5章: 第10話 「贈り物」
夜明けは、昨日よりも静かだった。
祭りの熱気が地面に沈み、風は冷たく、空はやわらかい薄桃色に染まっていた。
キャラバンのゲルたちがゆっくりと折りたたまれ、ロープが巻かれ、
荷が、運ばれ、そして──出立の準備が始まっていた。
「……今日で、ここを離れるんだな」
カッツが荷物の紐を締めながら、ぽつりと呟く。
その横で、チトは草のリングを手のひらで転がしていた。
指にはめるわけでもなく、ただ、ぐるぐると回している。
無言の少女にもらった草のリング。
次に会ったらと思い、慣れない手つきで真似して作ったチトの草のリング。
もし交換できたらと、再会を願って何か自分が渡したいと、火を渡してもらった彼女なりのオマージュのつもりだった。
「…行き先は同じでも、ルートが違うって言ってた。
あの家族とは、ここで別だって」
昨日まで何十人もいた輪が、今は少しだけ散っている。
笑顔も、手を振る声もある。でも、確かにこれは“別れ”だった。
荷をまとめ終えた頃、
チトは草の上にしゃがみ込んだ、小さな人影を見つけた。
──あの少女だった。
無言の民の少女。言葉を交わさず、絵と眼差しだけで心を交わした、あの子。
少女は、地面に何かを描いていた。
細い指で、丁寧に──草をかき分け、円を描き、内側に点を打つ。
チトは、そっと隣に座る。
少女は顔を上げず、ただ小さく手を伸ばし、
その円の中心に、小さな包みを置いた。
草で編んだ箱。
開くと、中には──髪紐が入っていた。
赤褐色の、陽に焼けたような色の、絹の髪紐。
チトの赤いヘアバンドとは違い、やわらかく、細く、風に馴染むような色だった。
少女は、目を見て微笑んだ。
何も言わない。でも、チトには分かっていた。
──これは、“つなぐ”ための贈りものだ。
「ありがとう」
チトはそう言って、少女の指に自分の草のリングをはめた。
「これは、“交わした”ってことで。…大切にするね」
少女は、もう一度笑った。
その笑顔が、言葉の代わりにすべてを伝えてくれた。
ふと、風が吹いた。
草が波のように揺れて、二人の髪が一緒に風に靡いた。
そして少女は、何も言わずに立ち上がり、キャラバンの最後尾へと歩いていった。
振り返りもしなかった。けれどチトは、それで十分だった。
──その背を、見送るだけで。
屋台の前に戻ったチトは、
新しくもらった髪紐を、手の中でそっと撫でた。
「……“持っていけ”って言われた気がした」
「そうだな。別れ際にくれるもんは、どれも“意味”がある。お前も……渡せたんだな」
カッツはそう言って、チトの手の中にある髪紐を見た。
その日、ふたりはキャラバンと別れて、再び草原を歩き出した。
雲の切れ間から差す光が、道なき草の海に線を引いていた。
その先に、また誰かの暮らしがある。
また誰かの味がある。
そしてきっと、また誰かの想いが、風に流れている。
歩くふたりの背には、荷物の重さではない、“つながり”の重さがあった。




