6章: 第11話 「語られる歴史」
朝日が差し込む宿の部屋。
チトは薄手のローブを羽織りながら、二日酔い気味の頭を軽く振った。頬はまだ火照っていて、昨夜の感情の余韻が少しだけ残っていた。
「……昨日のあたし、ちょっと、飲みすぎた……」
隣のベッドではカッツが、うつ伏せのまま息を吐いている。髪はぼさぼさ、Tシャツはよれて片袖が肩からずり落ちている。
チトは少しだけ、笑った。
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朝食を取る気にもなれず、2人は食堂の厨房を借りることにした。
カッツはザックの底から、包んでいた味噌と干し貝柱を取り出し、小鍋に水を張ると、しずかに火を入れる。
「オアシスの市場で仕入れたやつ?」
「干貝……“カイヒ”って呼ばれてたな。スープにすると出汁がよく出る。チトの二日酔いにもちょうどいいかと思って」
「……ふん、やさしいじゃん」
「たまにはな」
味噌を溶く音と、干し貝柱がふやけて香りを立てる音が、厨房に広がった。
黙って見つめていたチトは、いつのまにかしゃがみこみ、コンロの火を見つめていた。
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その時。
厨房の裏口から、見慣れた影が差し込んできた。
「よぉ!いたいた!お前らが泊まってるって聞いたぜ」
ザクロ果樹園、いわゆるバーグのオーナー、カフサンだった。
粗野で飾らない笑顔を浮かべ、でかいカゴいっぱいの果物を背負っている。
「おお、なんだこの匂い……。あんたら、また珍しいもん作ってるなぁ?」
「ちょうど良かった。おっちゃん、これ食ってく?」
「もちろんだとも。納品がてら、朝飯にありつけるなんて、こりゃ幸運だわ」
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粗末なテーブルの上に、即席の味噌スープが並ぶ。
カッツとチト、それにカフサン。三人でカップを持ち、乾杯代わりに軽くカチンと鳴らす。
「こりゃあ、うまい……体に染みる……」
「ふっ、そうだろ……?」
「ふふ……やるね、カッツ」
そう言いながらチトは、昨夜の恥ずかしい台詞を思い出し、顔をほんのり赤らめた。
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食後、カフサンは腰を落ち着けてこう言った。
「なあ、あんたら。この国のこと、どれくらい知ってる?」
「……あんまり。北にある史跡が有名だってくらいで」
「なら、少しだけ話してやろうか。この国、正式には《シャハル・ナール王国》。古い王都の名をそのまま国の名にしてる」
「この街がその中心ってこと?」
「そうだ。この王国、千年以上前――いや、それ以上かもしれねぇな。
元は“火の民”と呼ばれた人々が住んでた土地で、交易と祝祭の都として栄えた。青いドームの王城は、もともとは祈りと火を捧げる場所だったって話もある」
「火……?」
チトが思わず声を漏らした。
青く光る護符が、腰元でかすかに脈動している。
「今は宗教的な理由で忘れ去られちまってるけど、昔は“火の祭司”ってのがいてな。
市民に料理をふるまい、旅人を癒やすための炎を守ってたって伝承も残ってる」
「料理と火……」
「そう。だから俺ぁ思うんだよ――
お前らみてぇな流れ者が、火を背負って街に来たってのも、そういう昔の“巡礼”に似てるってな」
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言葉を失ったまま、チトはカッツの顔を見た。
カッツは目を細め、静かにうなずいていた。
「チト。北区に行こう」
「……うん。あたしも、ちょっと見たくなった」
護符が、またひとつ小さく輝いた。
2人は、静かに新しい朝の支度を始める。
王都――その歴史の影に、彼らの物語が少しずつ重なり始めていた。




