6章: 第2話 「影と香りの宿場町」
王都の正門を抜けてすぐ、二人が辿ったのは城下町そのものではなく、南西の道沿いに点在する宿場村の一つだった。
「まずは腹ごしらえと水の補給、それに寝床だな」
カッツが言えば、チトは頷いていた。
だがその目は、街道沿いに並ぶ家々よりも、空に伸びるあの丘の上の王城を何度も見上げていた。
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宿場村といっても、そこはただの通過点ではない。
王都に入る前に一泊して準備を整える者、都で稼ぎきれず戻る者――
多くの人々が集まり、情報と匂いが交差する場所。
街道に面した酒場では、すでに陽も高いうちから飲み始める者たちの声が飛び交っていた。
カッツとチトは、グリル・ノマド号を店先の影に停め、薄暗い屋根の下へ入った。
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「おや、珍しいな。旅人かい?」
にこやかに出てきたのは、ふくよかな体の女主人だった。
「どうぞどうぞ、昼間っから酒でも飯でも、うちは歓迎するよ」
「助かる。腹が減っててね」
席に着くと、店内には香草とスパイスの炊き込み飯の香りが漂ってきた。
「いい香り……」
チトのまつ毛がふわりと揺れる。
カッツが注文を伝え、二人分の皿がすぐに出てきた。
香り高い飯に、トマトと干し果実、焼きナッツのようなものが混ぜられている。
「この国の定番らしいな。腹の持ちがいい」
「ふふ、なるほど。油も香りも、全部“贅沢”な味」
そうして、ほんのひとときの穏やかな時間が流れた…そのときだった。
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「……見なかったか?」
「偽の通行手形を使った、外国の商人らしいぞ」
「ここの宿場に紛れ込んでるって話だ」
店の外から、甲冑の音と低い声が聞こえた。
一瞬にして、店内の空気が凍る。
女主人が皿を洗う手を止め、ちらりと入口を見た。
「……衛兵ね。今日はやけに厳しいみたいだよ」
カッツが皿の上のスプーンを静かに置いた。
「チト」
「……ええ。あたしたちのこと、だよね」
チトは立ち上がり、扉の影からそっと外を覗いた。
……いた。
王都の兵士たちが、酒場や宿を一軒ずつ、名簿と顔を照らし合わせて回っている。
「通行手形に不備があった者がいる、とか。もしくは偽の手形をわざと流して、誰かを“釣ろう”としてるかもしれない」
「つまり、“誰かが俺たちに仕掛けた”ってことか」
カッツの目が鋭くなる。
「門の前にいた、あの商人か……?」
「可能性は高いよ。あんなに簡単に声をかけてきたんだもん。"余っている”はずの手形を」
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そのとき、外でひときわ大きな声が上がった。
「この屋台……“あの外国人”のものではないか?」
「おい、誰か中を見てこい!」
酒場の外に、衛兵たちの靴音が迫る。
一秒の猶予もなかった。
「チト、出るぞ」
「了解」
カッツは背負っていた荷物を肩に引き上げると、チトは背後の小さな勝手口を確認し、指を鳴らした。
店主の女主人が言う。
「……裏道は人通りが少ない。まっすぐ逃げるなら、西側の門。けど、王都に戻るなら東」
「助かった」
「今度は、屋台で料理を振る舞っておくれよ」
女主人はにやりと笑った。
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ふたりは、グリル・ノマド号を裏手から押し出しながら、東へ向かった。
昼の空はまだ青く、だがその下を駆け抜ける二人の影は、何かを悟っていた。
「この街で、“俺たちは誰かに狙われている”。」




