6章: 第4話「大商会と南門」
夜明け前の《南区》は、昼の喧騒とはまるで別物だった。
騒がしく並ぶ露店の屋根はすべて閉ざされ、人通りはほとんどない。
それでも、街路のあちこちには焚き火が焚かれ、どこからかスパイスを煮る香りが漂っていた。
グリル・ノマド号を引く車輪の音だけが、石畳に響く。
「……これが“南の門”か」
カッツが呟いた先には、ほかの門とは違う――一見、廃墟にも見える裏通路が続いていた。
「ここの監視がゆるいって、リオは言ってた」
「だが、門ってのは本来“閉じる”ためにある。あいつが細工したって言ってたのは、この扉か……」
チトがしゃがみこみ、地面のレンガに手を伸ばす。
そこには、薄く彫られた “半月と三つの点”の印 が刻まれていた。
「……これ、商人だけが知る印らしいよ」
「なるほど。あいつらしい“鍵”だ」
カッツが鉄製の取っ手をそっと引くと、ゆっくりと、軋む音とともに門が開いた。
⸻
中に入ると、そこはちいさな石段の通路。
下へ下へと続いており、壁には所々、ランプが灯されていた。
「この地下通路、王都の一部じゃないのか……?」
「昔の水路を潰して作った抜け道らしいよ。リオが言ってた」
チトが淡々と答えたそのとき、カッツはふと違和感を覚えた。
暗がりの先に、わずかな人の気配がある。
「止まれ」
低く言って、彼は腕を伸ばしてチトを庇った。
「……誰かいる?」
チトもすぐに察し、腰のマチェットに手を伸ばす。
その瞬間、通路の奥から、褐色の肌をした少年がひとり、素早く姿を現した。
「やめて!戦うつもりはない!」
声は若く、必死だった。
チトはすぐに構えを崩さなかったが、カッツは目を細める。
「……何者だ?」
「僕は、この通路の“見張り役”。あんたたち、誰の紹介だ?」
「リオ=パルフィアだ」
そう言うと、少年は一拍の間を置き――それから、深く息を吐いた。
「……なら、通っていいよ。あの人が言ってた通りの二人だ」
カッツが僅かに顔をしかめる。
「つまり、お前は“王国の側”じゃないな」
少年は答えないまま、小さな布袋をカッツに差し出した。
「これ、彼女から預かってた。“東区へ行く前に、必ず身につけろ”って」
中には、乾燥させた香草と、薄い金属片が入っていた。
金属には“半月と三つの点”の印が刻まれている。
「……これは?」
「“東の大商会”の者しか使わない符牒だよ。あの豪商の屋敷に入る時は、必ずこの匂いと刻印を身につけていないと、怪しまれる」
カッツは鼻に近づける。強い香りが抜け、心がすっと澄んでいく。
「……つまり、俺たちが“外の人間じゃない”って顔をするための小道具か」
少年は頷いた。
「豪商は疑り深い。言葉や態度だけじゃ通用しない。……リオは“匂いまで揃えろ”って言ってた」
チトが低く息を吐いた。
「なるほどね。心を見透かすんじゃなくて、こちらが“影の仲間”に見えるよう仕向けるわけだ」
カッツは肩の荷を背負い直した。
「面倒な真似をさせるもんだ……けど、納得だな」
⸻
そして通路を抜けた先――そこには《南区》の裏通りが広がっていた。
明るくなり始めた空に、東の方角からかすかな光が差し込み始める。
市場の屋根が開きはじめ、野菜と果実の香りが風に乗る。
「……夜が明ける。いよいよ“シャハル・ナール”の街へ入るわけだね」
チトの声は少し硬く、でもどこか楽しげだった。
カッツは前を向いて言った。
「よし、このいわくつき“荷物”を待ってるお客様のとこにさっさと置きに行っちまうぞ」
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