6章: 第12話 「交差する道」
北区へ向かう朝、空は雲ひとつない澄んだ蒼だった。
王都の街路を、カッツとチトは《グリル・ノマド号》を引きながら歩いていた。
屋台は解体状態とはいえ、荷物を積み、護符の光を揺らしながら静かに揺れていた。
街の中心から北へ延びる大通りは、石畳が丁寧に整備され、両脇には装飾のある噴水や円柱が立ち並んでいる。
ここは行政と歴史の区域。
“王の記憶”と呼ばれる史跡群が広がる、かつての栄光の名残が息づく場所だ。
「……なんだろうね、空気が、違う」
チトがぽつりと呟く。
カッツは頷きながら歩く。
「街の南とは真逆だな。人の目が静かで、建物も、やけに几帳面に並んでる」
「騒がしくもなく、でも……威圧感がある」
「“秩序”ってやつだな。空気そのものが歴史を語ってる」
北区の中央に位置するのは、**《シャルバード聖堂跡》**と呼ばれる半廃墟だった。
青いタイルで彩られた大きなドームの残骸。崩れた回廊。
壁には火を模した浮き彫りと、古代文字で綴られた祈りの詩が刻まれている。
「……ここ、昔の“祈りの拠点”だったのか」
「うん。昨夜のカフサンの話……思い出すね。火を灯して、人を迎える、そんな場所だったって」
チトはそっと、崩れた柱の側にしゃがみ込む。
「今はこうやって風化して、名前だけ残って……でも、
あたし、たぶんこういう場所に、なんか……懐かしさを感じるんだよね」
「懐かしさ?」
「うん……なんだろう、説明できない。でも……あんたと出会ったときも、こんな風景だった気がする」
「……ああ」
ふたりの間に、一瞬、風が通り抜けた。
記憶が交差したような沈黙。
何も言葉にはしなかったが、チトの視線を受け止めながら、カッツもまた、自分の心がざわつくのを感じていた。
そのときだった。
「おーい、あんたら、そこの屋台!」
声をかけてきたのは、地元の案内人らしき若者だった。
腕には青い腕章、肩には“市民ガイド”の刺繍。
「そこの広場、観光案内してほしいって外地の団体が入ってるんだが、飲食が出せなくて困ってる。
ちょっとだけでいい、屋台で出してくれないか?」
「……即興でも構わないか?」
「火があって、香りが立てば、それだけで喜ぶさ。ここの客は“旅情”を味わいに来てるんだ。味なんて……あとからついてくる」
カッツは一瞬だけチトを見た。
「どうする?」
「決まってるでしょ」
チトはにやっと笑って、腰のベルトから青く光る護符をポン、と弾いた。
「ここでも、あたしたちの“火”をつけよ」
カッツは頷き、小さく笑った。
「了解、副店長」
⸻
広場の一角に、グリル・ノマド号が据えられた。
台車の脚を固定し、鉄板と炭床を展開。香辛料と食材は即席、だが火は本物だ。
「火、起こすよ」
チトがしゃがみ込み、小さな護符にそっと触れた。
淡く青い光が宿ると、その光は火打ち石のようにスパッと弾け、炭の隙間でカッと火が起こる。
それを見て、子どもたちが「魔法だ!」と騒いだ。
外国から来た観光団の中年夫婦は顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべる。
カッツは香草で包まれた羊肉を、ナンの上に乗せた。
香味油とザクロのジュレ、ミント、少量のヨーグルトソースを添える。
「うまいのかこれは……?」
「うまいさ。だって“ここにある”ものだけで作ってるんだ」
出来上がった即席ジャイロは、ナンの柔らかさと香辛料のパンチ、そしてどこか懐かしい“家庭のあじ”のような丸みがあった。
群衆が集まり始めた。
「これ、あの西の国の“ギュロ”って料理に似てない?」
「いや、味は全然違う。でも……構成は同じだ」
カッツの手元で、次の一皿が生まれる。
チトは横で、ナンの山を次々と焼いていく。手際よく、無駄のない動きで。
やがて――
外国人観光客のひとりがふと尋ねた。
「これは……あの、かつての“巡礼の食”か?」
「かもな」
カッツはその問いにそう返した。
「火で焼いて、旅の途中で腹を満たす。“道の上の食”って意味じゃ、変わっちゃいねぇ」
「変わっていない?」
「どこに行っても、“火で肉を焼いてパンに包む”――それだけは、変わらない。
……たぶんそれは、“文化の最小単位”なんだと思う」
チトは黙って、その言葉を聞いていた。
香ばしい風が髪を揺らし、屋台の火が揺らめいた。
「チト、お前……何考えてる?」
「……ううん、今のカッツの言葉が、なんか……うれしくて」
「うれしい?」
「うん。あたしもずっと思ってた。変わってないって。
昔、港町で焼いてた串も、ここで焼く肉も、同じ匂いがするんだよ」
カッツはふと、その言葉に目を細めた。
「……お前の過去も、たぶん“ここ”に繋がってるんだろうな」
「……どういう意味よ」
「うん、まだ分かんねぇ。でも、何か“続いてる”気がする。
火を囲んで人と交わる。屋台ってのは……たぶん、そういうための場所なんだ」
日が傾き、石畳に影が長く落ちる頃――
2人はいつものように、片付けを始めていた。
「また、誰かに“うまい”って言われたな」
「うん。……それが、旅の続きになる気がする」
その日、北区の史跡前に出現した名もなき屋台。
そこに残されたのは、ほんのりと残る香辛料の匂いと、ナンの焦げ跡、そして――
交差する文化と記憶の、静かな余韻だった。




