表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/152

4章: 第4話 「スゥトとウルの仔」

朝の牧場は、白い霧に包まれていた。

吐く息も霧に溶けて消え、冷たい空気が肌を刺す。


チトは外套の袖を握りしめながら柵の前に立った。

昨日見かけた子ヤクが、今日も同じ場所にいる。母ヤクの背にぴたりと寄り添い、黒曜石のような瞳でこちらをじっと見ていた。


「……おはよう」


チトは小さく声をかけ、ゆっくりと手を伸ばした。

子ヤクは一瞬たじろいだが、やがて前足を踏み出し、警戒を解くように近づいてきた。


「名前、つけてもいいって言われたよね」


指先が毛並みに触れる。ふわりとした温もりに、チトの表情がやわらぐ。


「母親がウルで、父親がスゥト……だから“スゥル”って思ったけど」


子ヤクがくるりと鼻を鳴らした。


「……うん、やめとく。スゥトとウルの子だから……“スウ”。」


そう言って、チトは小さく微笑んだ。

「スウ。おはよう。今日から、あんたはスウ」


子ヤクはまるで答えるように、こくりと首を動かした。



同じころ、集落の広場では《グリル・ノマド号》に火が入っていた。

炭火の音、香ばしい匂い、揺れる白煙。


「このチーズを溶かしたジャイロ……」

「肉が柔らかいのに、香りがしっかり残ってる……」


地元の酪農親父たちが言葉少なに驚き合う。

子どもたちまで列を作り、頬張った顔に笑みが広がった。


鉄板の前で手を動かし続けながら、カッツは短く言った。

「……素材が強い。火が勝手に応えてくれるだけだ」


沈黙のあと、ひとりがふと尋ねた。

「このソース……娘の手か?」


「……ああ、副店長の仕込みだ」

カッツはそれ以上は言わず、再び肉を返した。


親父たちは互いにうなずき合い、黙ってジャイロにかぶりつく。

その横で、子どもたちが列をつくり、熱々のジャイロを頬張っている。笑顔の波を見渡しながら、カッツはふと手を止めた。


「……こうして人が集まって、笑って食ってるの。久々に“火を渡せてる”気がするな」

その穏やかな熱気は、広場全体をひとつに包みこんでいった。



夕方。牧場に戻ったチトは、壺を抱えていた。

中には、スウの母ウルから搾ったばかりの乳。


「ありがとう、ウル。スウのことも、あたしが見てるから」


ヤクの親子は身を寄せ合ってうずくまっていた。

チトは小さく微笑み、「明日も来るね」と囁いた。


夜。チトが戻ってきた宿の食堂では、カッツが腕を組んでいた。


「……結局、一番評判がよかったのはチトのチーズソースだ。久しぶりに火を届けられた気がしたよ。悪くねぇな」


チトは壺をテーブルに置きながら、視線を逸らす。

「……ふーん。でも、ちょっと嬉しい」

そう呟く声は小さく、頬はわずかに赤かった。


「明日、これでデザート……作ってよ」


「……承知しました、副店長」

カッツがわざと大げさに頭を下げる。


「そういうのがうるさいの」


チトの口元はほんの少しだけ緩んでいた。


屋台の火がぱちりと弾け、夜風が二人の間をすり抜けていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