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3章: 第3話 「誰がための火」

 


焼けた鶏の匂いが炭火と香辛料の香りを纏い、通りの熱気に溶けた。けれど──誰も、足を止めない。


それは静かな否定だった。この街では、“知らない火”はまず疑われる。


 


「……今日もダメか」


カッツは、焼き上がった薄焼きパンーナン生地を蜜蝋紙に包み、ため息をついた。


チトは無言で隣に座り、帽子の影から通りを見ている。その手は、焼き網に残った焦げをこすり落としていた。


「まだ早いのよ、たぶん」


「なにが?」


「“ここの流儀”に馴染むには。この街は、“味”より“顔”を見て買うの」


 


火はきちんと灯っていた。味も、悪くない。なのに誰も食べない。


そんな夜が、もう3晩目だった。


 


チトが、ジャイロの包みをひとつ手に取った。


「……行ってくる」


「どこへ?」


「ちょっと、ね。あんたはここにいて」


 


そのまま、彼女は包みを持って夜市の迷路に消えていった。いつもなら無言の後ろ姿だが、今夜の背中は、どこか探るように揺れていた。


 



 


チトは、雑踏の中を抜けていた。人波を縫い、階段を登り、袋小路に入る。


彼女が足を止めたのは、灯りの少ない小さな広場。


その隅に、小さな布を敷いて身を縮めていた男の子を見つけた。まだ幼く、袖のない上着を着て、体は煤けていた。


チトは、何も言わず、包みを差し出した。


少年は驚いたように目を丸くしたが、やがて、受け取ってもいいのかと目で問う。


チトは、こくりと頷いた。


少年は、包みを開け、ひとくちかじった。──その瞬間、目が、ぱっと見開かれた。


口元から蒸気があがる。しばらくもぐもぐと味わったあと、少年は手で包みをぎゅっと握った。


「……お姉ちゃん、これ、どこで売ってるの?」


チトは答えなかった。ただ、背を向けてその場を離れた。


そのまま戻る途中、チトはぽつりと呟いた。


「“食べた人の顔”を見るのって、たぶん、怖かったんだ……」


 



 


一方その頃、屋台では──


「……火、消しておくか」


カッツは、残った包みを見下ろしていた。


ふたりで食べるには少し多い。売るには、少し足りない。


どちらにもならない“半端な火”。



チトが戻ってくる少し前。


背後から、小さな声が聞こえた。


 


「……ここ、だよね?」


振り返ると、さっきの少年が立っていた。包み紙を胸に抱え、小さな妹の手を引いて。


妹は疲れたような顔をしていたが、兄の目は輝いていた。


「お姉ちゃんがくれた。これ、ここで焼いてるって……!」


カッツは、驚いたように目を見開いた。そして、すぐに鉄板に手を伸ばす。


「……へい、まいど。焼きたてでいくぞ」


 


火が、再び灯った。


その香りに、近くの通りの誰かが足を止める。


ひとり、またひとり。


火は伝染する。特に、“誰かに渡された味”は。


 


遠くから焼いているカッツと、小さな列を見て、彼女は立ち止まる。


その視線は──不思議と、やさしかった。


チトが戻ってきたのは、それから少ししてからだった。





チトがサポートに戻り、1つ、また1つとジャイロを手渡していく。



「……火ってのはさ」


カッツが、ふと焼きながら呟く。


「うまいかどうかじゃねぇんだよな。“誰のために焼いたか”で、届くかどうかが決まる」


チトは無言で、それを聞いていた。


そして、帽子のつばを少しだけ持ち上げた。


「それ、……わかってるなら、もう少し丁寧に包んで」


「へいへい。副店長、いつもありがとう」


「誰が副店長よ」


 


その夜が、初めての売上だった。小銅貨が布の皿に置かれ、子どもが包みを抱えて走っていく。


それを見て、ふたりは何も言わなかった。


けれど確かに、“火が届いた夜”だった。



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