4章: 第11話「祭りの朝」
その朝、集落には普段にはない活気があった。山から吹く風に乗って、乳とチーズと草の匂いが立ち上る。
「今日は“ミルク祭”だよ!」
宿の子どもたちが走り回りながら、そう叫ぶ。
「年に一度の祝日。命と乳に感謝する“火と乳の儀式”があるんだ」
「……乳って、やっぱこの地じゃ神様レベルなんだな」
カッツが感心したように屋台の上に干していた布をたたむと、チトが静かに笑った。
「うん。でも、同時に“生活そのもの”でもある。この祭り、“あったかい日常に感謝する”って意味もあるんだって」
「……じゃあ俺たちも、しっかり焼かないとな。命と、火と、乳の味を」
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集落の広場では、すでに準備が始まっていた。
中央には、ぐつぐつと煮えたぎる巨大な銅鍋。その中ではバターが溶け、黄色い川のように流れている。
「これ、何に使うの?」
「この鍋を囲んで歌って、最後に小さな器で“火に戻す”んだってさ。『いただいた命は、返してつなぐ』って意味らしい」
「命のリサイクル、ってことか……」
チトとカッツも、屋台の前で朝の準備に入った。
バターを練り込んだナン。ヤク乳を黒塩で整え、多めの柑橘でシャープに仕上げたソース。香草を混ぜた白チーズ、そして干し肉。
それらを、バターの香りが漂う空気の中で焼く。
香りが立ちのぼるたびに、子どもたちが嬉しそうに集まってきた。
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「ねえ、お姉ちゃん」
声をかけてきたのは、祭りの衣装を着た少女だった。髪を編み込み、腰には赤い布を巻いている。目元がどこか――チトに似ていた。
「このジャイロ、甘い? しょっぱい?」
「どっちでもないかな。でも、“あったかい”よ」
チトがそう言って手渡すと、少女はぱくりと頬張った。
「……おいしい。やさしい味がする」
チトは、その顔をまじまじと見つめてしまった。どこかで、こんな風に微笑んだ“誰か”を知っていたような――
「……名前、なんて言うの?」
「サナ。母の名前の最初の文字なんだって」
その笑顔に、胸の奥がわずかに温かくなる。
「……サナ。おかわり、いる?」
「いるー!」
ふたりの笑い声が、広場に溶けていった。
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夕方、祭りが終わったあと。中央の銅鍋に火がくべられ、バターの最後の一杯が、静かに火に注がれた。
「命の味、あたしたちがちゃんと受け取りました。だから、この火が、次の誰かにつながりますように――」
チトは、小さく祈りを口にした。
その横で、カッツがぽそりと呟く。
「お前の言葉は、誰かに火を灯せるな」
「……うるさい」
頬を赤らめながらも、チトの手は、そっと胸の前で合わさっていた。
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その夜、屋台のテーブルに残されたレシピ帳には、新たな一文が加えられていた。
『この地のバターと火の味――忘れないうちに、メニューに入れておこう。
やっとわたしの火を、カッツに渡せそう。』
――チト




