3章: 第8話 「名を持つ火の器」
夜が落ちかけた頃、ふたりは屋台の前に静かに立っていた。
そこには──新しく生まれ変わった“火の器”があった。
軽量金属ハイメタル製の外装は夕陽を淡く反射し、半分だけの屋根は、風に揺れる布をくぐらせていた。
鉄板の奥には、小さな収納ユニット。寝袋、調理器具、マット──すべてが、次の旅に備えられていた。
「……軽いな」
チトがハンドルを握ってつぶやく。
「前のよりずっと軽くて、でも、なんか……芯は残ってる」
「改造しても、焼き痕までは消えなかったってことかもな」
カッツは、機嫌良さげに鉄板の隅を指先でなぞった。
火は、まだ入っていない。けれど、屋台はすでに“呼吸”をしていた。
どこへ行くのか。なぜ行くのか。それを、ふたりに問うているようだった。
「チト」
カッツがゆっくりと口を開いた。
「この屋台に──名前をつけたい」
チトは帽子のつばを指で押さえながら、少し目を伏せた。
「……“KATZ’S GRILL”が、屋号じゃなかったっけ」
「ああ。あれは“火の名前”だ。俺が最初に灯した火、店の看板だ。でも今は、それを運ぶ器にも、名前が要るって思ってさ」
少しの沈黙があった。
鉄板が冷たく静かに横たわる中、風の音だけが通り抜けていった。
チトが、ぽつりと呟く。
「“ノマド号”──って、どう?」
カッツが目を細めた。
「ノマド?」
「居場所を持たず、火を抱えて旅する者のこと。ギルドでは、そう呼ばれてるのを聞いたことがある。……そんな意味」
しばらくの静寂。
そしてカッツが、笑った。
「……いいな」
チトがもう一歩、屋台に近づいて、ステンレスの側面を指でなぞる。
「じゃあ、これが──**“グリル・ノマド号”**」
その言葉を受けて、鉄板がじり……と音を立てた気がした。
名前を与えられた“火の器”が、静かに、確かに、生き始めた。
「もう、“あんたの屋台”じゃないよ」
チトの声は穏やかだった。
「これは──“私たちの屋台”。火を運ぶ道具じゃなくて、“一緒に歩く仲間”だから」
カッツは、側面のロゴに手をかけた。
すでに職人の手で刻まれていたマーク。
立ち昇る炎の中に、肉を突き刺すごとく配置されたフォークのシンボル。
言葉はいらなかった。屋号も、説明も、不要だった。
それが、“俺たちの火”の証だった。
「行こうか、チト」
「ん」
新たな火を載せて、名を持った屋台が、静かに旅を始めた。




