1章: 第5話 「あの丘の理由(わけ)」
夕暮れの空に、藍色がゆっくりと広がっていく。
カッツは荷車の支度を終え、焚き火の前に鉄板を置き、包み料理の試作品をあたためていた。
チトは少し離れた木の下、腕を組んで空を見上げている。
「なあ、チト」
「ん」
「……なんで、あの日。街外れまで俺に付き合ってくれたんだ?」
火がパチ、と弾けた。チトの腕が少しだけほどける。
「……さあね」
そう言ったあとで、少し黙る。
風が静かに通り過ぎる音だけが、ふたりの間に落ちた。
――数日前、“出会いの日”。
カッツが異世界に転移してきたその日。
街の外れに現れた、鉄の塊のような車両。見慣れぬ金属、見慣れぬ服装、嗅ぎ慣れぬ匂い。
チトはそのすべてに、強く惹かれたわけじゃなかった。
むしろ――「またか」と思った。
この世界に、時折現れる異邦の者たち。
危なっかしくて、傲慢で、何も知らないくせに踏み込んでくる。
そのたびに誰かが巻き込まれ、傷つくのを見てきた。
「……放っとけよ、チト」
誰かがそう言った。
最初は軽く受け流すつもりだった。
だが、話を聞き、差し出されたまま口にしたカッツの肉の味。
そして道連れで訪れた先、フードトラックの前で頭を抱える彼の姿を見たとき――足が止まった。
煙とスパイスの匂いが混じる、あの香り。
鉄板が空気を切るように鳴らす、ジュウという音。
――それは、遠い昔。まだ家族がいたころの、夕暮れの匂いと音に、どこか似ていた。
「……あたしに似てる」
誰にも聞かれないよう、小さく呟く。
あの姿勢、あの表情。
“失ったものを、それでも握り締めようとする”ような、不器用な背中。
だから、放っておけなかった。
――現在、焚き火の前。
「……答えになってないよな」
チトはそう言って、火を見つめる。
「でもね、カッツ。あたしは“火”を信じることにしてる」
「火?」
「あんたの作った、最初の焼きチキン。あれが……ちゃんと沁みたから。
あんたの気持ちが、火が……あたしには見えた」
「……そっか」
カッツは小さく笑い、焚き火のそばに置いていた包みをふたつに切る。
焼けたパン生地から、熱と香辛料の匂いがふわりと立ち上った。
「半分食うか? 今日の出来、悪くねぇぞ」
チトは迷わず、片方を手に取った。
「……ま、味見くらいは」
焚き火を挟んで向かい合うふたり。
パンを裂く音と、噛みしめた瞬間のスパイスの香りが、静かな夜をゆっくりと満たしていく。
「……ありがとうな、チト。来てくれて」
「うるさい、誰が来てやったって――……ああもう、うるさい」
そう言って少しだけ目を逸らす。
焚き火の明かりが揺れ、チトの瞳も、わずかに揺れた。