1章: 第4話 「鉄塊」
「……やっぱりもう、動かないのか?」
カッツはうずくまるようにフードトラックのボンネットを開いていた。
何度目かになる始動の儀式。そのたびに火花も反応もなかった。
燃料は尽き、電気も回らない。
走行用のタイヤは異世界の泥土を吸って重く沈み、フェンダーの端には、見知らぬ植物の蔦が巻きついていた。
「なんでだよ……ここまで一緒に走ってきたのによ……」
荷台に目をやる。鉄板、タンク、焦げ付きの跡。
無数のランチの香りと、笑い声の記憶。
それらはもう、動く店ではなく、ただの“思い出”になりつつあった。
そんなカッツの背中に、チトの声が落ちる。
「それ、捨てるしかないでしょ。いつまでも抱えてるつもり?」
「……わかってる。でもこれは俺にとって――」
言葉を飲み込む。
チトは腕を組んだまま、少し視線を逸らした。
「……その代わり、提案がある。移動式の“屋台”っての、あたしが見てきた“旅商人”のやり方で、いけるかもしれない」
「旅商人?」
「小型の馬車、炭火の台、鉄板と調理器具。全部積めば、似たようなことはできる。
多少効率は落ちるけど……あんたがやりたいのって、客を待つ“店”じゃなくて、待っている客に“届ける事”、なんでしょ?」
カッツは目を見開いた。
「……それ、お前が考えたのか?」
「ギルドの古参が昔そうやって旅してたって話、聞いたことがある。
それとあんたのその鉄の荷車の構造、見ててピンと来た」
「なるほどな……」
カッツは、もう一度だけフードトラックの屋根に手を触れた。
金属は昼間の熱を失い、ひんやりと冷たかった。
少しだけ名残惜しそうに、それでもゆっくりと離れる。
「悪いな……お前の代わりは……馬車になるらしい。今まで、ありがとうな」
そう言って、静かに笑った。
――数日後。
馬一頭と、小さな荷車。その上には、簡易な鉄製の炭火台と、程よく使われてきた鉄板。
カッツが即席で作った木製の看板には、こう書かれていた。
《KATZ’S GRILL(カッツの台所)》
異世界の人々には「オーバーライス」という単語は伝わらなかった。
いや、そもそも米というものがあるのかすら分からない。
それならと、焼いた肉と野菜をパン生地で包む料理を、この世界の食材でアレンジしたスタイルに方向転換した。
「……あんた、その看板……本当に売れると思ってる?」
「わかんねぇ。でも、火を入れて、肉が焼けて、スパイスの匂いが立てば……誰だって腹は鳴る」
「ふっ……言うじゃん……馬車の扱いはおいおい覚えてよね」
「うっ……自信ないが、わかった。善処する」
「……ふん」
その日の午後。街外れの草地で、初めての炭火営業が始まった。
チトが街で集めてきたスパイス。
鶏肉と、薄く伸ばした平パン。それを炭火で香ばしく焼き上げる。
油が肉の脂と混じって落ち、火花が小さく弾けた。
その香りは、風に乗って街の通りまで届いていく。
やがて、ひとり、またひとりと子どもたちが駆け寄った。
「それ、なんの料理? おいしいの?」
「なんか、いいにおいがする……」
「試してみるか? 半分に切ってやるよ」
カッツは笑いながら、焼き立ての“包み”を差し出した。
「うんまッ!!」
「これ、なんの味!?」
「企業秘密だな」
「……カッツ、そのセリフ、商人っぽい」
「チトが副店長だからな。お前が許可しないとレシピは教えられねぇんだわ」
「はぁ……? 知らんし……ってか勝手に副店長にすんな」
それでも、ふたりの間に流れる空気は、焚き火のようにあたたかかった。
夕暮れ。売り切れた包みと炭の匂いだけが残る草原。
フードトラックはもうない。だけど、あの重たかった“鉄”を手放したことで、何かが軽くなった気がした。
チトが馬に水を飲ませながら、ふと言った。
「これからどこへ行く?」
「……そうだな。ひとまずは腹減ってるやつでも探してみるとするよ」
「……呆れた。土地勘もないんでしょ? あんた心配だし、もう少しだけ付き合ってあげる。馬だって操れないし」
その視線の先には、街道がまっすぐ伸びていた。
ふたりの旅は、静かに――けれど確かに、動き出していた。