。どこからどうツッコめばいいかわからず、仁はうめいた。
「な、なるほど……? 式神……」
「うちのトップは雷獣で、陰陽師をやっております」
社員は全員その雷獣の式神なのだという。なんのこっちゃ。千年以上前、怨霊によって地上に落とされた雷が雷獣と変わったが、それがある高名な陰陽師の弟子になったものなのだと。陰陽師ってやるとかやらないとかいうんだ……。
「あの口みたいなのは、もう大丈夫なんですか?」
「ええ。バラバラにしてやりましたので、もう消えるしかない。あの人間は擬似餌のようなものでしょうね。親切心を利用して、人を誘きよせて食うのです」
麻葉はがっくりとして申し訳なさそうに身を縮めているヴィックに言った。人助けと思ったのがだまされていたのでショックだったようだ。その上、麻葉が食われる隙を作ってしまった。大きな体がこれ以上ないくらいに圧縮されている。
「あれも食べるのに必死ですが、先生がそれにつきあう義理はありません」
「はい……」
一回食われたことを気にした様子もなく、麻葉はヴィックを心配する。
「先生は女性のことになると警戒心が薄くなりますのでねえ」
「すみません……頼られると嬉しくなっちゃって、つい……」
ああ、そういえば、婚活のときもラヴァンドラにひっかかってたなあ。ヴィックは結婚願望が強すぎるのかもしれない。助けたのは見返りを求めてのことだというつもりはないが、どこか女の人を前にするとネジが外れてしまうのだろう。
「やはり、私はパートナーが欲しいのですよ。人間も人狼も吸血鬼も同族がいますが、私は作ってもらえなかった。だから自分で見つけなきゃいけないんです。誰でもいいわけではないですが、誰かはきっと……」
「ヴィックさん……」
仁がしんみりとしかけたところに、麻葉が声をかけた。
「ああ、そうだ。先日、先生からいただいた恋愛小説なんですが」
「は、はい! どうです? いいでしょう! 私、ずっと恋愛ものが書きたくて! こっそり書いてたんですよ、夜中に! もだもだするピュアピュアな恋愛、アオハルですよ! 構想に百年かかってまして、にやにやしてキュンとなる――」
ヴィックは手を動かしながら語りはじめた。
「ヒロインが主人公に惚れる展開が雑ですねー」
さらっと麻葉は言った。ヴィックは手をあげたまま固まっている。
「は」
「一目見て『運命の人……』はまあ、いいですが、もっと膨らませましょうよ。いくらストレスのない展開といってもスムーズすぎです。バカップルのノロケを聞かされているようですが、先生の文章がリアルよりなのでちょっと見てられないかと。あと全体的に古くさくて、世界観がここ百年くらいを行ったり来たりしています」
「そ、そうですかあ……」
だまされていた以上のショックを受けながら、ヴィックはうなだれたのだった。




