【03】何故彼女は「ブサイク」と言われたか
混乱して訳の分からない事をした自覚はジェイコブにもあった。――これまで手紙でそれなりにやり取りをしていたとはいえ――初対面の婚約者への最初の挨拶が「結婚しよう」は意味が分からない。それよりも先に、普通の挨拶を交わすべきである。これが花束でも持っていればもう少し恰好がついただろうが、ジェイコブは何も持たぬままただ跪いただけだった。
幸いな事は、ローゼマリーはジェイコブの行動を、「長旅で緊張している自分の為に少し変わった事をしてくれた」と認識しているらしい事であった。
「お前は本当に何がしたかったんだ……?」
「やめてください父上っ、父上たちとてあれほど硬直していたではありませんかっ!」
反応できなかったのはジェイコブだけではなかったのだから、やらかしたとはいえそこまで強く責められる謂れはない。
ローゼマリーは現在、長旅で疲れただろうからと、これから先彼女が暮らす事になる部屋に案内されている。彼女が持ち込んできた荷物――多くは嫁入り道具だ――も、使用人たちがせっせと運び入れている所だ。
今の所、ローゼマリーについて世話をしているのは彼女が自国から連れてきたという侍女一人と、エルウィズ家で普段は伯爵夫人の世話をしている古参侍女である。噂が色々あった事もあり、経験の短い者にローゼマリーを任せる事は当初から予定されていなかった。
ある程度ローゼマリーが落ち着いてから、改めて彼女の周囲の人員は配置する予定である。
そんな訳でローゼマリーを除き、伯爵、伯爵夫人、それからジェイコブとエドワードの四人が談話室に集まっていた訳だが、ジェイコブは額に手を当てて項垂れるばかりであった。
「一体全体、彼女がブサイクなんて噂は、どこから生まれたんですか……」
噂を鵜呑みにしていたジェイコブたちが悪いともいえるが、絵姿や容姿に関する情報があちらから一切流れて来なかったのだ。そうなると、想像の元となるのは噂しかないのだ。
伯爵も伯爵夫人も、ジェイコブほどではないが項垂れていた。
特に、これから義母として、女主人としての業務を教える事になる伯爵夫人は、両手で顔を覆っていた。
「美女なら美女と言っていただかないと、心臓に悪すぎるわ……」
伯爵夫人の嘆きはまさに「それな」と一家が思った事であった。
突き抜けた美人もブサイクも、事前に一言説明が欲しい所である。せめてその一言があれば、良くも悪くも変な対応をしないように気を付けられた。
今回は散々、ブサイクが来ると皆が思い込んでいたものだから、よけいに真逆の存在がやってきた衝撃が大きかった。もし、事前情報が一切ない状態だったのなら、今回ほどの驚きもなく醜態も晒さなかっただろう。「ジュラエル人、即ち、美形が多い」の図式は皆の頭の中にあったのだから。「やはりジュラエル人は美形なんだなあ」とすぐに納得できたはずである。
そんな風に騒いでいる兄一家に、エドワードは苦笑する。
実家に流れていた噂が何かを大体察したのである。
「うん、それは私も向こうで最初に驚いた事でしたよ。いやあね、ほら、国が違えば言葉も違う、文化も違うでしょう。つまりね、美人の条件というのも、全然異なっていたのですよ」
エドワードが語る所によると。
ペデュール王国の美人の条件は、先にも言ったように「キレ長の細目」「ストレートな髪質」「控えめな胸」「背は高め」あたりが浮かぶ。
すべてを兼ね備える必要はないが、二つはあると、客観的にも美人とみられやすい。
一方、ジュラエル王国では顔のパーツそのものよりも「髪色」や「目の色」が重要視される傾向がある。顔立ちや体形についての拘りもないでもないが、それらよりも前者に対する追及の方がまさるのだという。
色彩は、単純なその美しさに加えて、血統事に重視される色合いなども変わるのだという。
「ローゼマリー嬢の育ったカシテライト伯爵家では、透明な赤味のある、ライトブラウンの色彩が最上とされているのです。ローゼマリー嬢の髪も瞳も、それらの条件には当てはまらない」
「たったそれだけで、ブサイクなどと言われてしまうのですか?」
信じられないと、ジェイコブは叔父に問いかけた。叔父はコクリと頷いた。
「根本的な原因は、そうだよ、ジェイコブ。間の悪い事に、伯爵も、そしてローゼマリー嬢の姉君と妹君も、赤味の強いブラウンの髪と瞳を持っていたからね。三姉妹のうち、一人だけが最上と言われない色の持ち主という事もあり、むしろ、他の血族より、同族内での風当りが強かったようで」
