4章: 第2話 「高山の玄関」
列車を降りたカッツとチトは、《祈りの駅》から石畳の坂道を《グリル・ノマド号》と共に歩き出した。
鉄の車輪がごとん、ごとんと音を響かせるたびに、谷あいの空気が震える。標高はすでに高く、吸い込む息は少し冷たい。
坂を登るたびに視界が開け、山の斜面に張りつくような段々畑や、陽光を反射する白い屋根が次々と現れる。空は深く澄み、風に揺れる高山植物が色とりどりに咲き誇っていた。
「ここが……高山の玄関口」
チトが小さく呟く。
町は想像以上に活気に満ちていた。軒先には干し肉を吊るす商人、羊毛を束ねる布屋、燻製樽を転がす男。それぞれの家や店先には、祈りを込めた文様が刻まれている。人々は皆、山風に声をかき消されそうになりながらも、短い祈りの言葉を口にしていた。
「空気のせいか、全部がパリッとして見えるな。肉も、布も、人も」
「高地じゃ、余計なものを持てない。だから全部が“必要なもの”だけでできてる」
カッツはノマド号のブレーキを引いて止め、周囲を見渡す。
「まずは装備を整えねえとな。標高が上がれば、寒さも増す」
「保存食も必要だね。……火を焚けない場所もあるかもしれない」
そう言ってチトはリュックからメモを取り出した。
「羊の干し肉、岩塩、それと――あっ」
彼女の視線の先、布屋の軒先に奇妙な木枠のカゴがあった。牛革と紐で編み込まれ、肩で担げるようになっている。
「これ……ミルク運ぶ道具?」
チトは目を輝かせて尋ねる。年老いた布屋の老婆は、静かに頷いた。
「ヤクの乳を搾ったら、これで沢まで運ぶんだよ。冷たい水に浸すうちに固まり、チーズになる」
「じゃあこれ……チーズになるまでの、旅するカゴ」
宝物を見つけた子供のように抱えるチトを、老婆はしばし見つめ、それからぽつりと口を開いた。
「……前はもっと大きな集落があったんだよ。歌もうるさいくらいでね。けど、燃やされて、祈れる人だけが山に残った」
「燃やされて……?」
チトの瞳が揺れる。
老婆はそれ以上語らず、ただ手元の布を畳み続けた。
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夕暮れ。市場の広場の片隅で《グリル・ノマド号》の炭が赤く灯った。
鉄板に干し肉とチーズ、少しの香草をのせ、ナンで巻いた“高山風ジャイロ”。焼ける香りが風に乗ると、人々が足を止め、祈りの歌の合間に鼻をひくつかせた。
「……やっぱ、やっちまうと楽しいな。屋台は」
カッツが笑う。
その隣で、“旅するミルクのカゴ”を抱いたチトが小さく微笑む。
「この旅、わたし……好きかも」
その声は、雪を戴く峰々に吸い込まれ、暮れゆく空に溶けていった。




