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異世界屋台〜星とスパイスの地図〜  作者: スパイシ〜しゃけ
第7章 約束の地"エル=ミーラ"編
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7章: 第4話「街の掟」




風が、焼け焦げた石壁の隙間を縫うように吹いていた。


エル=ミーラ。

あの約束の地に、ふたりはついに足を踏み入れた。


境界ゲートと呼ばれる検問所は、廃墟と要塞の中間のような様相を呈していた。砕けた石畳。歪んだ鉄柵。壁に埋まった監視孔から、目だけを覗かせた兵士たちがこちらを見ている。


「……緊張感、あるな」


カッツが小さく呟いた。チトはそれに応えるように、言葉の代わりに、腰にぶら下がる青い護符へと手を添える。

その護符は、草原で分かち合った火と願いの証。

あれから、彼女は少しずつ変わってきた。


カッツは無言で隣の少女を見やった。視線だけで、問いかける。



運べるか?この街の空気の中でも、“俺たちの火”を消さずにいられるか。



そのとき、隊の先頭に立っていた青年が振り返った。

紺の装束に、ギルドの穏健派を示す三つ星の刺繍。名前はリフ。若いながらも統率の取れたその身振りには、歴戦の兵士たちすら一目を置いている。


「我々の通行は、特例扱いです。昨日のうちに許可は得てありますが……とはいえ、内部の規則には留意してください」


「……了解」


チトが短く答えた。


「火を使うことは禁止ではありませんが、誤解を招く行動には気をつけてください。火を恐れる者も、この地には多いので」


門の重い鉄が、軋みながら開いた。

その先に広がっていたのは、想像以上に“疲れた街”だった。


剥がれ落ちた壁。風に舞う砂。

すれ違う人々の目には、どこか焦点が合っていない。

まだ戦は終わっていないのか、それとも終わったことすら信じられていないのか──


カッツは、ごく自然に片手を上げ、グリル・ノマド号の取っ手を掴んだ。

チトも、ゆっくりと一歩を踏み出す。


その歩みが、どんな風に受け入れられるかはわからない。

だが今だけは、進むしかない。


“火を届ける”とは、燃え上がることではなく

“消えそうな何かを、そっと灯し直すこと”。


そう信じるには、充分すぎるほどの朝だった。


案内されたのは、街の西区にある石造りの建物だった。

壁に剥がれ残ったギルドの紋章。その下には、支援物資と書かれた布袋が積まれている。元は軍の施設だったのか、要塞のような重厚な扉と、崩れかけの塀が、どこか不釣り合いな静けさを保っていた。


「ここが我々の拠点です。今は、宿舎兼、調理場になっています」


リフが簡潔に説明しながら、扉を開ける。

中にはすでに数人の隊員がいた。男も女も、誰もが疲れていたが、どこか“火の前に集まる者たち”のような連帯感が漂っていた。


「ようこそ、“火の灯らない街”へ。……皮肉にも、そう呼ばれてます」


リフが小さく笑う。


「火が街を焼き、火が街を守り、そして火が、恐れられている。

 この土地では、“誰の火なのか”が問われる。……厄介な話ですよ」


チトはその言葉に反応するように、小さくうなずいた。

視線の先には、使われていないかまど。灰だけが冷たく残っていた。


「……じゃあ、屋台を使うには?」


カッツの言葉が、空気を震わせた。

リフは一拍おいて、答える。


「許可を得れば、可能です。だが……火の匂いに怯える子どももいます。

 誤解を恐れて、火を焚かない者が多く……あなたたちの火が、どう受け取られるかは、俺にもわかりません」


そう言って、リフは視線を落とした。


チトは腰の護符に触れ、ふとつぶやくように言った。


「火を恐れるんじゃなくて……どう灯すかが、問われてるんだよね。

 この街の人も、あたしたちも、きっと──」


言葉の端に、祈りの谷の匂いが混ざる。

乳のにおいが混ざった、優しい夜の焚き火。

それを知っているふたりにとって、火とは“記憶”であり、“始まり”であり──

そして“手渡すもの”だった。


カッツは腕を組んだまま、静かに言う。


「まず、俺たちの火を見せよう。語るより早い。

 ……明日、一回屋台を開こう。それでわかることがある」


その声に、リフが初めて、わずかに目を見開いた。


「……覚悟があるんですね」


「違う。俺たちは、ずっとそれで生きてきた。

 火で喧嘩して、火で笑って、火で繋いできた。

 ……だったら、ここでも、それをやるしかないだろ?」


チトも、小さく笑った。

決して明るい笑顔ではない。けれど、その奥に、“灯っているもの”が、確かにあった。



その夜、支援拠点の屋上から、ふたりは街を眺めていた。

瓦礫の山の間に、ぼんやりと灯るランプ。電気の通る区域は限られており、光はまばらだ。だがその不揃いな明かりたちは、どこか“生きている証”のようにも見えた。


「……静かだな」


カッツが呟くと、チトが答えた。


「でも、耳を澄ませばわかる。

 物音ひとつ立てまいと、息を潜めてる感じ。

 この街は……恐れてるんだね、“誰かの火”がまた広がるのを」


カッツは黙って聞いていた。

チトが、あの祈りの谷で、草原の遊牧民との関わりで、“火の渡し方”を知ったことを、彼はよくわかっていた。

そして今、その火を、また別の土地で手渡そうとしている。


──チトは変わった。

 奪っていた手はいつのまにか護る手に。それが今は“灯す”ために伸びている。

 じゃあ俺は? この街で、何を差し出す?

 俺の火は、まだ……誰かに届くんだろうか。


そんな問いを、心の奥で反芻しながら、カッツはそっと口を開いた。


「明日……ひとまず、朝一番の時間をもらった。

 “支援者による調理支援”って名目だ。

 ただし……武器を見せるのと同じくらい、慎重にいけってさ」


チトが目を細める。


「じゃあ、腕の見せどころだね」


「……ああ。まずはこっちの火を見せる。

 口より、味。理屈より、香り。それで判断してもらおう」


風が吹いた。

チトの髪がふわりと揺れる。

夜の空に、雲がゆっくりと流れ、星がいくつか顔を覗かせた。


「カッツ」


「ん?」


「この街……少し、あたしに似てる。

 自分の火を怖がって、手放しそうになってるとこ」


彼女の言葉に、カッツはふっと笑った。


「だったら、教えてやらなきゃな。

 お前みたいに、“もう一度灯す方法”ってやつを」


チトは照れたように目をそらし、でも、どこか誇らしげに、そっと口角を上げた。


「……店主、明日は、忙しくなるよ」


「言ったな副店長。……じゃあ、仕込み、するか」


夜の風のなかで、ふたりの影がゆっくりと動き出す。


火の灯らない街に、

まだ見ぬ火の香りが、静かに予感として漂い始めていた。

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