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異世界屋台〜星とスパイスの地図〜  作者: スパイシ〜しゃけ
第7章 約束の地"エル=ミーラ"編
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7章: 第5話「沈黙の列」



朝焼けが差し始めた街に、風が吹く。

それは砂を巻き上げながら、壁のひび割れをなぞるようにして通り過ぎた。


ここは、かつて聖地と呼ばれた場所の片隅。

そして今は、誰かの希望と絶望が同じ地平に落ちていく街──エル=ミーラ。



「……なんだか、音がない」


チトがぽつりと呟いた。


支援拠点の裏、崩れかけた住宅地に通じる細い路地。

その一角に、《グリル・ノマド号》が停まっていた。


ギルドの支部から特別に出された“支援者による調理支援”という名目。

時間は日の出から昼までの三時間。

人だかりやトラブルを避けるため、周囲への事前告知も禁じられていた。


なのに──


「列、できてるな」


カッツが鉄板のフチに腕を置いて、小さくうなずいた。


道の奥、廃墟の影から……子どもたちが現れていた。

ゆっくりと、慎重に。

手に食器も何も持たず、ただ、火の匂いに引き寄せられるようにして。


誰もしゃべらない。

足音さえほとんど立てずに、無言の列が形づくられていく。



「これが……沈黙の列か」


カッツが呟くと、チトもまた、静かに目を細めた。


「本当は話せるの。だけど声を上げることを…それぞれが自分の火を持つことを……手放してしまったって読んだ」


かつて、チトはギルドにいた。

別の地ではあるが、秩序の名の下に、火を取り上げることに加担していた。


この沈黙は、どこかでその“業”と繋がっている気がして──

胸の奥に、小さな火傷のような痛みが残っていた。



「火を入れるぞ」


カッツの声が、張り詰めた空気をやわらかく割る。


鉄板に炭が落とされ、ゆっくりと赤く灯りはじめる。

その音が、ひとつの合図だったかのように、チトも手を動かし始めた。


ナンの生地を広げ、香草を刻み、昨日仕込んだ鶏肉を鉄板に置く。


ジュッ、と音が立ち、スパイスと油の香りが周囲に広がる。

その瞬間、沈黙の列が、ほんの少しだけ──微かに揺れた。


小さな喉の動き。目のきらめき。

それだけで、今ここにいる子どもたちの“命”が、確かにあると知れた。



ひとりめの子どもに、ナンと焼いた鶏肉を手渡す。


「これ、持てるか?」


カッツがそう尋ねても、子どもは答えない。


でも、目を見て、うなずいた。

かすかに、「うん」とだけ、返事をした様にもとれた。

小さな両手で、そっと温かさを受け止めるようにして──そのまま歩いて、塀の影に腰を下ろす。


そのあとから、また次の子が歩み出てきて。

チトが、ナンにハーブと少しのヨーグルトソースを落として手渡す。


彼らの誰も、言葉を交わさない。

でもその手の震え方、瞳の色、足取りに……すべてが焼きついていく。


「火って、言葉を超えるんだな……」


カッツがそう呟いた時、チトは少しだけカッツを見つめて、ふっと微笑んだ。


「……ようやく気づいた?」


「いや。昨日、気づいたよ。屋上で、お前と話した時にな」


その言葉に、チトの目元がゆるむ。


あの夜のこと──


「“俺たちの火が、誰かの何かを変えるかなんてわからない”……って、あんた言ったじゃん」


「うん」


「でも、私は少しだけ……変わってほしいって思ってる。願ってる、かな」


チトの指が、無意識に腰の護符に触れた。



しばらくして、一人の少女が列から外れ、屋台のそばまで寄ってきた。


その胸元には、すり減った布袋がぶらさがっている。

中から、何かを取り出そうとして──やめた。


その代わりに、少女はそっと手を開き、掌を見せた。


そこには、小さな火打ち石。

古びているが、確かに“昨日、チトが渡したそれ"とよく似ていた。


──まさか、あの子?


チトが目を見開くと、少女は少しだけ、首を横に振った。


でも、それは“違う”ではなく、“同じじゃない”という仕草。



──

昨日。エル=ミーラに到着しギルド駐屯地の屋上で話した後に外を歩いた時に出会った子供がいた。


暖を取ろうとしていたのだろう。

しかし彼らは火を起こすものをどうやらなくしたのか、持ち合わせていなかった。


そっとチトは近くに行き、火打ち石を渡した。

火を起こしてあげるのではなく、つけ方を教えるだけ。


きっと、壁の外にいたあの子の、兄弟か、友人か。

あるいは、その火を“受け取った”誰か。

知恵もバトンのように。

火は……巡っている。



日が少しずつ昇り、屋台の鉄板は、より強く音を立て始める。

列の後方には、年嵩の少年たちの姿も混じるようになっていた。


誰も争わない。

誰も前に出ようとしない。

ただ、沈黙のまま、順番を守っている。


それがこの街の“生き方”なのかもしれない。

この場所では、沈黙こそが“声”だった。



「……なあ、チト」


「ん?」


「今日出したこの料理……名前、あるか?」


チトは少しだけ目を見開き、それからゆっくりと首を振った。


「……ないよ。ただの火。誰かの名前に、なってくれたらいいなってだけ」


その言葉に、カッツは目を伏せる。


「それでいいかもな。名前があるから、誰かのものになる。名前がないから、誰のものにもなれる」


そのやり取りを聞いていたひとりの子どもが、屋台のそばで小さくうなずいた。

ナンの包みを両手で抱え、真剣な顔で、まるで祈るように──


何も言わず、ただ、火の味を噛みしめていた。



陽は完全に昇った。

持ち時間は終了。


屋台の火が落とされ、最後の子にナンが渡される。


残ったのは、鉄板の匂いと、わずかな余熱だけだった。


「……また来よう、な」


カッツの言葉に、チトは少しだけ顔を上げた。


「……来れるかな?」


「来るさ。火を灯せるなら、どこだってな」


その時。

列の最後尾付近に、杖をついたひとりの老婆がいた。


誰よりも静かに、誰よりも強く──

その瞳が、チトの護符をじっと見つめていた。


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