5章: 第4話 「風の道標」
「もう少しで、町の輪郭が見えなくなるな」
カッツが振り返ると、草の先にわずかに土壁の建物が並ぶのが見えた。オアシスの町カル・タン──
ふたりがこの草原で最初に見つけた水場の町だった。
「この風の中で、よく歩いたなあの屋台……」
チトはぽつりと呟きながら、グリル・ノマド号を押す手に力を込めた。積載量は最小限に絞り直し、今はふたりで左右から押して進むかたちだ。車輪の軋みと草を踏む音だけが耳に残る。
「……こっからが本番か」
「うん。でも、道はあるよ。あんたがもらった地図、あれに“太陽の門”って書いてあった」
カッツは懐から折りたたんだ羊皮紙を取り出した。赤褐色のインクで描かれた、子どもが描いたような草原と砂丘の簡易地図。その中に確かに、“門”のような印がある。
「この先にあるって話の、交易路の終点。その途中に“太陽の門”って岩場があるらしい。そこを抜けて、もう一つの集落を目指す」
日が高くなってきた頃、ふたりは野営の準備をはじめた。木陰などない場所だったが、視界の開けた斜面を選んだ。
カッツが風避けに帆布を張る間、チトは荷袋の点検をしていた。干し肉、羊乳のチーズ、ケフィアを詰めた革袋──保存食は問題ない。
そのとき、小さく風が巻いた。
草の波が走るように揺れて、遠くで何かの音がした。視線を向けると、砂の影の向こう──なだらかな丘の稜線に、いくつかの影が動いていた。
「……あれ」
チトの声に、カッツが目を細める。
「人影か? いや……馬か?」
「──ちがう、ラクダだ。あれ、前に会った交易隊かも」
そう言っている間に、丘の影は近づいてきた。
やがて、数頭のラクダと数人の人影が現れ、そのうちのひとりが手を上げた。
「……やっぱり、会ったな」
カッツが笑った。
「道はひとつ、だったんだね」
チトも少しだけ口元を緩めた。
彼らは前に会った隊商の一団だった。言葉は通じないが、ジャイロの味を知っている彼らは笑顔で二人に歩み寄った。ある者は屋台を指差し、ある者は草の上に腰を下ろし、互いの荷物を見せ合い始めた。
そして、ひとりの男が地面に座って、指で草を押し分けながら円を描き、そこに線を引いた。
──“道”の絵だった。
「……こっから東に、“大きな流れ”があるらしい。多分、川か……いや、古い交易路の終点」
その男はさらに言った。「いっしょ、いく」と。
カッツとチトは、しばらく目を合わせた。
「ついてくか?」
「……こっちも目指す場所は同じだし。断る理由ないよね」
ふたりは頷いた。
それが、この草原での“本当の旅”の始まりだった。
遊牧の一団に混じり、地図のない草の海を進む日々が、ここから幕を開ける。




