5章: 第6話 「香りの橋」
夕方の空に、ふたつの煙が立ち昇った。
ひとつはキャラバンの伝統的な焚き火鍋。もうひとつは、ふたりが手掛ける屋台グリルの煙だった。
「羊肉は……これでよし。問題はこのスパイスだな」
カッツは刻んだ乾燥香草を手のひらに乗せて、香りを確認する。
「辛味と酸味、どっちが通じると思う?」
チトがナン生地を成形しながら問う。
「酸味。あいつらの保存食はチーズ系が多いから、そっちの味覚に合うはず」
「了解。じゃあヨーグルトベースのソースに、あたしちょっと工夫してみる」
彼らが作ろうとしていたのは、
ジャイロに似て非なる、“草原風のひと皿”──
干し羊肉の炙りにケフィアとミント、酸味の効いた漬物を挟んだ、薄焼きのピタ風パン包み。
地元の保存食と、異邦の味付けの融合だった。
火が落ちかけた頃、キャラバンの人々が集まり始める。
普段の飯番は三人一組の交代制。今夜は「外の者」の番だということで、やや距離をとって見守る者もいた。
けれど、最初の一人──昨日ケフィアと干しトマトを交換した少年が、一歩前に出た。
チトが皿を手渡す。
少年は一口かじり──小さく目を見開いた。
「……ッ、うまい、って顔してるな」
カッツが言う。
「ふふん、当然」
チトは鼻を鳴らしたが、どこか緊張していた様子もほぐれたようだった。
それが合図となった。
次々に人々が近寄り、屋台の前に並び始めた。
笑顔、驚き、眉間の皺──
反応はさまざまだが、ひとつ共通していたのは、誰も途中で食べるのをやめなかったということ。
そして、あの女長が歩いてきた。
皿を受け取り、一口食べ、目を閉じる。
──数秒後。
彼女は片手で屋台の縁を叩いて、にやりと笑った。
「これは、“受け入れられた”ってことでいいのか?」
「たぶんね。あたしでも分かる、あの顔は“よし”ってやつ」
ふたりは、ほんの少しだけ、手を重ねてハイタッチした。
夜が深まるにつれ、グリル・ノマド号の周囲には談笑の輪ができた。
言葉は依然通じないが、食と香りが、互いの境界をひとつずつ溶かしていった。
ふたりの“味”が、この草原のどこかに根を張る──その最初の夜だった。
ふとチトが空を見上げた。
「……明日も晴れそうだね」
「風向きも安定してる。まだもう少し、この人たちと行けるかもな」
「……うん」
チトは夜空の星を見つめながら、小さく笑った。
その目は、誰にも聞こえない言葉で“ありがとう”を語っていた。




