4章:第12話 「風の夜をこえて」
ミルク祭の夜。村にはまだ祝宴の音が残っていたが、空気はどこか落ち着きを取り戻していた。
屋台の片付けも一段落し、チトは干し肉の箱を布で覆い、最後に風除けの板を立てていた。
「おつかれさん。今日の売上、けっこう良かったぞ」
カッツが帳面を見せる。予想よりも多くの小銭が記録されていた。
「……ま、今日のは特別だから」
「そうだな」
ふたりは笑い合い、屋台の軒先で湯を沸かした。
だがその時――
ゴォォォォ――ッ
突風が、谷の上から吹き降ろしてきた。
「ちっ……またかよ!」
⸻
屋台の帆布が揺れ、火が煽られる。
チトはすぐに風除けに走り、ナンを寝かせた籠を抱え込む。カッツはグリル・ノマド号のサイドストッパーを再固定しながら、風に耐えた。
「これ、前より強い。冷たさが違う!」
「寒波だな……谷風が一気に落ちてくるやつだ」
屋台の灯が危うく揺れる。
「火、消したらもう……乾燥も、発酵も全部パーだよ!」
「わかってる!」
ふたりは急ぎ、焚火台を小屋の軒下に移動させ、木箱で囲いながら風を遮った。
その時、チトの手が、冷えきった鍋に触れた。
「あ……」
指が、震えていた。
「チト、下がれ!危ねぇから!」
「……平気」
「平気じゃねぇよ!」
「でも――守らなきゃ」
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風の音がうなりを上げるなか、ふたりは毛布をかぶって小屋の中に入り、鍋と火を囲んだ。
白い息が吐き出され、風が外の屋根を鳴らしていく。
「……なんで、こんなに寒いのに。ここの人たち、いつもあったかい料理ばっかなんだろう」
「そりゃあ…寒いからだろ」
「そうじゃなくて……心が、寒いの知ってる人の味がする」
チトの言葉に、カッツは目を細める。
「……お前がそう言うなら、きっとそうなんだ」
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チトは、両手で持ったヤク乳スープの湯呑を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「ねえカッツ。あたし、屋台に出会ってよかったと思ってる」
「……ん?」
「出会ってなかったら、きっと、こんなふうに誰かと火を囲んだり、乳の香りで眠れたり、干し肉で泣いたりなんて、できなかったと思うから」
カッツは言葉に詰まりながらも、少し照れたように言った。
「……じゃあ俺は、お前に“出会えて”よかったと思ってる」
「なにそれ。ずるい」
「はは、ごめん」
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外の風はまだ止まない。だが、小屋の中には火がある。鍋の中で、スープがゆっくりと回り、ミルクの香りが鼻をくすぐる。
ふたりは毛布の中、ほんの少しだけ寄り添いながら、その夜を越えていった。
屋台も、命も、灯も――そのすべてを包むように。