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異世界屋台〜星とスパイスの地図〜  作者: スパイシ〜しゃけ
第7章 約束の地"エル=ミーラ"編
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7章: 第16話「境界を越えて」



エル=ミーラの朝は、乾いたざわめきに包まれていた。


旧壁の近く、瓦礫の間に設けられた広場では、廃棄資材が山のように積まれていく。

ひび割れた陶器、錆びた薬缶、ほつれた麻袋。袋の口からは古布や空き瓶が転がり落ち、地面を転がる音が妙に響く。

人々は無言で荷を縛り、視線を合わせることなく持ち場へ散っていった。感情を声に乗せるのを避けるように。


 


「……出発の準備、ほぼ整ったよ」


声をかけてきたのはリフだった。

輸送団の腕章を巻いた細身の背中。埃をかぶった地図袋が揺れる。


「物資輸送車に、君たちの“工具一式”を混ぜておいた。“技術支援員”扱いにしてあるから、通行はスムーズなはずだよ。名前も、きっちり通してある」


 


チトは無言で腰の護符に触れる。

あの日から外していない、小さな石の護符。その内側で、焼け残った“名”が微かに揺れた。


「目的地は?」


「ティレニア西縁、旧監視路のそば。“門”がひとつだけ開いてる」


リフは地図を広げ、人差し指で一本の細い線をなぞる。


「元は廃棄品の運搬ルート。民間輸送はもう何年も止まってるけど……君たちの火、いや“やり方”を見て、通すことにした」


 


チトが少しだけ口を開く。


「……そのルート、前にも誰かが?」


「かもね。記録によると、“ヒナタ一族が抜けた道”って話もある。でも、本当かどうかは……今となっては誰にもわからない」


彼は、真っすぐチトの目を見て笑った。


「でもさ──“辿れるかもしれない道”が、いま開いてるなら、行ってみる価値はあると思うんだ」


 


火格子にくべた炭がぱちんと弾け、間を埋めた。


「……なあ、チト」

カッツが鉄枠に肩を預け、低く言う。


「ほんとに行くんだな」


「行くよ。ここじゃ、もう“残す火”しかできない気がして」


「行った先で何があるかは──」


「わからない。でも、“灯す相手”がいるかもしれない」


 


そのやりとりに、リフが口元を緩めた。


「頼もしいね。昨日、マシェ婆さんが言ってたよ。“あんたの火なら見たい”って」


チトの目がわずかに揺れる。


「……ほんとに?」


「ほんと。『名を名乗らなくても、火が語ってる』ってさ。あれ、婆さんなりの褒め言葉だと思う」


 


リフはふとカッツに向き直る。


「そうだ、こっちにも似た料理があるんだ。“イーロス”って呼ばれてる。包んで、焼いて、酸味を添えて……」


カッツの眉がぴくりと動く。


「……知ってる」


「だろうなと思った。名前が違っても、火が語ることは変わらないんじゃないかって、僕は思ってる」


少し目を細めて付け足す。


「行き先で、“答え合わせ”ができるといいね」


 


荷の整理、スパイスの包み、鍋の手入れ──すべてが「運ぶ火」の準備だった。


 


──出発の朝。


屋台の火は、最後まで温かかった。

道具を洗い、香辛料を布に包み、鉄板を冷ます。違うのは、しまう場所が足りないことだけ。


「全部は持っていけないな」


「……燃えるものは残していく」


チトは平パンを一枚焼き、ナスのペーストを塗り、紙に包んで火格子の跡に置いた。


「これ、あたしの“いた証拠”。焼いたものは、嘘をつかないから」


 


そのとき、影がひとつ近づいた。


「……行くんだね」


マシェ婆さんだった。背筋をまっすぐに伸ばし、布の奥の瞳でチトを射抜く。


「ヒナタは……陽を向くんだろ?」


「陽を向いて、でも影も見ていく。……そのつもり」


婆さんは背を軽く叩く。


「名を継ぐってのは、焼け跡に水をまくことだ。あんた、種も撒いてる。きっと芽もすぐ出る」


それは赦しではなく、「この火を見た」という記憶の交換だった。


 


カッツは屋台の骨組みを持ち上げ、「軽くなったな」と呟く。


「……でも、背負うものは増えたかも、な」


「チトが重くなったってことか?」


「違う。あたしの“火格子”が心に食い込んできただけ」


 


輸送団の合図が響く。

旗は白く、陽を受けてはためいていた。


振り返れば、マシェとナスの少年。

少年は言葉にせず、目で「また灯して」と告げていた。


 


旧壁を抜け、埃舞う道を進む。

荷の隙間、鉄枠の振動の中で、チトは護符を握る。


「……カッツ」


「ん?」


「ヒナタの火は、希望だけじゃない。焼けることも、嫌われることも、最初から知ってた」


「それでも名乗ったってことは……?」


「うん。灯す意味が、それでもあると思えたから」


 


輸送団は西へ進む。

乾いた風が頬を撫で、荒地の先に、まだ見ぬ灯火を信じながら──


その背を、エル=ミーラの陽が照らしていた。


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