「カシテライト伯爵夫人は関係ないのですか?」
「うん。伯爵夫人はカシテライト一族ではない家から嫁いできているからね。この、赤味あるライトブラウンの色を最上とする価値観は、カシテライトの血族に限られるから、夫人に対する風当たりは強くはない。だが、ローゼマリー嬢はカシテライト伯爵の娘で唯一そうではないから……伯爵家の弱みとして見られたんだ。あとは、ジェイコブも分かるだろう?」
ジェイコブは眉間に出来そうになった谷間を消そうと親指で揉んだ。
……嫉妬にかられた者たちは、相手をこき下ろすために何でもするだろう。本当に大したことのない些細な点をあげつらい、とんでもなく大きな欠点のようにわめきたてる。
シャーリーブルーの開発以降、とても親しくしていたはずの家や人間からの裏切りは、少なくなかった。表でも喚く者はまだマシな部類で、性質が悪いと表では味方のフリをして、裏ではあれこれと言いまくるのだ。
――ある種ロドニーと似ているが、ロドニーの敵意は伯爵家そのものではなくてあくまでもジェイコブ一人に向いているので、この話では除外しておく。
ともかく。家族で唯一色彩が違うから。たったそれだけの理由で、ローゼマリーはカシテライト伯爵家の弱点とみなされ、周囲からの攻撃が集中したのだとすれば……それはあまりに惨い事だった。
「ローゼマリー嬢は見ての通り、問題のない模範的な令嬢です。ですが噂は一人歩きし、ある事ない事、社交界では言われてしまっています。デビュタントの時に、本当に小さな失態をしてしまったそうで……それも、大げさに広められてしまったのだとか。義姉上ならお分かりかと思いますが、この状態では良い嫁ぎ先を探すのは容易ではありません」
「……ええ分かります。デビュタントでの話は、良くも悪くも、若い間にはついて回ってしまうわ。噂を払拭するのには時間がかかるわね。……それで、国外に嫁がせる事にされたというの?」
「そのようです」
「ジュラエル王国は広大なのですから、国内の方が良かったのでは……? 言葉や文化は同じではありませんか」
ローゼマリーがブサイクという噂が回っていた原因は分かったが、彼女の両親であるカシテライト伯爵たちがわざわざ言語も文化も違うペデュール王国に嫁がせた理由が、ジェイコブには分からなかった。
(もしかして、評判の悪い娘を国内に置いておきたくなかったのか……?)
そんな疑いが芽生えてしまうジェイコブの心を読んだように、エドワードは「違うよ」と甥の顔を見ながら言った。
「カシテライト伯爵は、娘であるローゼマリー嬢の幸せを願った。だからこそ、ペデュール王国に――髪や瞳の色よりも、ローゼマリー自身の容姿を褒め称える者が多いだろう、我が国に嫁がせたのだよ。容姿は人間のすべてではないが、反感的な目線で見られやすいよりも、好意的に見られやすいほうが、生きやすいに決まっている」
「それは……確かに、そうですね。すみません、少し先走って考えてしまいました」
とはいえ、である。
(ローゼマリー嬢は実際には、我が国の考えからするととてつもない上澄みだが……ブサイクという噂が出回ってしまっている現状は、変わりはない。いくら美しいとはいえ、その噂が偽りだったと知らしめる間に、彼女が嫌な目に合う確率は高いに決まっている)
やはり、彼女にとってあまり良くはない話をしなくてはならない事実は変わりないのであった。
◆
その日は長旅で疲れているだろうからとローゼマリーとジェイコブが会う事はなかった。実際、ローゼマリーは身を清めて軽食を口に入れた後に眠ってしまったというから、「無理に会う約束を取り付けなくてよかった」とジェイコブは思った。
次の日の昼頃に、二人は改めて二人きりで顔を合わせる事となった。
長らく手紙でのやり取りはしていた。けれど、直接言葉での会話をするのは、これが初めてという事になる。
ジェイコブが見た限り、ローゼマリーはかなり緊張しているように思えた。当然だ、一日休んだとはいえ、彼女にとってここはまだ何も分からない異国でしかない。
「ローゼマリー嬢」
いつもより、ゆっくりと話しかける事を心掛けた。前日のうちに、エドワードからローゼマリーがペデュール語はある程度習得済な事を伝えられていた。だが、やはり母国語ではないのだから、出来る限りローゼマリーに伝わるように話しかけるべきだとジェイコブは思っている。
