【02】ブサイクと噂の婚約者
今日はローゼマリー・カシテライトが、ジェイコブ・エルウィズに嫁いでくる日。
実際には書類上は、ペデュール王国に来てから一年、婚約期間兼結婚式準備期間があるのだが、実質的には本日より夫婦である。
これから先ジェイコブが長いときを共に生きていくと思われるパートナーは、シャーリーブルーの生みの親であるエドワード叔父と共にジュラエル王国から、長らく馬車に揺られてやってきた。
王国の権威を示すためか、宝石らしき石が大量に組み込まれた馬車はあまりに豪奢で、エルウィズ伯爵家の三人も使用人たちも圧倒されてしまった。
嫁入り道具もともに持ってきたのだろう。馬車は十台にも連なっていた。
エルウィズ伯爵家の入口前に到着した、先頭の馬車。その馬車のドアが勢いよく開くと、懐かしい顔がジェイコブたちの視界に飛び込んできた。
「ん゛ん゛~~! ……はぁ、ペデュールの空気は久々だ。おお! 兄上! 義姉上! そして愛しい甥・ジェイコブよ! 久々ですなあ!」
叔父、エドワードであった。
本当に会うのは久々であるのだが、以前と全く雰囲気も印象も変わらない叔父は、順に伯爵、伯爵夫人、そしてジェイコブに熱烈なハグをした。
「いやあ、今回は高級馬車に乗せていただいたおかげで体が楽で楽でたまりませんでしたよ」
ペラペラと語るエドワードの後ろで、彼が乗っていた馬車のドアは閉じられて、動いていく。そして、一台目の馬車が停まったのと同じ位置に、二台目の馬車が停車した。
そして、ドアが開かれる。中からは、誰も降りてこない。変わりに、
「エドワードおじ様」
という、女性の声がした。若い女性の声である。ジュラエル王国語だが、見知った名前と簡易的な語彙なのでジェイコブも意味が分かった。
ハッとしたのは大げさな反応をしたエドワードだけではなかった。
「ああいけない!」
エドワードは馬車に近づくと、中にいるであろう人物に対してジュラエル語で語りかけた。
「すまない、ローゼマリー嬢。忘れていた訳ではないのですよ。久しぶりの家族との再会を喜んでしまっただけなのです」
(――ついにくる、ついに!)
ごくりと誰かがつばを飲み込む音が聞こえた。
エルウィズ伯爵も、伯爵夫人も、ジェイコブも。そして屋敷で働き、出迎えの為に出てきた上級使用人の多くも、固唾をのんで馬車を見つめた。
他国にまで伝わってくる事になったほどのブサイクとは、どのような顔なのか。感情がなんであれ、どれほどの顔の人物が出てくるのか、気になって仕方がないのは当然ともいえた。
なんなら、今から降りてくるローゼマリーの未来の夫たるジェイコブよりも、その横の伯爵夫妻の方が、
(たとえどんな顔の方がおりてきても、おかしな反応はしないようにしなくては)
と、真剣で、ほんの少しも微笑みが崩れないように力を入れていた位である。
遠い異国に嫁いできてくれた義理の娘である。今後の伯爵家の為にも、絶対に関係を崩す訳にはいかない。
エルウィズ伯爵家の人々に緊張が走る中、エドワードが差し出した腕を取って、一人の令嬢が馬車から降りてきた。
黒茶色の長いストレートの髪と、同色の瞳の令嬢は、一家の目の前でペデュール王国の土をしっかりと踏んだ。
「……は?」
ジェイコブの口から洩れた声を咎める者はいなかった。
本来ならば横に立っている夫人が息子を無言で叱っただろうが、夫人の方もなんなら伯爵の方も取り繕った表情が取れて唖然という顔をしてしまい、何も言えなくなっていたのだ。
エドワードが、ローゼマリーをエスコートして伯爵家の三人のすぐ近くまで誘導してくる。
そしてジュラエル語でローゼマリーに
「ローゼマリー嬢。こちらがエルウィズ伯爵家の人々ですよ」
と言ってから、ペデュール語でエルウィズ家の人々に、
「兄上たち。こちらがローゼマリー・カシテライト嬢です」
と紹介した。
双方への紹介が終わった所で、ローゼマリーはそっとスカートのすそを持ち上げた。迷いのない、ペデュール式のカーテーシーを見せる。
「……ローゼマリー・カシテライトと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
少しまだ固さが残る、ペデュール語だった。けれどきっと、その言葉をとても練習してきたのだろうというのが分かる声だった。
ジェイコブが動きと思考を取り戻したのは、ローゼマリーとパチリと目が合った瞬間である。
ローゼマリーは一瞬ジェイコブと目が合った後、恥ずかしそうに視線をそらした。それからすぐに、もう一度ジェイコブに視線を合わせて、恥ずかし気に目元を赤らめてほほ笑んだ。
硬直から解放され、言語を取り戻したジェイコブは、口から出そうになった言葉をゴキュリと飲み込み、そうして、心の中で叫んだ。
(ブサイクって言ったの、どこのどいつなんだ!!!!!!!!!!!!!)
ローゼマリーが目の前にいたのでなければ、絶対、大声で叫んでいた。
その確信があった。
なんなら耐えている今も叫びたい気分だった。
(どっからどう見ても、とんでもない美女だが?!?!!?!?!)
いけない事と分かっていても、つい、ジェイコブはローゼマリーの姿をガン見してしまう。
キレ長の細目。笑うと目があまり見えないぐらいの細目。
どれほど丁寧に整えたら出来るのかというほどに、ストレートの長髪。
服を着ているとはいえ、無理に潰していたら見えるだろうふくらみもない、控え目な胸。
そして、そう高いヒールではなさそうなのに、ジェイコブの鼻に額上部が当たるぐらいの背の高さ。
(一体どこがブサイクなんだ! 一体どこが!!)
ペデュール王国の美女の条件を全取得した絶世の美女がそこにいた。
とんでもないブサイクが来ると覚悟をしていた分、その落差はあまりに衝撃的で、エルウィズ伯爵家の面々はまともな言葉も発せず固まってしまっていた。何も言えない三人に不安を抱いたらしいローゼマリーは眉をたれ下げさせ――ジェイコブはその顔をガン見してしまった――エドワードを見上げた。
エドワードはこの出会いを予想していたかのようにカラリと笑い飛ばした。
「アハハハハ。言っただろう? ローゼマリー嬢。君を見たらペデュール人はあまりの美しさに呆然としてしまうってね」
ジェイコブもそれなりにジュラエル語を勉強はしていたが、現地人並みに流暢に話すエドワードの言葉をすべては理解出来なかった。辛うじて固有名詞を少し聞き取れたぐらいである。
幸いにも、エドワードはローゼマリーに語ったのに近そうな内容で、ペデュール語で家族に話しかけた。
「兄上たち。そろそろ我に返っていただかないと、ローゼマリーが何か失態を犯したのかと不安になってしまいます」
その一言は、冷静さを欠いていたエルウィズ伯爵家を元に戻し、なおかつ、既に犯してしまった失態に顔を青ざめさせた。
「た、大変失礼した。遠路はるばる、よくぞおいでなさった。エルウィズ伯爵家が当主、バーナビー。家を代表し、貴女を歓迎する」
「ありがとう存じます、エルウィズ伯爵さま」
「私の家族を紹介しましょう。こちらは妻のジュディス」
「よ、ようこそ、歓迎いたしますわ、ローゼマリーさん」
「よろしくお願いいたします、エルウィズ夫人」
「そしてこちらが、我が息子のジェイコブだ」
伯爵、伯爵夫人と順に向いていた瞳が、再びジェイコブに向けられる。
この時になって、一度言葉を取り戻したはずのジェイコブの頭は、再び真っ白になった。何も色を染めていない布のように真っ白になった事を自覚してしまうと、焦りばかりがこみあげてきてしまう。
そうして、真っ白になったジェイコブは、言葉の判別も出来ぬまま、その場で跪いて片手をローゼマリーに差し出した。
「結婚しよう」
「挨拶をしろ!!」
エルウィズ伯爵の怒声が飛んだ。




