5章:第9話 「別々の夢」
夜の輪は、まだ静かに燃えていた。
祭りの余韻が漂う草原。踊り手たちは眠り、太鼓も止まり、焚き火のパチパチという音だけが時間を刻む。
チトは一人、屋台の横に腰かけていた。
風に煽られてゆれる布幕の向こうで、グリル・ノマド号がかすかに軋む音を立てる。
その音に重なるように──誰かのいびき、草の寝床に潜る子どもの足音、遠くで馬が鼻を鳴らす音。
どれも、ここに“生”がある証だった。
「……今夜、あんたは見回り?」
キャラバンでは、夜になると三人ずつが“交代で見張り”に立つ習わしがあった。
この草原に“敵”らしい敵が現れることは稀だが、野獣や盗賊を警戒する文化は今も残っている。
その番に、今夜はカッツが入っていた。
「……まあ、言葉通じないから“見てるだけ”なんだけどな」
カッツが肩をすくめて笑う。
チトは焚き火の光を見ながら、ぽつりとこぼした。
「……子どもの頃、夜が一番怖かったんだ」
カッツは立ち止まる。
「暗いところが怖いってわけじゃない。
誰にも気づかれずに、明日が来るのが、いやだった。
たとえば、あたしがそのまま──いなくなっても、世界は止まらないって感じがして」
火がぱち、と弾ける。
「でも、今は……」
そこまで言って、チトは言葉を止めた。
「……今は?」
「……あんたが隣にいるから、そういうの、忘れかけてる。少しだけ」
カッツは何も言わずに、小さく頷いた。
「じゃ、あたし寝る。交代は……夜明け頃?」
「うん。ちゃんと呼ぶよ」
「呼ばなくても、目が覚めるかも」
チトはそう言って、立ち上がり、ゲルの影にある寝床へと歩いていった。
その背中に、ふとカッツが声をかける。
「なあ」
「ん?」
「……お前がいなくなっても、世界は止まらないかもしれないけど──」
「俺の旅は止まるよ」
チトは、振り返らなかった。
ただ、一拍遅れて、聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。
「…………知ってる」
──その夜、
カッツは焚き火を背に、遠くの星を見上げていた。
そしてチトは、眠りの中で
かつて見たことのない“ぬくもりの夢”を、見ていた。