「昨夜は、よく眠れましたでしょうか」
ローゼマリーは細目をさらに細めた。ほほ笑んだのだ。
「はい。とてもよく眠る事が出来ました」
「それは、良かったです」
「……」
「……」
ジェイコブはうまく続かない言葉に、己の不甲斐なさを感じた。これまで仕事としてそれなりに人と話す事はあったが、なんと切り出せば良いのかさっぱり分からなかったのだった。
どちらともなく視線はそらされて、テーブルの上に落ちていた。
「そ、その」
ローゼマリーの視線がジェイコブの顔に映る。まだ顔を直視するのは二日目で、どうにも頬が熱くなって仕方なかった。
「なんというか……直接、話すというのは、難しい、ですね。手紙では、話題に困る事は、なかったのですが」
手紙のやり取りは、物理的距離もあり比較的ゆったりとしたものだった。手紙に何を書くかはゆっくりと吟味する時間は多く、内容に困る事もなかった。
こうして顔を見て話すというのは、手紙とのやり取りとはあまりに状況が違う。
ジェイコブはどうしたら良いものかと、眉尻を下げながらローゼマリーから視線をそらした。
「そ、その」
少しの間無言だったローゼマリーは、どこか意を決したような声を出した。何かと思って彼女の顔を見れば、表情はとても真剣で……ひどく、緊張しているように見えた。
「その、ジェイコブ様。どうか、偽りなく、お答えいただきたいのです」
言葉が途切れ途切れなのは言語の壁がある事だけが理由ではない。ジェイコブはそう思った。
「……私を見て、どう思われましたか?」
その一言は、ローゼマリーにとってはとてつもなく緊張して吐き出された言葉なのだと、ジェイコブには分かった。肩が僅かに震えていて、テーブルで見えない両手はもっと大きく震えているのだと思われた。
ジュラエル王国とペデュール王国の美醜の価値観の違いを、彼女が聞いていないという事はないだろう。それでもなお、不安を消す事は出来ないのだ。
それぐらいに、彼女の中にある苦しみは、大きいのだ。
そう思ったら、目の前の彼女を力強く抱きしめたくてたまらなくなった。
「あまりに美しくて、天の国に来てしまったかと思いました」
「その……このような、色、ですよ……?」
「綺麗な御髪ですよ。日々、丁寧に手入れされていたのがよく分かります」
ローゼマリーの瞳にはまだ不安が残っているようであった。
ジェイコブは立ち上がり、ローゼマリーの傍にいく。立ったままでは威圧感を与えるだろうと跪き――中腰だと野暮ったく見えそうでこうしただけだ――ローゼマリーの髪をそっと掬い上げた。
「……本当に、綺麗ですよ」
漏れた声には、どうにも憧憬が滲んで仕方なかった。
本当に、どうしたらこれほど真っすぐな髪になるのか、聞きたくてたまらない。
胸の大きさ以外、美女の条件は美男子の条件に置き換えられる。
髪は癖のないストレートヘアの方が好まれるし、背は高い方が良いし、目はキレ長の細目の方が良い。
だから、ジェイコブにも女性と同等ではないかもしれないが、髪の手入れ具合などは分かるのだ。
跳ねたり癖の残る髪が真っすぐになるまで格闘した朝の記憶もよみがえり、ついつい、感嘆のため息まで漏れてしまった。
「失礼。あまりに美しくて、見とれてしまいました」
ローゼマリーの揺れる瞳を見上げてから、ジェイコブはほほ笑んだ。
「すぐには信じられずとも、構いません。これから長い時を共に過ごすのですから、少しずつ、私の言葉が真実だと信じられるようになってくだされば良いのです」
「……はい」
――さて。
そんな会話をしたものだから、この国でも流れているローゼマリー=ブサイクという噂を伝えるのは、とてつもなく気まずくなってしまった。最重要な要件なのだから、最初に即座に伝えてしまえばよかったと思ったのは、改めて椅子に座った後である。
後悔しても遅い。しかし今日からまた日付を開けて、としていたら、自分の知らぬ所で噂を聞いてしまう可能性が高い。それは避けたくて、「先ほどの会話の後に大変気まずいのですが」と前置きしてから、ジェイコブはペデュール王国に流れているローゼマリーの容姿をバカにする噂について話した。
ローゼマリーがまた傷つくのではと思ったが、想像よりずっと彼女は落ち着いていた。
「己の事について、嫌な噂が流れているのには、慣れておりますわ」
と語るローゼマリーの姿を見たジェイコブは、
(絶対守ろう)
と、強く強く決意したのだった。




